元気かな、会いたいな、と思っています ②ヒメツルソバ

ヒメツルソバ

科・属名 タデ科・イヌタデ属

開花期 3~5月

花の色 ピンク

小さい花が球状に集まった金平糖のような形をしている

花言葉 愛らしい・気がきく

 

 

ふと、思い出す人がいる。

岩壁にびっしりと、ピンクの金平糖のような花が咲き始める時期だ。

私がお勤め整体師を辞めて、自分の店を持つようになると、待っていましたとばかりに電話が鳴った。

「休みの時でいいからよぉ。ちょっと来てくれねぇか?また足が痺れちまって、どおにもなんねぇのよぉ」

前に勤めていたお店が突然閉店となったため、お客さんを引き継ぐ形で開業できた私の店は、開店当初からそれなりの稼働率で経営できていた。それでも頂ける仕事は頭を下げてでも頂きに上がろうという考えと、電車を乗り換えて通ってくるのは難しいお客さんを置いて、ここで開業してしまった申し訳なさとで出張訪問することとなった。

彼は以前私が勤めていた整体院のあるJR横浜線の駅まで車で迎えに来てくれた。

見慣れた軽のバンだ。

足、痺れているのにまだ運転してんの?とニヤニヤしながら語り掛けると

「運転はできんだぁよぉ」

と彼は小さく丸い顔をクシャっとさせた。

ものの5分ほどで着いた彼の自宅の前には小さな水路があった。水路の両脇をヒメツルソバがひしめいている。見事なグランドカバーだった。

いつまでも私が眺めていると

「俺が植えたんだぁよぉ」

という声が玄関の奥から聞こえてきた。

金平糖のような花たちは、彼が照れて顔をクシャっとするさまに似ていた。

そんな彼をヒメツルソバさんと呼ぶことにする。

 

ヒメツルソバさんは当時で75歳だったと思う。もう年齢も年齢なので手伝いという形だったようだが、現役で大工仕事をしていた。手先がとても器用で竹から孫の手を作りだし、きちんと赤い紐までつけて私にくれたりしたものだ。

よく日に焼けていて、残り少なくなった髪も白く、ひどいガニ股のため私よりも15㎝ほど小さく見えるヒメツルソバさんは、いつも必ずお風呂に入ってから私が勤めていた整体院にあらわれた。

この仕事をしていると、年齢が進むにつれお風呂の回数が減っていくものなのだな、と認識していたが、ヒメツルソバさんからはいつも石鹸の香りがした。

ここに来る前に、お風呂に入ってから来てくれているの?と尋ねると、

「足が痛てぇから、温めてから来てんだぁよぉ」

と顔を真っ赤にしてモジモジしていた。

靴下を脱ぎ、伸びた白いズボン下姿になったヒメツルソバさんは、何かつるんとした清潔感を感じた。男性で、この歳で、こんなに気のきく人はめずらしいな、と感心したものだった。

 

毎朝5時から1万歩歩き、周り近所の病院を歩き渡り、どこの先生はどういう治療をしてくれ、どんな薬を出すのか、よく私に話して聞かせてくれた。おかげで私は薬剤師でもないのに薬に詳しくなり、医者でもないのに注射の中身に詳しくなり、患者でもないのにどんな症状だと何をされるのか、詳しくなった。

ヒメツルソバさんから数多くの怪我や手術の痕も見せてもらったが、経年劣化ということもちゃんと受け止めていて「あとはいいから、痺れだけなんとかしてくれよぉ」と言ったものだ。月に1度の出張訪問で何とかなるものではなかったが、自宅に行く度ヒメツルソバさん手作りのカブの紫蘇付けや、挿し木で増えた菊の鉢植えやお煎餅など、両手に持ちきれないほどの土産を持たせてくれた。3階建てで子供夫婦・孫夫婦・ひ孫と住んでいたヒメツルソバさんは、寂しくて私を呼んでいたわけではないと思う。本当に3日でも痺れが収まるのを望んでいたのと、本当に私を可愛がってくれていたのだ。

そんな行き来が1年半くらい続き、私も結婚をして半年が過ぎ、週に1度実家にも顔を出し、定休日にもお店のお客さんの臨時予約が入ってくるようになると、だんだんとヒメツルソバさんの自宅まで通うことが難しくなってきた。

難しかったのではない。私がしんどくなってきたのだ。

その日は新婚家庭らしく、冷蔵庫とテーブルを新調し、配達は来週の休みの日で、と手続きしているところにヒメツルソバさんからの電話が入った。

「来週、来てくれよぉ」

私は言葉に詰まった。来週は荷物の受け取りで自宅に居なくてはならない。その次の週は実家に行くことになっている。その次の週は繁忙期となる12月だ。

「…、ごめん。休みに用事が入っちゃって、行けないんだ」

「じゃ、再来週はどうだ?その次の週でもいい」

「…、ごめん、しばらく行けない。ごめん」

私は言葉が続かなかった。ヒメツルソバさんが嫌いで言っているわけではなかった。

「…。そうか。そうだよなぁ。悪かったなぁ。また来れるようになったら連絡くれよぉ」

ヒメツルソバさんは少し寂しそうに、電話を切った。

私は繋いでいたヒメツルソバさんの手を、放してしまった。

その電話から4ヶ月も経たない内に夫が失業し、実家の母が末期癌になって、私たちの自宅で介護生活が始まって看取ることになる、という本当に身動きが取れなくなることになるのだが、この時はそんな未来の片鱗すら見えていなかったのに。

 

私は祖父との縁が薄かった。

私が祖父との思い出を回顧すると、ヒメツルソバさんの石鹸の香りがした。

岩壁にびっしりとピンクの金平糖が咲くとき、私はどうしようもなく、石鹸の香りを思い出す。

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