生まれて初めての北海道~83歳の私を息子が北海道旅行に連れて行ってくれた話 2

前話: 生まれて初めての北海道~83歳の私を息子が北海道旅行に連れて行ってくれた話

 一休みして入浴。いつものことながら、大浴場は一人で入るのは、誠に心細い。眼鏡を外しているから、脱衣所の棚の入れ方がもうわからない。うろうろしていると、たいてい、周りの誰かが声をかけてくれて、教えてくれるのだが、この日は空いていて周りに人もいない。鍵を閉めるのか、お金を入れるのか、蛇口、シャワーの出し方、一つ一つ手探りでクリアしていく。こんな時、息子じゃなく、娘だったらいいのに……なんて、罰当たりな考えが、頭をよぎる。やっと人影が見えて、勇気が出て、大風呂、ジャグジー風呂、寝風呂、露天風呂へと冒険してみる。

 

 食いしん坊の私に輪をかけて食事にはうるさい息子。どんな夕飯かとわくわくしながら食堂へ。

 国立公園だから決まりがあるのか、二階以上の建物は建てられないとかで、広い敷地に、くねくねと渡り廊下でつながった別棟の食堂へ移動する。私が足が不自由そうに見えたのか、車いすを用意しようかと言ってくれたり、履き替えるスリッパにも気を遣ってくれたり、バイキングの料理の台に近い方が便利だろうと、席を変えてくれたりしてもらって、いよいよ夕食。

 宇都宮の次男からもメールが次々。

 どう? 寒くない? 美味しいもの食べてるのかな? いいなあ。

 ごちそうの写真は? 夕日のは見たよ。

 いつもはどっちかというと、ひがみっぽいメールが来るのに、今回はとても素直。兄貴もせっせとごちそうの写真を撮って送る。

成田で沢山歩いて足も痛いけど、何があるか自分で見なきゃと、よっこらしょと、立ち上がる。

 ひらめ、えび、ひめますなどの刺身の山を、欲張らないように気をつけて少しずつ取る。ホタテ、ボタンエビなどの海鮮物は、文句なしに新鮮でおいしい。 テーブルに二人分のお釜にご飯が美味しそうに炊けている。イクラを山ほどよそってきて、いくら丼を何杯も食べてしまう。見ただけではわからない、手の込んだ料理の数々。ワインも注文し、残った半分は、部屋へ持って帰り、冷蔵庫へ。 

 和室で畳だが、大きな気持ちの良さそうなベッドが二台。マッサージ器もあって、ますますいい気持ちになって、一日目は終わり。

 次の日も、

 朝ご飯食べた? あれ? 天気いいんじゃない?

 と、うるさいくらいメールが来る。

 朝食なんか入らないと思ったのに、また美味しい物が沢山あって、和洋取り混ぜてモリモリ。

 夕べいびきがうるさかったと、互いに非難しあったので、ピローギャラリーへ行き、枕を選ぶ。高さ低さはもちろん、堅さ、素材、大きさなどゆっくり選んで、大事そうに抱えて部屋に戻る。試してみて、これなら今夜は迷惑かけずに眠れそうだと安心する。

 湖畔へ出て支笏湖観光、最大のおすすめの遊覧船に乗る。

 乗るとすぐ船底へ降りる。狭く急な階段を、転げ落ちそうになってやっと船内に入ると、窓から見えるコバルトブルーが、目に飛び込んでくる。



 窓の位置は水深二メートルで大きさは七〇センチ四方。両側に八個ずつあって、皆おでこをくっつけるようにして湖底を見る。

 湖の水面下には、「柱状節理」と呼ばれる切り立った崖のような光景が広がっている。これはカルデラ生成時にマグマが急激に冷やされて収縮した際に出来た割れ目で、支笏湖の見所だそうだ。

 鮮明に見える湖底の様子は、この湖の透明度の高さがどんなにすごいのかを、教えてくれる。荒々しい岩や、筆で書いたような砂地の波紋、窓に群がるようにすり寄ってくる何種類もの魚たち。中にはヒメマスがいることもあるという。

