ぼくがぼくであることの土台

 ぼくは現在、私立小学校で働いている。大学を卒業してすぐに働き出し、もう35年になる。

子どもたちとともに過ごす日常的な時間。
 子どもたちと喜びや驚き、楽しさを共有する出来事。
 僕にはまねのできない、子どもの感性との邂逅(かいこう)。
 この三つがあるから、小学校で働くのは楽しい。

 その中の二番目、出来事を題材にして書こうとしている。
 出来事には、二つの種類がある。ひとつは、こちらが何らかの仕掛けを考え子どもたちを導き、思い描いていたエンディングを迎えるといった、先が予見できる出来事だ。そしてもう一つは、心も体も準備ができていないときに突然起きる、降って湧いたような落ち着きどころの予想がつかない出来事である。
 たとえばこんな話。
 
  はじめて担任を持った年の春。そう、まだ右も左も分からなかった頃のこと。
 4月某日午後0時25分。その時僕は、4時間目の授業終了を目前にし、国語のまとめに入っていた。
 黒板に書いた授業内容をノートに写し取る、3年は組の子どもたち。うちの学校は、「い」「ろ」「は」組なのだ。
 書き誤りがないか、机の間を回る僕。鉛筆のカリカリという音だけが、静かな教室に響いていた。
 几帳面な字でノートに写している子どもをほめたあと何気なく顔を上げた僕は、教室の前にあるドアのガラスに大きな人影がうつっているのに気がつき、ぎょっとした。
 当時のドアは木製のドアで、窓には磨(す)りガラスがはまっていた。磨りガラスなので、当然ドアの向こうにいる人がだれであるかは分からない。けれど、写っている人影が学校にいるどの人ともちがっていることは一目瞭然だった。人影の身長が、異様に高かったのである。
 人影は、ドアのすぐ後ろにへばりついたように立っている。ドアをノックするでもなく、ましてや開けようともせず、ただフラフラとゆれている。ドアと人影の近さから、きっとその人はドアを開けてほしいに違いないと判断した僕は、机の間を回ることをやめてドアに近づき、立て付けの悪い扉をガタピシと開いた。ノートを書いていた子どもたちの集中がとぎれ、視線が扉の方に集まっているのを僕は背中で感じた。
 立っていたのは背の大きな人ではなく、普通の身長の男性だった。大きな背丈だと僕が勘違いしたのは、その人が頭にずいぶん背の高い白い帽子をかぶっていたからだった。
 ドアを開けた僕と目が合うと、その男性はメモを見ながらこう言った。
「えーっと、ご注文のラーメン、持ってあがりました。こちらに、堀内一也さんはいらっしゃいますか。」
 確かに、僕のクラスには堀内一也くん(仮名)が在籍している。僕が返答する前に、背中越しに堀内くんが返事した。
「はーい。」
 彼は、昼食に出前のラーメンを食べるつもりなのである(うちの学校は、給食ではなく弁当を食べる)。
 出前を持ってきたお兄さんは目の前にいる僕を無視して、返事をした堀内くんに話しかけた。振り返ると、堀内くんは返事のあと、また黒板をノートに写す作業に戻っている。出前のお兄さんは、今度はボクに話しかけた。
「ご注文のラーメン、この棚に置かせてもらっていいですか。」
 は、はいと頷いたボクの返答で、お兄さんは岡持(おかもち)のふたをするすると開けた。
「すごーい!」
 岡持から出されたラップのかかったラーメンの鉢をみるなり、今まで神妙にノートを取っていた子どもたちがどっと前に集まってきた。
 ラーメンを棚の上、みんなのお弁当箱の横に置こうとする出前のお兄さんと、国語の勉強よりラーメンのにおいを嗅ぐことを選択した子どもたち、そしてノートをとりながら出前のお兄さんと応対する堀内くん。集まってきた子どもたちと僕は、ラーメンの存在に驚いている。しかし、お兄さんと堀内くんは、まるで自宅への出前注文のやりとりのように、ラーメンを前にして平然としている。
 カオスである。
 僕はこの時すでに、この非日常的な教室の状況を、普段の教室に立て直す手順を見失ってしまっていた。後から考えれば、まず勝手に席を立っている子どもたちを座らせることが先決だったのだが、その時は、それが最優先事項であるとは考えられなかった。一番最初に僕が考えたことは、この出前のお兄さんはラーメン代金を受け取ったのだろうか、ということだった。ひょっとしたらラーメン代を僕が立て替えなければならないのでは、まずいぞ今持ち合わせがない、えーっと財布はどこにしまったっけ中にはいくら入っていたっけ、ということが頭の中で渦巻き、それが思考の足かせとなっていたのである。
 僕の心中を察したのか、お兄さんは聞かれる前に、
「お代金はちょうだいしています。ありがとうございました。」
と言うと、自分で扉を閉めて去っていった。堀内一也くんのお母さんは、どうやら昼食に中華料理屋からラーメンの出前をお願いし、勘定を済ませていたらしい。不覚にもホッとしてしまった。
 混乱のうちにチャイムが鳴り、僕は混沌としたまま授業を終えた。いったん職員室へ戻り、弁当を持って再び教室に入ると、子どもたちは席を移動し、堀内くんを中心にした円形になって弁当の用意をしている。
 いただきますの合図のあと、子どもたちはまるでテレビを見ながら食事をするかのように、堀内くんがラーメンをすするのを見ながらお弁当を食べるのであった。堀内くんはみんなに見られている手前もあってか、照れ笑いを浮かべながらも、おいしそうな音を立ててラーメンを完食した。
 鮮烈な体験だったが、昼食が終わり、昼休みに子どもたちと遊んでいるうちに、僕はいつしかラーメンのことを忘れてしまっていた。

