志賀高原物語1 23歳でホテルを仕切ることになった話

20代の半ば志賀高原のホテルで副支配人をしていた。

ある旅行会社が志賀高原のホテルを買収した。映画「私をスキーに連れてって」の公開より1年ほど前だったと思う。沖縄や野沢温泉で店をやっていた僕らに声がかかり、リニューアルするホテルの内装やカタログ、パンフレット、制服、DISCOやBar、お土産やをデザインとプロデュースとディスコやバーの運営も引き受けることになり、本シーズンはスキーシーズンなので秋口から改装を始めるべく下見に登った。


誰もいなかった、、、

本来迎えてくれるはずの支配人もスタッフもおらず、雑用で住み込んでいたMさん一人がポツンといた。

東京の旅行会社に

「誰もいないんですけど、、」と電話すると

「あ、支配人以下みんなクビにしたんで、ホテルもよろしくお願い。」

「ハァ?、、、」

「大丈夫でしょう!みんななら!」

「はぁ、、」

とはいえ業者さん連れて来ちゃってるし、、でとにかく改装の下見をしながら仲間とどうするかの会議をすることに、、その仲間というのが全員楽天家で、何しろ店も何もない沖縄の離島に乗り込んでDISCOを始めたり、野沢温泉の民宿の宴会場を借りてBARを出店するなんてことをやって来た連中なので結論は1時間ほどで出た。

「なんとかなるんじゃない?」

旅行会社にいる先輩が支配人となったが基本東京にいるので名前だけで実際にはいないので関係なく、一緒に店をやっていた高校の同級生Yが副支配人。僕がプロデューサーという肩書きで二人でホテルを回していくことになった。

その判断で後で死ぬほど苦労することになることに、能天気な僕らはその時は全く気付かずにいたのだけれども、、


そこは志賀高原のスキー場のホテルの中でも修学旅行の学校が丸々入れるくらいのサイズで、当時はまだ少子化の前で1学年300名以上の学校が多かったので、それだけの人数を収容できるホテルは限られていた。内装やらの工事は進めながら、制服のデザインをしたりはいつものように進めるのだが、何より最初にしなくてはならないことは最大で400人近い料理を出す「厨房のスタッフ」チーフのシェフを見つけることだった。

ツテをたどって呑んで口説いて、なんとか志賀のプリンスホテルのチーフを引き抜くことが出来た(実はなかなか素行に問題ある人で体良く押し付けられたのかも?っと後で思うような人でしたが、、)、そのシェフから厨房スタッフ、居酒屋の板さん、ホールの配膳チーフを紹介してもらい料理関係はなんとか間に合いそうな雰囲気になった。

続いて青森に飛んで、仲介人を介して出稼ぎのおばあちゃんチームを編成してもらい(ベットメークやら掃除やら当時はどのスキー場のホテルも出稼ぎのおばあちゃんチームにお願いしていて、優秀なチームから先に契約されるのでタイミングとギャラ交渉が非常に大事)を手配をして、東京に戻って求人誌にアルバイトの募集を出して面接をし、各旅行会社と料金の仕切り金額を決めて、長野市のお土産業者さんの接待を受ける毎日。準備の3ヶ月はあっという間に過ぎていった。

当時の志賀高原はホテルといっても家族経営のところがほとんどでシーズン中だけ山に上がってOPENするという外観はホテルだけど中身民宿というのが実態。スタッフも少なく暖かいご飯を食べれるところなど数えるほどしかなかった。

色々なリゾートでお店をやった経験から近隣のホテルや宿には挨拶に回ったけれど、完全に地元以外のよそ者だけで運営するホテルは初めてとのことと、僕らがまだ20代半ばの若造ということもあり最初のシーズンは、まぁ色々と意地悪をされた。

山にゴミが捨てられていると、全部うちのホテルのせいにされ水道を止めると脅されたり、オテンマ(どういう字書くかわからないが、要は地域のボランティア的な作業員)に必要以上に駆り出されたりと、むしろ離島よりも閉鎖的な印象だった。でもそんなことくらいは想定内と割り切り頼まれることは全部やって、なるべく認めてもらえる努力をみんなで頑張った。さらにスタッフの外作業用の上着を当時人気だったブランドで揃えたりして逆に目立つようにして、他のホテルの若いスタッフの方から近づいてくるような関係を気づいていった。

内装工事も進めなくてはならない。スキー置き場だった地下にディスコを作り、こだわりで結構な予算を音響照明機材と内装にかけてアイデアのつまった空間を作ることが出来た。1Fフロントロビー奥にあった喫茶スペースはホテルの裏側は崖なので、眺望のいいBARに改装し調度品も全てオリジナルで作った。お土産スペースは明るくし厨房機器のエクタクロームを使い原宿の洋服屋のような仕上げにし、スタッフの制服は襟なしのカラシ色やモスグリーンのブレザーに黒パンツを合わせることにした。パンフレットの最後には自分の趣味でデビットボウイの歌詞の一行を拝借した。スタッフも4ヶ月近くそこで暮らさなくてはならないので従業員部屋も新しく快適に改装した。


スタッフも確保して、知り合いを呼んで泊まってもらうリハーサル時期を経て準備も万端。わからないことも沢山あったけど、何しろお客さんに嫌な思いをさせないようにしようとミーティングを繰り返しアイデアを出し合ったおかげでみんなの一体感も生まれてきた。

ツアー会社との連携もあり初日から予約で満室。約180名ほどの宿泊客が来る予定だ。

そしてOPENの日を迎えた。。。。


スキー場ホテルの朝は早い。前日の夜に東京や大阪をバスで出発した客は6時前にホテルに到着する。シャンシャンシャンシャンとチェーンをつけたバスが山を登ってくる音。

フロントの裏側の事務所の奥が僕とYの部屋でバスの音を聞いた。スキーシーズンの始まりだ。

地下の従業員通路を通って社食で朝食を食べ制服に着替える。

スキー場のホテルもチェックインは3時くらいなので、お客はまず荷物を預けて着替えてスキーに出かけていく。その後ゲレンデから戻った順にチェックインしていく仕組みだ。


ワクワクと緊張が入り混じりながら事務所のドアを開けてフロントロビーを見た。

一旦ドアを閉めた、、、


そこには異様な光景が広がっていた、、、。


。。。続く。





著者の内海 真人さんに人生相談を申込む

著者の内海 真人さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。