タイ旅行記 二人の旅人
「サンキュウ」と別れた。
なけなしのお金を全額運ちゃんに払った。
次の日
そこからタイ人の原宿と言われる何とか通りに行ったがショッピングモール内で友達は
「お前と別行動する」とか言って別れた3時にここな言った。モール内をウロチョロしていたら場所が分らなくなって約束の3時に間に合うかと思ったら間に合った。
「お前何していたんだ?」聞くから
「いやドリアンが幾らするかな?って、思っていた所だ」と答えた。
「マンゴスチンが美味いよ」友達は言った。マンゴスチンは剥くと白い実が出る果物の女王様と言われているらしい。
5
翌日
そこからアユタヤに行くってんで、電車の切符を買った。電車は、満員の満員180パーセントの乗車率。屋根の上に座っていたタイの人。アユタヤは結構遠くて何時間も掛かった。
「どうだ良いだろ」僕は友達に見せた。サングラスだった。眩し過ぎて白い床に反射する光は俺の左目を直撃した。何故左目かと言うとコンタクトレンズが左目にしか入って無かった。先程歌舞伎町とか言ったが、その時も左目しか見えずイライラした。俺はコンタクトレンズも買う事が出来なかった。日本国で2・3週間前位から食器荒い洗剤で洗ってぶっ壊した右目のレンズ。気にせず働いていたがイライラした。「地球の歩き方」に書いてある通りアユタヤに着くと直に山田長政が有名だから
すぐに「ヤマダナガマサ」とインチキタクシーの運ちゃんが「6000バーツ」としつこくした。ちょっと道を行ったら自転車で後ろに客席が付いたのを150バーツで乗せてくれるってんでそれに乗った。ここは凄いな。見渡す限りのぶっ壊れ平原あっちこっちに仏像が壊れながら有った。
「ココ」
ポイントポイントを廻ったが、結局何も無い平原だった。帰りに友達がどうしても「ワットベンチャマポビット」に行きたいと言うのでテゥクテゥクに乗って行った。綺麗な寺院だったが、誰が管理しているのかな?と思った位。帰りの電車はなかなか来ず。タバコを吹かしていた食事は「カオパット」か「バミーナム」日本で言えばチャーハンとうどんを中心に食べていた。バンコクに戻って銀行でなく、金行通りって所に足を運んだがお金の無い我々が行くところでは無かった。うん百万うん千万うん億円の世界。ちなみに換金は何処でしたかと言うと街の中に、換金所がいくつも有ってそこでした。その後何か食べようと言ってビールを注文すると「シンハ」と言うビールに氷を入れて持って来た「何だよ氷入りのビールなんかまず」って友達は言った。雷魚の料理を食いたかったが「ノンノン」無いと言われた。その足で泥棒市場と言われる市場に行くと知らないおじさんがスーパーファミコンだかファミコンだかを偽造チャッカッチャッカしていた。
「これだよこれ」何本も一本のカセットに入っているって奴。ファミコンのカセット
「50インワンって書いて有るぞ」
「馬鹿!待て!こっちは600インワンだ」
馬鹿だから買っちゃった。後に空港でチェックされるとびびりながら帰るのだが
帰国数日後「アレは駄目だ」と友達が漏らした。
6
その日は昼間はカオサン通りで過ごした。有名なレストランで食事をしたが2バーツ4バーツなんて加算してって結局日本円で800円だった。
その夜
ホテルで友達は
「ギザギザの持ってきたこの洗顔フォーム気持ちいいな」と言った。何が気持ち良いだよ!俺はお金が無いんだ!。
夜
屋台が出るので行った。2人別行動した。焼き鳥みたいのを焼いているので
「コレ?バード?」聞くと
「ノウ」角の真似した。タイの人。
