踏絵よって繰り返し神を裏切りながらも、自らの信仰を捨てることができなかった隠れキリシタンに人間存在の本質と根源を感じるという話

今春、「沈黙」の映画版が公開されるということで、周辺作品を再読中。本作は「沈黙」執筆のために訪れた長崎各地の印象などを綴ったエッセイが中心。

感動的なのは、プティジャン神父の「信徒発見」のくだりと、遠藤が現地で「カクレ」と呼ばれる集落の爺役(司祭役)の屋敷で「納戸神」と偽称されるマリアの母子画を見せてもらうくだり。

「信徒発見」については、以下の通り(出典はお得意のウィキペディア)。

”1865年(元治2年)3月17日(旧暦2月20日)の午後、プティジャンが庭の手入れをしていると、やってきた15人ほどの男女が教会の扉の開け方がわからず難儀していた。彼が扉を開いて中に招き入れると、一行は内部を見て回っていた。プティジャンが祭壇の前で祈っていると、一行の一人で杉本ゆりと名乗る中年の女性が彼のもとに近づき、「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)」「サンタ・マリアの御像はどこ?」とささやいた。浦上から来た彼らこそ300年近くの間、死の危険を犯してまでキリスト教の信仰を守っていた隠れキリシタンといわれる人々であった。”

しかし、この「信徒発見」が即キリスト教信仰の自由につながったわけではなかった。

この2年後の幕末から明治6年までの日本史上最後のキリシタン弾圧を「浦上4番崩れ」という。これは踏絵から始まり、流刑、そして棄教を迫る凄まじい拷問によって多くの人々が命を落とした。

最終的にこのような弾圧は、不平等条約の改正に悪影響を及ぼすという理由で、あっけなく終わる。そのあっけなさと弾圧の苛烈さのコントラストが何とも言えない無常観を醸し出す。

そして、キリスト教が解禁された後はカトリック教会が「カクレ」の村に入り、長い期間の口伝による信仰によって変質した隠れキリシタンの信仰を正しき道に「回心」させるべく、精力的な伝道活動を行った。

遠藤の観察によれば、「カクレ」の人々はこの伝道を諸手を挙げて歓迎したかというと、どうもそうではなかったようだ。

「カクレ」のかなりの人々は、神父が説く教えを先祖代々受け継いできた自分たちの教えと違うことを理由にカトリック教会への帰依を拒否したという。カトリック教会の神父は時に、中世風のローブを身にまとって伝道を行うという意地らしいほどの努力を積み重ねたが、それでもすべての人を「回心」させることはできなかった。

そうして、「カクレ」の集落はカトリックに帰依した人々と先祖伝来の教えを頑なに守る人々のグループに分裂した。遠藤が強く惹かれたのは、カトリックに再帰依した人々の信仰生活ではなく、先祖伝来の教えを頑なに守る「カクレ」の人々の信仰のありようだった。

遠藤の分析では「カクレ」として信仰を貫こうとする人々の精神の根底には先祖崇拝があったという。先祖代々受け継がれてきた儀式や「納戸神」こそが彼らにとって神であり、それはもはやカトリックではなかった。

遠藤に「納戸神」を見せた爺役の年老いた農夫は常に何かに怯えているようで猜疑心に満ち、頑迷で無知である。「カクレ」以外のものに見せると穢れる信じられている「納戸神」と偽称されるマリアの母子画もまことに稚拙で、それはマリアというよりも赤子を抱く農婦のようであったという。

これらの人々は苛烈な弾圧に耐え抜き、輝かしい殉教を手に入れた人々の子孫ではない。彼らは踏絵によって何度も神を裏切り、それでも信仰を捨てられなかった「卑怯」な人々の子孫であったと遠藤は言う。

毎年定期的に「踏絵」を強要されることで、自らの神を裏切り、「カクレ」であるという「公然の秘密」によって周囲の人々に蔑まれながらも、信仰を捨てられなかった人々。

遠藤はそのような人々の卑屈さ、弱さ、頑迷さに自らを重ね合わせ、裏切りと後悔を繰り返す人々をそしてその精神を繰り返し書いた。

はっきりとした確信があるわけではないが、なぜか自分もこのような人々の中にこそ、人間存在の本質と根源を見るような気がして強く惹かれる。

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