高卒でライン工をしていた僕が上京して起業する話-No.1

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「誰も他人に興味を示さない仕事」「全く頭を使わなくてよい仕事」


人間関係で悩んでいる人や、技術的な難しい仕事をしている人には、とても興味が惹かれる言葉だろう。


しかし、高校を出てすぐに工場のライン工として働くことになった僕は、この仕事がとてもとても大変なことを知った。


高校在学中は部活ばかりの毎日で、将来のことを何にも考えておらず、母親から「大学に行かせる金がない、すぐに働いて家に金を入れて」と言われた僕は、オレンジデイズのような大学生活を送る夢を捨て、高卒で工場に就職した。


中学の頃に父親の借金が原因で離婚し、家賃2万のボロアパートで母親と共に暮らすことになった僕は、反抗期こそあったが家に金がないことを理解していたため、特に何も考えずに原付きで通える範囲の工場を選んだ。


「弊社の社名を記載して下さい」


就職試験の最後の問題を見て、僕は今まで何のために勉強をしていたのだろうと思いながら、8人中トップの成績を残して、比較的ラクだと言われる部署のライン工に配属された。


結局、入社して8ヶ月後の12月に退職することになったが、その間にあったことは一生忘れることはないだろう。


勤務内容は基本10時間労働で2交代制といった形だったが、何よりもしんどいのは仕事内容。


塗装をするラインだったため、埃が着かないように防護服を身に着け、付着物を取るための装置で風を1分間浴び、シンナーを吸引しないようにマスクをし、密室の中一人で延々と塗装をするという仕事だった。


昼休みの1時間以外にも、90分毎に5分休憩が与えられていたが、部屋から出るには風を浴びる装置を2回経由する必要があるため、誰かと話す時間もなく、しゃがんで休憩を取る以外に選択肢がなかった。(飲み物以外の持ち込みは禁止なので携帯電話をイジったりも出来ない状態)


夏場は防護服を纏っている関係で蒸し暑く、違う部屋を見るとマスクを外して仕事をしている人がいたりした。ある人は「ここの従業員は定年間近で年金を貰えずバタッと逝っちゃう人が多いんだよなぁ」と笑って話していたが、全然笑える話しではない。


ラインの作業自体は、3日あれば誰でも出来るような簡単な仕事で、あまりの時の流れの遅さに頭がおかしくなるような毎日だった。二週間ごとに昼夜が逆転したり、忙しい時は12時間のフル残業が1ヶ月以上続いたりしたが、そんなことより、ただひたすら仕事がつまらない。


目の前に嫌味のように置かれた大きい時計が、毎分視界に入ってしまう。
体感で1時間経過したと思っても10分しか経過していないことがザラにある。


僕の同期の一人は隣の部屋で仕事をしていたが、僕と同じような密室空間で、会話することは出来ないが、明るい部屋で外が暗いため、仕事の風景がお互い見える環境だった。


いつかは忘れたが、夜勤の5分休憩の時に、その同期が座り込んで寝てしまい、ラインが稼働し始めたことがある。このまま僕の方に流れて来ると大きい問題になるため、僕は仕方なくラインの緊急停止ボタンを押し、班長が走りながら駆けつけ、事情を説明した。


班長は無言でそのまま同期の部屋に入り、殴る蹴るの暴行を加えた。


それ以後、僕らの部屋の外には監視人がつくようになり、昼時は外が明るいため監視されているのがわかるが、夜勤の時は誰にいつ監視されているかわからなかった。


最初の1ヶ月は昼夜交代するタイミングが同じ同期と集まってご飯を食べていたものの、いつの間にか一人で食事をしていた。同じ部署の人達とは一切会話がない。というか、パチンコか風俗の話しばかりで、自分が話しに入れなかった。


そんな中、嫌でも自分と向き合う時間が増えた。何のために生まれて来たのか、どこで何を間違えたのか、勉強しないとこんなにも辛い仕事しか出来ないのか、そもそも高校の時に何で将来のことをしっかり考えなかったのか。


単純作業の繰り返しがこんなにも辛いなんて、幼い頃に教えて欲しかった。


一定の規則に則って流れてくるモノに、僕は教えて貰った腕の動かし方で、ひたすら同じ動きを繰り返して色を塗っていく。まるでロボットのようだ。


フル残業の時は12時間労働なので、朝に「おはようございます」と挨拶して交代し、夜に「おはようございます」と挨拶して交代する。


「今後10年は同じような仕事をしてもらう」と言われ、本当に頭がおかしくなりそうだった。


緊急自体が発生した場合のみラインを止めることが出来るが、始末書を書かされたり、残業になってしまう場合が多いため、他の人達に白い目で見られてしまう。夜中3時に激しい尿意に襲われた僕は、暴力的な班長の顔が思い浮かび、防護服の中で用を足した。


さっきロボットと書いていたが、ロボット以下だ。
刑務所の中で働く受刑者だ。


基本給は15万円、昇給は年に3000円。
田舎なのでお金の使い道がないが、未来もない。


仕事が出来ない人に対して、いい大人が集団で無視したり、嫌悪感を丸出しする。僕は嫌われていなかったものの、部署全体で20人程度いたが、どのグループにも属せないでいた。


8人いた同期は半数近くが数ヶ月で退職し、結婚して家庭がある人、車を購入しローンがある人などが残っている状態となった。


当時18歳だった僕は、彼女もいなければ車も持っておらず、働く意味を見い出せないでいた。


3ヶ月に一度行く美容室では、普段人と喋る機会が全くないため上手く会話を取ることが出来ず、貯金をしても趣味がなく、夜勤もするので友達と合う機会が減り、自分の心がどんどん腐っていく感覚に陥ってしまっていた。


転職するにも、正社員だと接客業か介護、工場しかないような田舎。高卒でスキルも何もない。持ってる資格は車の免許のみ。


何の出会いも、仕事も、未来もないこの街。


「何で生きているのか」


この頃はそんなことばかり考えていた。


あまりにも静かで、頭を全く使わなくて良い、仕事と呼べるほど高尚なモノでもないこの単純作業の中で、生まれて初めてこの問題を真剣に考えていた。


思春期に何度か考えた事があるが、頭がおかしくなりそうになるので、この問題から逃げていた。


しかし、考えても考えても一向にわからない。


そんな中、「アンパンマンのマーチ」を聞いた。


「何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ」というフレーズで、僕は目が覚めた。


絶望感に満ちた、夢も何もないこの街で、僕は何をして生きていきたいのか、全く見当がつかない。


頭でいくら考えても答えが見つからない。


だったら、答えを探しに行こうじゃないか。


こんな狭い世界から抜け出してやろうじゃないか。


特に縛られるモノがなかった僕は決心した。


(電車で1時間半で行ける京都ではなく...)



そうだ、東京へ行こう

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Morii Ryouji

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