日本に本当の老人天国は訪れるのか?

最近の僕の周りを観察した結果

最近、じじい(蔑視ではありません。俗称です。あしからず)の行動が危なくなってきた。道端で自転車に乗り猛スピードで若者を蹴散らす。ぶつかりそうになると「ち、このやろう。」とぶつぶついい通り過ぎる。謝りもしない。もう一歩で交通事故を起こす風景を筆者は目撃し、じいさんの言動に驚いた若者の顔を見ている。

他にも電車の中でツバキを吐く老人、歩きタバコ、大声で騒ぎ立てるじじい、まるで「果て?私のいた中国の日常光景と同じではないか?」と錯覚するほど彼らは醜く思えてくる。

私のいた中国(上海)も世界屈指の老人大国だったけれど、若者との関係はとても良かった。少なくとも東京で見てきた日本人の老人のような不快感はなかった。しかし東京に戻ると事態は一変した。老人のマナーの悪さ、老人関係の犯罪(自動車事故など)、そして日常感じる嫌な光景だらけだ。


その一例だが

都バスで運転手も運転が下手だと下車後バスを蹴っ飛ばすじじい

電車の駅ホームでタバコを火のついたまま投げ捨てるじじい

電車の中でつまらぬ事で暴力を働くじじい

ファミレスで店員にからむじじい

車の運転で車線ど真ん中で堂々と車を止めるじじい

そして私のいた介護施設。女性ヘルパーに絡み暴力、性的虐待を繰り返すじじいをたくさん目撃した。


このような暴力行為を繰り返すのに、なぜ皆は怒らないのだろうか?日本は一体どういう国なのだろうか?いくら儒教教育が徹底し上下関係が尊重されても、それは儒教とは全く関係のない彼らの犯罪行為ではないか?

近年話題になっている「高齢者の自動車事故」の背景は決して特殊なことではない。毎日目撃している現場がたまたま自動車の往来する場所にあるだけの話だ。じじいの理不尽な運転に傷つけられ、無罪放免になった暁には被害者はどのような思いになるのだろうか?


良い老人もいる

とはいえ、とても素晴らしい老人にも出くわす場面がある。私のいた介護施設にも当然たくさんの紳士を見てきた。(おばあさんには余り嫌な思いをした経験はない)そうした人が皆と本当に仲良く触れ合っているのに、一部の変な人たちは全て老人に対する印象を壊してしまっているのだ。実にもったいない話だ。道端で繰り広げられるじじい達の暴力行為とは裏腹に、とても親切な老人たちに接する機会も多いのだ。こんな時に私はとても心を打たれることが多い。


交通の現場に関して言えば、ゆとりのある路線(東京にはあんまりないが)とゆとりのない路線の両者の差は実に大きいと思う。私の使う私鉄系の高級住宅地を通る通勤線では余り乗客間のトラブルを感じないが、かつて使っていた超過密路線(JR系)ではトラブルはいつも付き物だった。やはり余裕があるかどうかも大きな条件になっているのかもしれない。 


またある老人は言った。

「今は昔に比べれば本当に天国のような時代だよ。」

私もそう思い、その老人についつい、「何が変わったでしょうか?」と聞いてみたら出て来る、出て来る、色々なエピソードだった。

「先ずは通勤電車、みんな今は電車に乗れるよね?昔はそうではなかった。電車の両数も少ないし、通勤客も多かったから、もう電車に乗る為には人なんて掻き分けないと中に入れない。もっと昔は買出し列車なんてあったなあ?だって電車の屋根の上に乗って通勤するんだよ。」

「えっ!?」私は驚いた。「危なくはないですか?」

老人は答えた。

「いやぁ、屋根から人がたくさん落ちる事だってあったよ。もちろん落ちたら命はない。だから命がけでパンタグラフにつかまっていたのさ。だからさ、命の心配しなくてもいいから今の方が幸せだね。唯一つのことを除けばね。」

私は聞いた。「それは何ですか?」

彼は答えた。「人と人との会話だね、それがなくなった。今はみんなどこでもスマホを見ている。態度の悪い人を見かけると大抵はスマホの若者だよ。余りにも車内で非常識な態度を取るから、こちらが怒ってもみんな無視だよ。昔は1人おかしいのが車内にいたら、みんな注意し合って説教しあったものだ。今はそれが出来ない世の中だ。だから人と人との関係は昔の方が断然良かったね。」