 次にラーメンのことを思い出したのは、あくる日の休み時間、職員室でお茶を飲んでいるときだった。隣に座っていたベテランの先生に僕は、
「いやあ、ここの学校って、変わっているんですね。お弁当を、よそから頼めるんですね。」
と話しかけた。
 ベテランの先生は、意味がつかめないらしく、
「よそに頼むって、それどういうこと?」
と僕に尋ねた。
「いえね、昨日、うちのクラスの堀内くんが、お昼ご飯にラーメンを注文していたみたいで、4時間目が終わる直前に、ラーメンの出前が届いたんですよ。『ちわー』って感じで。僕がお金を立て替えなきゃならないんじゃないかって、ひやひやしましたよ。」
 そう答えると、周りにいて何気なく会話を聞いていた先生が一斉に「えー!」と声を上げた。
 ずいぶん離れた席に座っていた事務の先生が、僕に尋ねた。
「それであなた、どうしたの?」
「どうしたのって、お金はお母さんが事前に払ってあったようなので、ぼくはラーメンを棚の上に置くように指示しただけでしたけれども。」
 返事を聞いた周りの先生が、どっと笑いながらはやし立てた。
「無茶苦茶やな。」
「ほんま、よう言わんわ。」
「出前なんか、禁止以前の問題でしょ。」
 やはり出前は御法度だった。あんまり出前の兄さんと堀内くんが堂々としていたものだから、僕が勘違いしてしまっただけだったのだ。
 その日の夕方、僕は堀内くんのお母さんに電話をして、今後出前を学校に配達させないようにと伝えた。お母さんからどんな返答が返ってきたか、残念ながら覚えていないのだが、教室で出前の応対をしたのは後にも先にもこの一回こっきりだから、お母さんも以後は自粛されたのだろう。
 それにしても、もし仮に僕が出前禁止ということを知っていたとしたら、あの場で僕は出前のお兄さんにどう対応していただろう。

 小学校で働いていると、しばしば予期せぬことに出くわす。小学校教員というのは、そういう職種である。
 予想外の出来事というのは、変化に富んだ日常をお好みの人にとっては楽しいのだが、みなさんはどうであろうか。嗜好というのは人によってさまざま。同じことがくり返される毎日に精神的な安住を感じる人にとっては、たまらなく不安定でストレスのある仕事であるといってよかろう。幸い僕はその逆、つまり変化のある日常が楽しいと感じる人種である。そういう意味では、この小学校教員という職業は僕に合っていると思う。
 そして、こういった予期せぬ出来事は、単に思い出になるだけでなく、僕自身のその後の行動に影響を及ぼす示唆を与えてくれることが多い。まあ、出前の一件から導かれる教訓は、「弁当のかわりに出前を頼んじゃダメ」という非常に限定された一項目しかないけれど、こんなのは例外である。これまで体験してきた驚くべき出来事、どう判断してよいのか迷い立ちつくしてしまうような出来事は、知らず知らずのうちに澱(おり)のようにたまっていき、現在の僕の価値判断や、子どもたちに対する僕の接し方の土台となってくれたようだ。
 経験するということ、そしてそれを整理し内省を試みるということは、大切だと考えている。

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