 それでも船頭さんは、先日来の台風で水が濁っているのであまりよく見えなくて申し訳ないと、しきりに謝ってくれた。

 ここで少し、支笏湖の説明をしよう。

 支笏湖は日本最北の不凍湖で四十四万年前大噴火で形成されたカルデラに水がたまって出来た湖。どうして凍らないかというと、温かい水が湖の深部に残存していて水面を暖めるため湖面の水温が下がりにくいからという。

 透明度の高さでも有名だし、大きさでもひけを取らない。北海道の南西部に位置し、周囲約四十キロメートル、最大水深二百六十五メートル、国内では秋田県の田沢湖に次いで二番目。面積は琵琶湖の九分の一だが、最大水深は三倍以上。貯水量は琵琶湖に次いで、二番目だという。

 船を下り周囲を見渡すと、恵庭岳、風不死岳、紋別岳、樽前岳の山々が、活火山特有の富士山のような姿を見せてくれる。



 満足して、ゆったりした気分でホテルに帰り、ウエルカムラウンジで、ハープの演奏を聴いたり、足湯で汗を流したり、生まれて初めて三十分コースのフットパスまでやってもらった。

 夜は、料理茶屋「天の謌」で、息子と二人だけで会席料理をいただく。

 老いた母親に、二晩もバイキングじゃどうかと気を利かして、特別注文してくれたそうで、別棟の一部屋へ案内され、料理長の挨拶から始まって、「風の謌会席」のお献立表に従って、ゆったりと料理が運ばれてくる。

 まずは、献立表、次に料理と、兄貴は弟に写メールを送る。 

 何それ? 白いのおかゆ? (豆乳仕立ての椀物)

 今夜も胃薬だね こちらはまだ残業なのに…… ヨダレを添付

 またまた、宇都宮から愉快な返事。こうして彼も一緒にごちそうを食べているような楽しいひとときだった。

 


 三日目は、ホテルから飛行場へのバスは午後二時発なので、チェックアウトしてから充分時間がある。さて今日は何をしよう。湖畔をゆっくり歩くことにした。湖を見下ろせる遊歩道が何本もあって、その高さの違いで湖の表情が変わる。夢中で歩いたらいつの間にか九千八百歩も歩いてしまった。ホテルへ帰って一休み。空港へ向かう。ここで私と息子の考えの違いが出て、ちょっともめる。空港で一時間もあればお土産を買うのに十分だと彼は思っていたらしいが、女の私としてはとんでもない、もっとゆっくり選ぶ時間がほしかったわけだ。寒いのを心配して余分に持ってきた着替えや、買ったお土産を宅急便にする時間もいる。そう思っただけで慌ててしまう。

 それでも彼が前もってちゃんと選んでおいた、是非寄りたい店へ入る。みんながそう思うらしくすごい行列だ。三、四店まわり、本当はもっと見たいけどぐっと我慢して、宅急便を出す。ここもすごい行列。ギリギリ間に合って、搭乗する。

 やれやれ、北海道も今日でおしまいか。

 息子にすっかりおんぶにだっこで、何にも自分で判断しなくていい。ポストを見れば、市役所、税務署、いろんな施設からの請求書、明細書、領収書、医療費の請求書などなどに頭を悩まさなくていい自由さ、気ままさ。宇宙の違う星で過ごしたような気分だった。 

「お袋も充分頑張ったんだから、ご褒美だよ。遠慮なく楽しんで下さい」

と、息子たちは言うけれど、よく考えてみたら、私の母は、戦時中、父がシンガポールから帰って結核で七年間入退院を繰り返したあいだ、私と妹を育てながらも、愚痴一つこぼさずに、闘った。いたわってくれる息子なんかいなかったのに…… 。

 いい気になって甘えてなんかいては恥ずかしい。しっかりしろ。お正さん!

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