なるほど、と私は思った。前述した非常識老人の行動とは、こうした現代の会話のない無関心主義が招いているのかもしれない。私が覚えている30年前は、何かおかしな人がいたら何かと説教をしているおやじがいたものだ。場合によっては警察まで同行し、その者を叱り付ける光景まであった。ところが今はそんなことをしたら逆に訴えられる可能性すらある。最悪の場合ナイフで刺されることだった現実に起きているのだ。

もし、先の老人の話が私の覚えている30年前と同じシチュエーションならば、明らかに現代は会話がないのだ。特にこの東京と言う世界は極端すぎる。私は大阪にいたが常にうるさいほどの会話があった。うるさすぎて「もう少し静かにしてください。」といえば相手は「えらいすみませんでした。」と言って会話をやめるので余り苦情ぽいことがなかった。

東京も30年前は会話があった。しかし今は殆ど見られない。

何をすれば老人天国になるのか?

という野暮な質問に答えなければならないこと自体悲しいものがあるが、先ず老人の目線に立って話をすると、日常会話のない世の中はなくしたい。皆がスマホに集中して人のことに関心も示さず、時間を過ごすという世の中はありえないからだ。スマホは単純にマシーンに過ぎず、スマホが友達になってくれたり、結婚するということはありえないからだ。その点で言えば老人の意見に分がある。しかしながら老人ならスマホを持たないで済むという世の中もおかしい。老人たちには是非スマホを勉強して覚えてもらう必要がある。老人だから・・・という免罪符は既にこの世の中では通用しなくなってきたのだ。あるすしチェーン店ではスマホやPCによる予約のみを受け付け、電話での予約を承っていないそうである。しかしながら予約は毎日一杯らしい。ということは、スマホがいじれないとすしも食べれない世の中が既にそこまで来ているのだ。若者と会話する上でも、スマホのマスターは必需であろう。


確かに今の世の中会話がない。なんて寂しい世の中になったものだろうか?おまけに若者の話す日本語は何を言っているのか分からない時がある。もっと会話する機会があってしかるべきだろう?これでは老人のみならず皆ストレスだらけの世界だ。私もつい都営バスを蹴っ飛ばしたくなる時もある。(笑)こんな日常で人と話せないのは東京くらいなものだ。若者よ!スマホをかばんにしまい、もっと人と会話しよう!! ではないのか?(笑)


若者の視線で物を言うと、例の乱暴なじじいはこの世から消えてもらってかまわないというのが本音だろう。誰でも感じるとおり、自転車で人をはねようとして、加害者側が「このやろう」という行為自体犯罪である。こういう老人に対しては堂々と正論をぶつけるべきだ。それでも変わらないのなら警察へ連れていくべきだろう。介護施設で堂々とセクハラ行為を行う老人に対してもしかり、法に準じた罰を与えるべきである。こうした事態になっても、誰も声を上げないのは何故なのだろうか?かつて介護施設に「なぜAさんがセクハラで苦しんでいるのに助けないのですか?」と施設長に聞いた事があるが、その時の驚くべき回答に唖然とした。「だって相手はお客様でしょう?」え?!何を言い寄るのか!?お客様ではなく犯罪者だろう?そう言いたくもなった。


私が思うに、これも「会話の不足」が原因とした一例であると思う。皆何か問題があると、すぐスマホで調べるでしょ?犯罪例とか刑法とか、解決法とか。でも誰も声に出そうとしない。例の乱暴なじじいは周囲が説教すれば自然に行為をやめるかもしれない。介護施設のセクハラおやじについても会話すればよい。「すぐ警察を呼びますよ。」何故こんな簡単なことが出来ないのか?日本人として情けなくなってきてしまった。


介護施設にいた私は、施設の老人たちが声を上げて会話を楽しむ風景を見てきた。一方で日常の電車の中は皆がじっと耐える光景ばかりを見てきた。(笑)欲しがりません~勝つまでは~なんですか????ばっかみたい。

今の世の中はもっと日常の会話があってもよい。それなのに道端でべちゃべちゃはなしをすると「うるさい!」電車の中で会話すると「もう少し静かにしてください。」世の中どこもかしこも「黙秘権」だらけだ。つまるところこの社会の100%は「犯罪者」なのかもしれない。



本当の老人天国とは、一昔の日本のようにスマホもない、携帯もない、PCもない、という世界の中で会話を楽しむ風景が存分に見られることではないかと、私は真剣に思うのだ。








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