ジェンダー論じゃない、平等でもない、自由の話

のっけから言うが、私はジェンダー論があまり好きではない。


声高々に、「女性の環境改善(職場・家庭)を!」というのも好きじゃない。


幸いなことに私は現在、まあ、嫌な言い方をすると、女性であることを最大限活かして生きていると思う。そこは、恥じていないし、むしろ楽しんでいる。


プライベートだけじゃない。仕事の時こそそう思う。


たぶん男性同士だったら荒れそうなディスカッションも、私のキャラクターだから和ませられることもある(と、感じている)。同性同士だったら指摘しにくい目上の人の欠点も、異性だから許されることもある(と、感じている)。

もうちょっとしょうもない話をすると、ぶっちゃけ女だから、男性コンサルタントが頼んでも取材してもらえない案件でも、私が頼むと取材してもらえることもある。


ただそれを、私はこう考えたくない。


「オンナだから、〇〇できた(してもらえた)。」


そうじゃなくて、こう考えたい。


「私だから、〇〇できた(してもらえた)。」


だって、性差も結局は私の個性のひとつでしかない。

背が高いとか、声がでかいとか、態度もでかいとか、そういう要素のひとつでしかない。


と、そう考えたい。

仮にそう考えてくれない人たちが多くとも。


とかいう私も、性差についてはずいぶん悩まされ、ひん曲がった思想を持ってた方だと思うし、ひん曲がって苦労していたからこそ、今できるだけ、それに振り回されまいとしているのだと思う。


少し、私の背景に触れようと思う。

私は、古い農村で育った。300年続く村だ。周りには農家しかいない。

よく言われるが、農家の嫁は立場が低い。家畜並みに低い。地域にもよると思うけど。

私の母は、素晴らしい人だった(存命ですが。子供の頃の私の印象なので過去形で)。

頭の回転も速いし、よく働くし、まじめだし、情熱的だし、ユニークだし、若いころはモデルの仕事もしていた。


そんな素晴らしい母も、農家の嫁になったら、朝5時とかに起きて、家のことをやって、夫を起こして、畑に行き、男と同じように働くのに一足先に帰ってきて、子供の面倒をみて、朝食を作って、片づけて、洗濯をして、また男たちと一緒に畑に行って、男と同じように働いているのにお茶の支度をして、昼ご飯の支度をして、夕飯を作って、片づけて、子供も夫も寝てからやっと風呂に入って、一人の時間を少しだけ享受して、25時に寝て、また5時に起きる人だった(今も大して変わらない)。


ちなみに農家に休日はないので、上記の生活を、シーズンにもよるが、ほぼ360日くらいやっている。


しかもうちには父の両親がいた。たまに帰ってくる叔母もいた。

父の親の面倒は当然母が見る。祖父はいい感じに酒乱で、目の前でずいぶんひどいことが繰り広げられた。私はだから、唯一存命の祖父母にも関わらず、申し訳ないが父方の祖父だけは愛せない。祖母や母が泣いていたのを思い出して、考えただけでも頭に血が上る。


親類の存在も、正直あまり好きではなかった。

母は仕事が好きだし、仕事が早かった。負けん気が強いので、成果を出すことが喜びになる人だった。

でも、農家の嫁は親類が来たら何の落ち度もなくおもてなしをしなければいけない。

盆暮れ正月、母は仕事の手を止めてはフルコースの料理を作り、家をきれいにし、たいして楽しくない親類の話につき合い、笑顔で見送り、振り向くとすごく冷めた顔をしていた。


親類が、

「いいのよ、お構いなく。すぐに帰るんだから。」

という。

『そう言うんなら、さっさと帰れよ。思ってもいないことを口から吐くなよ。ママの迷惑なんだよ。』

って、何度言いかけたかわからない。


男と同じように働くことを求められているのに、明らかに女の方が労働して、家族の世話をして、親族の接待までして、男の飲み会があればそれの送り迎えもして、でも女同士でどこか行けるような自由もなく、毎日寝不足で、でも体調でも崩すもんなら年寄りからは「使えない嫁」という顔をされる。これが私の「女性」という生き物だった。


そんなふうに私は、自分が何の権力もない女であることをいやというほど感じてきた。

そして決定打が、「女なので家業は継げない。」と聞かされたことだった。小学校に上がるくらいだったと思う。それまで私は、落合家のよき長女としてかなり意識的に努力して“良い子”を演じてきた。落合の家は私が継ぐと思っていたし、農業も好きだった。


でも、女だからなれないと知った。

しかも、「どんな家に嫁いでも恥じない子になりなさい。」と言われた。


嫁ぐって何だろう。まるで人身売買だ。しかも、そのレールにうまく乗れないと、どうやら落合の家の恥さらしになるらしい。やっぱり農村にいる限り私も家畜か。そうか、じゃあ、私はどんな家にも適応できる嫁になろう。そして母のように家に尽くそう。そしてこの家を出ていこう。


