看護師として生きる

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合否発表。



国家試験が終わってから


学校で問題の答え合わせもした。

しかし、先生が解答しても

どっちが答えかわからない問題があった。


先生がわからないもの

私らがわかるわけないだろう。


その答え合わせをした結果、


おおよそ58~60点。



60点がボーダーなのだが、

毎年の合格点は、

受験者の全体的な点数から決まるため


上がったり下がったりするらしい。


この時は、一昨年が簡単だったからと


少しひねった問題だったらしいが



ひねりがどうこうじゃなく、



わからんものはわからん。



結果


先生がわからない1~2問が合っているか間違っているか、



ボーダーラインが60点なのかそれ以下なのか、


また微妙な所にとどまってしまった。



崖っぷちで、


落ちる〰!

助かった~

落ちる〰!

助かった~


の繰り返しをしている気分。


ゆらゆら揺れているような感じ。




本来なら国家試験から発表は1ヶ月後だから、



職場に出て仕事の見習いをし、



働きながら合格発表を待つ感じとなるが



こんなゆらゆらの状態で


無理でしょ?



と思い、拒否した。



気ままなやつ、自分のせいなのに。






だが、元々紹介してくれた個人病院の先生は



「待ってるから何年かかってでも看護師になれ。」



と言ってくれ、私のわがままも聞き入れてくれた。



その間に引っ越しの準備をしたり、


彼氏の家に行ったり、


スナックでバイトしたり、


 自由に遊んでいた。




結局は引っ越しの日を迎え、


友達も地元に帰り


彼氏とは遠距離恋愛となり



実家で発表を待つ事となった。




何で連絡があったのかは覚えていないが


ハガキが来たのは覚えている。






『合格』






うぅぅぅぅおっしゃー!



良かったー!





全て終わった…



戦いに勝った…




脱力感。





このハガキを持って


看護師免許証を保健所に取りに行った。



すんなりくれると思ってたが、


「厚生労働大臣の名前は?」


と聞かれ





は?




と。




知らんし。


苦笑してたけど。

わしゃ本気で知らんがな。




で、書類に判子押したらくれたけど、


免許証ってどんなに素敵なものかと思ったら



ただの賞状でした。



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