ロッキングオン創刊の物語(6)ビートルズ武道館

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ビートルズ武道館


 四谷第一小学校(文化放送の前にあったが、今は廃校)四谷第一中学校(今は四谷中学)を出て、神宮外苑の国学院高校に入学。勉強はとにかく出来なかった。何かを覚えることが苦手だった。高校では山岳部に入った。小柄で華奢な自分には、一番自分に似合わないクラブを選んだ。毎日、外苑で走ったりうさぎ跳びやったり、リュックに砂をつめて階段を登り降りしたりと、肉体を酷使するクラブ。
 中学3年の時に親父がやっていた町工場の印刷屋が倒産し、家を売却してアパート暮らしになった。麹町4丁目の交差点のすぐ裏側。麹町といえばお屋敷町だが、どこにでも下町のアパートがあった。交差点のところには戦後の闇市のような市場があって、今では信じられないだろうが麹町にも庶民の生活臭があった。
 四谷には、母方の両親や兄弟が住んでいて、麹町には別に、芸者をやっていたおばさんがいた。自動車会社の専務のお妾さんで、黒板塀に囲まれた家は、長火鉢があり、三味線が立てかけてあった。おばさんは、九段芸者の三味線のお師匠さんをやっていて、練習所に何度か遊びに行ったことがある。四谷を中心に親戚がいろいろと集まっていたのだ。
 ビートルズが日本に来日して武道館でコンサートをやったのは1966年6月。僕は16歳だった。当時はライブやコンサートは、普通の学生が行くところではなく、
 ウェスタンカーニバルやグループサウンズのライブハウスはあったが、普通はまず行かない。でもビートルズが来るという。見に行きたいと思ったが、チケットの購入方法も分からないし、だいたいコンサートなんて行ったことない。そして、いよいよコンサートの当日になった。
 武道館は、僕が住んでいた麹町から歩いていける。部屋でそわそわしていたが、思い切って武道館に行ってみることにした。そうしたら、僕と同じように、チケットもないのに会場にやってきた若者が大勢いたのだ。地方から来たのだろう若い女の子たちが門のところで守衛に「通して!」「ひと目、ポールを見たいの!」と叫んでいる。その横をチケットを持った人たちが中に入っていく。松村は、チケットを手に入れて見たそうだ。僕は、そういう人たちを羨ましげに見ているしかなかった。
 そのうち、武道館から、どわあという歓声が聞こえてきた。コンサートがはじまったのだ。中に入れない女の子たちは、泣きわめいていたが、どうしようもない。このまま、コンサートが終わるまで、武道館の歓声を遠くで聞いていても意味が無い。
 ふと、麹町のある日本テレビのことを思い出した。当時は、日本テレビの社屋にはテレビ塔が立っていて、遊びに行くと鉄塔の上までエレベータで登れたりした。そして、正面玄関のところに、大きな街頭テレビがあったはずだ。そして、その日は、テレビでビートルズを放送するはずだったのだ。僕は、武道館の門の前で騒いだり泣いたりしている人たちに向かって、大声を出した。「みんな、ここにいても仕方がない。近くに日本テレビがあるから、そこのテレビでビートルズを見よう!」と叫んだ。そして「行く人はついてきてくれ」と、日本テレビの方向に歩き出した。
 日本テレビの前では、すでに街頭テレビを見ている人もいたが、僕が連れてきた人たちも、画面に向かって、「キャー、ポール」「ジョン、素敵!」と叫んでいた。
 人生で唯一のチャンスだった、ビートルズのライブを生で見ることは出来なかったけど、それなりに、僕の「ビートルズ来日」は、記憶に残る一日となった。


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