文章

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」


これは僕の敬愛する小説家の、とある小説の冒頭に書かれた文章だ。


脚本というものも一種の文章だとすれば、その論理を借りることにより完璧にはなり得ないということなる。いやむしろ、完璧である必要はないのではないか?


当たり前のことだが、文章というものには映像がない。文字により状況を伝えるということは、その大部分を読み手の想像力に訴えることになる。

だから、時に敢えて詳細を語らない大胆さというものが必要になる。


しかしながら、小説が直接読み手に繋がっているのとは違い、脚本は観客に直接繋がってはいない

その間には優秀な、あるいはあまり優秀ではない演者がいる

まるで伝言ゲームのように、文章はねじ曲げられて伝えられる

複数の演者と演出家の間で起こる化学反応は、吉と出てよりいっそう洗練されたなにかを観客に伝えるかもしれない

それはリスクなのか?

可能性なのか?

僕はなにかを書くとき、決まって自分の中の声

に耳を澄ませる


その内なる声はまるで何かの啓示のように、確

かな形をしていない


リンゴの形を借りたメロンだったり、まるで怒

りのような安らぎだったりする


現実から遠く離れてそんな曖昧なものに耳を澄

ませていると、ふと

なにもかもがぐちゃぐちゃに混ぜ込められた鍋

の中にいるような気がする

カオスだ


そのカオスの中からリンゴ取り出し、メロンと

して描き出す時、

僕は泣きながら笑う


そうしてなんだか少しずつすり減って行くよう

な錯覚に陥る


いやそれは、すり減っているという形をとった

新たな誕生なのかもな

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