誰も助けてくれない!?


TwitterやfacebookなどのSNSに頻繁に接していると様々な話、意見や考え方を目にします。


勿論全てを見て、考え、受け入れていたら、外部記憶装置を自在に操れる義体化でもしない限り不可能な情報量ですので、そこは適宜取捨選択しております。


いつものようにそんな取捨選択をしている中で「これは拾うべし」と思える独り言に出会いました。


ご本人に許可を頂いているわけではないので、コピペ引用などはせず私なりの表現に置き換えさせて頂きますが、それは物事に行き詰まり困ってしまった時についぼそっと呟いてしまう一言という話でした。


「どうせ誰も助けてくれないし


誰しも一度や二度は無意識のうちに口にしたことがあるのではないでしょうか。本気かそうでないかは別としても。


では、誰も助けてくれないとしたら、それはなぜなのか?


助けてくれないのは、それまでに誰も助けてこなかったからなのか?


困っているのに気づいても、見てみぬふりをしてきたからなのか?


「因果応報」


「情けは人の為ならず」


関連する言葉が色々と浮かんできます。


無論自分が何かあった時に助けてほしいからという理由で誰かを助けるのは全く別の次元のお話ですが。


家族や親友が困っている時、金銭的なことならば簡単には助けられないとしても、精神的に助けてあげることはいくらでもできるはずなんです。心にちょっとした余裕さえあれば…


と、ここで話は終わるはずだったのですが。



横断歩道で自分の身体を杖で支えきれず、転倒してしまった女性に遭遇しました。


年配の方ではないのですが、障害をお持ちのようで足元がかなり覚束ない感じに見えました。


横断歩道は赤信号でしたが、幸いにも車はおらず、転倒という状況を理解した瞬間に彼女の身体を起こしに駆け寄っていました。


とにかく横断歩道を渡り切り「大丈夫ですか?」と声をかけましたが返事はありません。話ができないわけではなさそうでしたが、目が怯えているように映りました。


転んだことが怖かったのか、見知らぬ人に声をかけられたことに怯えていたのか、それともあまり人に助けられたことがなく動揺していたのか…


うん。私にできることはそこまでなのだということを察しました。それ以上の手助けすることは、彼女にとってマイナス要素にしかならないように思えたのです。



助けてあげたくても助けられないケースにはいくらでも遭遇するのだなと。


それならば助けられることぐらいはせめて…


親に「あんたは本当に冷たい人間」と言われたことがある私ですが、そんな冷酷人間にも人としての温かい血はわずかながら流れていたようです。





著者の山口 寛之さんに人生相談を申込む

著者の山口 寛之さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。