自分を語る言葉

 自分を説明をするための自己紹介。「職業は○○で、○○に住んでいます」というとてもわかりやすい紹介。世の中説明のつく事はいわゆる「わかりやすく」つい、説明をつけたがるし、説明を求める傾向がある。

 最近、とても不快に感じる事は「説明がつかないところまで説明をつけてわかりやすくする事」だ。わざわざ説明をつける必要なんてそもそもないのでは?そんな気さえしている。
 私は仕事だけしている訳ではなく、母だけでもなく、妻だけでもなく、いわゆる「丘洋子」をしているのだ。その「丘洋子」はいろんな顔を持ち、自己紹介するにも説明がつかないのだ。そしてその説明がつかない「曖昧さ」がとても心地よく、説明しようと思わない状態になっているという事。
 そして自分の周りの人達もそう。私は周りの人達に対して何をしているか、より何に興味を持っているか、どんな在り方やどんな想いを持っているのか、そんなことが知りたいのであって、仕事や家庭環境やらでその人を見ているのではないという事。
よく耳にする話の代表なのが「職場という枠が嫌で、独立してフリーランスになったよ」という「フリーランス」という言葉。枠はどこにでも存在するし、そもそも我々は「人」という枠の中で生きているし生かされている。だから「フリーランス」という自分自身で「枠」にはめた「フリーランス」という言葉で分類している事。

きっと仕事が嫌になったのではないだろう。いろんな理由があって独立したのだろう。でも、枠が嫌になって枠から飛び出した、は説明や言い訳にはならないと感じている。
 自分は「人」という枠の中で存在しているし、その中で生きている。屁理屈に聞こえるかもしれないけど、説明のつかない曖昧さは大切にしたいし、なにより自分らしく生きるために自分自身がどれだけ平和な心持ちを継続的に持ち続ける事ができるか、そんな自分自身にイノベーションを起こす事で大きな世の中を変えようとするのではなく個々の平和が大きな平和に繫がる生き方、曖昧を大切にする生き方をしていきたい、と最近切に感じていることを書き留めようと思い、ここに記してみた。

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