1本3バーツ位で旨かった。友達はパイナップルがお好みで「ムシャムシャ」食べるわ、食べるわ、その夜キックボクシング、ムエタイを見に行った現地の言葉でムエタイは通じず「ボクシング」と言うと「ハイハイ」と言って通じた。試合はラジャダムナンスタジアムで行われたがキックボクシングの試合は吉凶で2つのスタジアムが有ったその夜はそこだった。試合は柵の遠くからしか見る事が出来なかった。リング近くの切符が高く7000バーツもしやがるから買えなかった。タイの人はキックが決まる度に「ムーイムーイ」と歓声を上げていた。向こうの人は何でも賭け事の対象にしているらしくあんまり強い選手は毛嫌いされるとか。選手もキックでお金にならないと知るやボクシングに転向するって言うのが通例だ。
その夜寝て次の日
「蛇園に行きたい」と友達が言うものんで、歩いた歩いた。とにかく僕達の旅行は歩きに歩いた。
施設の人に「ここ蛇園」って聞くと
「ノンノンアスアサカライコウカココニ?」と友達は誘われたが
俺が金無いって言うと
「お前金位ちゃんと持って来いよ」って怒っていた。結局蛇園には行かず俺達は帰国の途についた。
帰国の直前に動物園に行きたいと友達が言うのでバスに乗った。
「これどうやってお金払うんだ?」
バスの中に女の人が居て筒みたいな物に
「ココ3バーツ」と言われた。成る程これに入れるのね?動物園は普通の動物園で俺達はタバコをプカプカ吹かしていた。子供達が風船に水を入れて膨らましそれを矢で撃とうとしていた。何回も失敗するから
「ちょと言ってやれよ無駄だって」って友達が言うから
「嫌だよ変な事に巻き込まれたらどうするんだよ?」って言った。アメリカ人っぽかった。
そして帰国。僕にとって冷や汗物だったお金が無いからその後僕は
「有難う」と15000円を返した。大学に帰ってからだが、もう15年前になるその後タイで暴動が起きた。
「新聞見たかよ?」
「知っているよ、俺達には関係ないよ帰って来たじゃない?それより負けちゃったな」ボクシングの試合結果だった丁度僕らが行っていた時に試合が有って頻りに友達が
「テレビ付けんなよ」って言っていた。鬼塚対何とかってタイの人だった。何でも録画して見たらしい。作家になりたかった友達はIだかEだかとか言った。
そいつには「お前は友達じゃねーもんな」と言われた事が有る。女が好きでいやらしい奴だった。そいつらしきプロの作家は今居ない。当時パソコンは出たてでワードなんて便利な物は無かった。それとそいつがどうしたこうしたは、別問題だが。
ちっちゃな頃から僕は大人になったら何になるんだろうって不安だった。タイの飛行機を待っている間タバコを消すための砂に俺は確かに火の付いたタバコを指した。中国人街で昆虫を入れる箱にゴキブリを仰山入れていた。中国人らしき人。どっかで買われどっかで繋がれているタイの人可哀想か?精神の病気に掛かった俺が可哀想なのかは知らないだが、確かに俺はあの時居て作家になろうなんて事は思いもしなかった。ただ俺は記憶を辿って書いているだけで今は、日記その他資料みたいな物は一切、手に持ってない僕のパソコンを実際見てくれれば分かると思われるが、テレビに出てくるような本にまみれています。みたいな作家では無い。その後
7
パチンコ屋で
「ギザギザ行って来たか?」
女性従業員「タイなんてお洒落ね」
「それがお金持ってかなかったから大変な目の逢った」と言った。その後いい気になり調子に乗っているとチョットした事で仕事場の友達と喧嘩になった。追われた僕は或る古本屋に勤めた。そこにも作家志望の奴が居て原稿用紙を沢山持っていた。
「ギザギザ君エロから書くんだよ」
原稿を沢山持っているみたいだった。文芸に当時は興味が無かったので
「見せてくれ」とは言わなかったでも彼はエロを書くのだ。と言ってエロ本なんかを参考にしながら書いていた。
「へ?」事実描写がそこからが多かった昔の話で、この平成の世にそんなもの書かないでも作家に成れますを、示したい。僕は只記憶の中の友達と今の友達がいる事で、あーあ俺は産まれて来て間違いじゃなかったんだなって考える。タイは若いうちに行け。君も友人と行け。
END
ギザギザ仮面
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