35年間いつも側にいてくれた人と別れたいと思った理由【4】介護疲れから鬱発症

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ヒロと結婚した時、神様は、なんてバランス良く、総合的に試練を与えるのだろう⁉︎と感心した。


それまで、家族のいない孤独や寂しさ、お金がない辛さやみじめさを味わい、いつも、自分が一番下で、なんとか身を守りながら、周りの顔色を伺って、協調性をみせ、社会からはじき出されないように努めてきた。

大人のドロドロした裏事情に巻き込まれ、利用され裏切られたりもした。

そんな私だったが、唯一、体が不自由な人の苦労というのは、経験した事がなかった。

その点では、五体満足に産んでくれた母に、とても感謝している。

だからこそ、神様は私に、

身体の不自由な両親を持つ長男と結婚

という、試練を与えたのだと思う。


義母は、先天性疾患を持って産まれたらしく、身長は130センチ位しかなかった。

肺だったか、腎臓だったか、左右対象にあるはずの臓器が、片方無く、出産時に片側の股関節が、外れてしまっていたのだが、それに気付かず成長し、そのまま歩き出してしまったので、ずれた位置で関節が固まり、足の長さが違っていた。

背中も、側湾症をおこし、片側だけが盛り上がっていた。


義父は、難病指定されている、筋萎縮症にかかっていた。


二人とも、頭はハッキリしているので、自分の体が、思うように動かせない事に対して、焦り、常にイライラと怒りを感じ、周りの人間(主に私とヒロ)に、感情をむき出し、怒りをぶちまけるのであった。


どこまで話を遡れば良いのか、難しいのだが、結婚する前から、自分は結婚に向かない人間だという自覚があった。

それなのに、人生の大きな波に押し流され、5年間の同棲生活の後、入籍してしまった。

その時点で、私はたぶん離婚するから、子供は作らないようにしようと、密かに決めていた。

ヒロは、自分の収入が安定しないので、しばらくは、子供を作らない方が良い。という考えだったので、珍しく二人の意志が合致して、入籍後も、9年間子供を作らない様にしていた。


昔の人には、当然、計画妊娠とか理解されず、旦那の両親には、私が子供ができない体質、と思われていたのだが、ある事をきっかけに、逆にこれ以上、私と義父母が歳をとってから、子供を産んだら、もっとしんどい事になる。と気付き、30代前半で娘を出産。

当時、義父は、車イス代わりに、滑車のついたフカフカの事務椅子に座って、生活をしていた。

義母は、家の中を杖をついて歩いていたので、オムツ替えや、座りながら、娘をみることはしてくれた。

当時の二人にとって、孫の成長は生き甲斐だったのだろう。

昔の子育ての観点で、アレやコレやと手を差しのべ、口を挟んでくれた。

良くも、悪くも…。


娘が1歳2ヶ月になった頃、私は娘を保育所に預けて、社会復帰を試みたのだが、その時も、散々、可哀想だと非難された。


それでも、まず第一に、金銭的に共稼ぎをする必要があった。

第二に、家にいる時間をできるだけ少なくして、社会とかかわりを持っていたかった。

よって、働く事は、私にとって、精神的に潰れてしまわない為の、大きな価値を持っていた。

そんな中、義父母の体の不自由度は、どんどん進んでいく。


炊事、洗濯、掃除、買い物、子育て、パート、やらなきゃならない事は、毎日山のようにある。

パートタイマーとはいえ、週5日働いていたら、家の掃除もままならない。

土日に、やれやれ仕事休みだー!と思っても、義父母の部屋の掃除に、布団干し、ベットの敷き直しというのを、二人分やるだけで、相当、肩腰、精神がやられる。

そして、日に3度の食事の用意と片付け。買い物。

たまの休みに、幼い娘をかまおうと思っても、結局、自分が疲れきってしまっている。

そして、まず、その状況に現実逃避を始めたのが、ヒロだ。

ヒロサイド

自分も仕事で、色々叩かれて帰ってくる。
家でも、両親に細かく文句を言われる。
嫁は、疲れきった顔で助けを求める。
娘は、遊んで欲しくて、無邪気にジャレつく。
子供は可愛いいし、かまいたいけど、正直、体はグッタリ。心にも余裕がないので、かまいたくない。



こんな状態に陥り、とった行動が、パチンコ屋さんへの逃避行。しかも、最終までだ。


娘は、小さい頃から、全然早く寝てくれないので、しかも、寝付く頃に大好きなパパちゃんが帰ってくると、また目がランランとなってしまうので、しっかり完全に寝付いた時間を、見計らって帰ってくる。すると、いつも11時頃になる。


私サイド

中途半端な時間に帰って来て、寝かしつけの邪魔はされたくない。
けど、どーして、毎晩、毎晩、私一人ジジババの世話に追われて、食事がどーだの、ヒロの帰りが遅いのは、何故だ!とか、文句を言われたり、どんなに頑張っても、早く寝てくれない娘を、どーにか寝かしつけたり、それらの事柄を、なんで毎日、私一人がしなきゃいけないの⁉︎
貴方の親でしょ‼︎ 娘でしょ‼︎
しかも、毎晩、超タバコ臭い服で帰ってくるし‼︎


こんな事が何年も続き、パチンコは当然、勝ちもあれば、負けもある‼︎

そのうち、時間潰しが、ごくつぶしになって、借金まみれで、生活費入れなくなるわ、親にパチンコ代せびるわ、挙げ句の果てに、

『おまえに迷惑かけないで、全部自分で返済するから‼︎』

『おまえに食べさせてもらう気はない‼︎』

と、大きな事を言っといて、今ではカードのブラックリスト載ってて、申請通らないから、何かのローン組むのに、みんな私が払わされてる‼︎

もう、嫌だ!! こんな生活!!

そんな経緯で、私は鬱になった。


あれだけ好きだった仕事にも、出て行けない。


何の為に生きてるの?

ずーっと、奴隷の様に、旦那の両親介護して、あと何年続くの…。

私に身寄りがあったなら、とっくに家を出てるのに…。


なんで、結婚しちゃったんだろう…。


頭の中は、介護と借金の心配ばかり…。


毎日、籠の鳥のように、飛び立てない不甲斐ない自分を呪い、泣いてばかりいた。


そして、ある時、ふと天からの声が聞こえた…。

そんな辛いだけの結婚生活なんて、もう辞めてしまえば良い。

今まで、あんなに頑張ってきたんだから、自分を責めるのは、辞めよう。

意味のない、苦しいだけの仮面夫婦なんて、辞めてしまえ!

今なら、まだ人生やり直せるよ!

この結婚にしがみつく必要ないでしょ⁉︎


そんな内容の考えが、ハッキリと天から降りてきた。

そして、その声を受け入れてから、私は嘘のように、うつから立ち直った。


べつに、嫌われても良いや。
どうせ、別れるんだから。
今まで、ヒロの為に、良い嫁を必死で演じてきたけど…。
もうヒロも、身体の悪い両親も、どうなっても、私の責任じゃない。

私の人生は、私のものだ。
抜け殻のように、生きるのはもう御免だ!

全ての人に、良く思われるなんて200%無理だし!


そう思えるようになってから、私はヒロに離婚して欲しい!と、打ち明けた。

娘が、小学校に上がる春だった。









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