ブル中野の「しくじり先生」っぷりを見て感じたこと

しくじり先生を見て、ブル中野がますます好きになりました。


一プロレスファンとしてブル中野という存在はレジェンドですし当然のごとく敬愛しておりましたが、頂点を極めたからこそ、常に一番であり続けようとしたからこそ、プロレス=人生のすべてと考えていたからこそ、怪我で余儀なく引退せざるを得なかった後にあんな壮絶な葛藤人生が待ち受けていたとは…


半アル中、自殺願望、逃避行動etc


光り輝いている部分しか知らない私にとってそれは想像を遥かに越える内容でした。


私自身あそこまでの波乱万丈な人生を送っているわけではありませんが、思い詰めてしまう時の感覚という点についてはどこか他人とは思えない部分を感じたりしながら視聴していました。


ただその話の内容とは別の角度から見た時に、現在のブル中野に惹かれるものを感じたのもまた事実です。


理由は本当に些細な事です。しくじり先生の教壇で話しているブル中野の姿が、どことなく中学の時の担任を彷彿とさせたのです。無論当時の担任の年齢は若かったですが(笑)


初めてクラス担任を受け持った上にそれが受験学年。彼女には相当なプレッシャーがあったと思います。そんな緊張感たっぷりの担任が、学年最後の大仕事という教え子達の高校受験の最中。私はこんなことを言いました。


え?併願校には入学金なんて入れないよ。
自己採点したけれど本命絶対受かってるし、万一受かってなかったら浪人するよ!!


まだまだ人間もできていない(今もか…)思春期の鼻タレですし、かなりの小生意気っぷりでしたから、今思えばこれは相当な悪態をついたのだろうなぁと。変な形で頭を使うことなく、屁理屈も下手に言わずに悪ぶっていたいわゆる「不良くん」達の方がまだ扱いやすかったんじゃないでしょうか。


結果から言うと私の前半の主張通りにすんなり本命に進学したわけですが、併願校に入学金を納めないと後々各関係者や次の受験生に色々と迷惑がかかっていくこともあるという「大人の事情」なんて当時は知りもしませんでしたので…本当に申し訳ないことをしたと思います。ごめんなさい。


でも、そんな新米担任に「いつもクラスの中で縁の下の力持ちをしてくれてありがとう」という言葉を頂いたような記憶があります。卒業の時だったか合唱コンクールの時だったか…その辺は曖昧なのですが。


ただ、今思えばその言葉が私の生き方というかスタンスを決めてくれたのかもしれません。


縁の下というポジション。非常に大好きなのです。かつて働いていた職場でも自分勝手に動き回ってそういったポジションを模索しながら徐々に作り上げていく。そんなことばかりしていました。ニッチ野郎です。


その経験は今も充分生かされています。家庭という場所において(笑)



外から見れば縁の下の役割でも、自分にとってはそこが主役の晴れ舞台。それでいいじゃないですか。


監督や親方と呼ばれるよりも用具係や若者頭を選びます、私は。


その方が性に合ってるので。



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