とまあ、こんなことを小学校上がるくらいで考えている、かなり曲がった子だった。


のちのち、いろんな語弊があったことがわかってきた。

まず大前提で母はいやいや嫁業をやっていたわけではないし、信じられないくらいパパが好きで、パパを立てるために彼女のすべてがあるってくらいで、だから頭にくる嫁業もそこまで苦じゃないし、むしろ、「私だからこの家をうまく回せている」という誇りもあった。

それに、私に「いい嫁になれ」と言ったのも、要はただの言葉のあやみたいなものだった。


でも、子供って恐ろしくそういうことを覚えている。しかも、ネガティブなことほどよく覚えている。


回顧録がずいぶん長くなったが、そんな感じで私はずいぶん早い段階で男女に平等はないと考えるようになった。でも、家畜のような女が天下を取る瞬間というのを知ってしまった。性の話だ。


かなり早い段階で、私は性的なものに興味を持つようになった。

それは、エロスというより優越感だった。

「どうやら家畜の我々でも、男性がひざまずき、狂い、欲する瞬間がある。」

実に愉快だと思った。


小学生が見ることができるエロスというエロスは大体見て回った。

うちはすごくオープンな家庭だったので、サスペンスとかで濡れ場があっても普通に茶の間で流れていたし、野菜を出荷している市場にはトラックの運転手が読んでいるエロ本が腐るほどあった。病弱だったのと、かなり長いこといじめを受けていた関係で家にこもってビデオばかり見ていたので、エロいアニメとか映画とか相当見た。「吉原炎上」とか、おそらく小学校低学年くらいで見ていた。「男を誘う目ができる子だね。」と、農家のおじさんたちの飲み会に出てお酌をしていると、にこにこ言われた。嬉しそうに私の膝を触ってくる。嫌じゃなかった。今、私にイニシアチブがあると思った。優越感。小学生だけど(笑)


まあ、こんな感じの小学生がいたら、そりゃあいじめも受けるし、同年代となじめるわけもない(笑)

そのくらい私はめんどくさい子だった。これが美人だったらもう少しちやほやされたのかもだけど、あいにく私はイモだった(実際に、「お前は今はイモだけど磨けばよくなるから付き合ってやる。」と14歳年上のおにーさんに言われたことがある。超絶萌えたw)


このままいくと、本が書ける分量になりそうなのでまとめに入ると、私は性に対して非常にねじれた思想を持って成長した。一言で言うと、卑屈だった。

根底では「女性は家畜並みに価値が低い」という思想があり、一方で「夜は神になれる。跪けよ。」という思想があり、非常に不安定な地盤に家を建てるようなものだった。


そんな思想でうまくいくわけもなく、いい嫁になるために頑張ってきたのに結婚も数カ月で終わった。だって家庭は私の戦場で、安らげるイメージは全く持てなかった。(旦那さんが精神の病気になったというのもあるけど。)


結果的に、これがターニングポイントになった。

「いい嫁になる」を目指して、本来の自分の個性やしあわせの形を考えることをしてこなかった私が、家庭を一度壊して、空っぽになって、はじめて「私、何が幸せなんだっけ?」を問うようになった。25歳くらいだった。初めて一人で暮らすようになって、ひたすら自分という人間が喜ぶことだけを自分に与えてきた。そこから、一気に世界が開けてきた。やっと自分という人間と素直に対話ができるようになってきた。性や、家族の期待や、自分自身が施した自分のキャラ設定に縛られることなく、素直に自分を表現できるようになってきた。一度すべてを失った人間は強い。イチから再生して、私は自分の人生の思想のイニシアチブをとれるようになった。自分の舵の切り方がわかっていれば、あとはそんなに難しくない。私は今の自分に満足しているし、きっともっと良くなると思っている。


そんな中で、ここ数年で女性の働き方とか家庭でのありかたにすっごく注目が集まってきた。私からすれば、「好きにすればいいんじゃない?」と思うことが多々たる。


最初に書いたように、私はおかげさまで非常に恵まれた環境にあり、性差を理由に苦しめられたこともないし、むしろ個性としてポジティブにとらえている。(もちろん、「これだから女は」と言わせないだけの圧倒的努力と成果を出している自信はあるし、それでも性差を理由にうだうだいう人がいたら眼中に入れない・笑)


ただ、人によってはきっと、農村の母のように「好きにできない」環境である人も多々いるだろうし、私自身も解決できない苦しみもある。たとえば私のようにいつまでも結婚しない女に対して「人口を増やすことに貢献しない税金泥棒」的なことをいう人がたまにいる。そこは、事実ではあるのですごく苦しい。人に迷惑はかけたくないけど、いくら自分の生活は自分で維持していても、歳を取ったら社会の世話にもなるだろう。それを税金泥棒と言われたら言い返せない。


かといって、無理するところでもないと思う。というか、無理してもうまくいかない。

残念なことに私は、長らくコテンパンにいじめというものを受けたためか、子供という生き物が非常に怖い。彼らは無邪気に殴るし、ドラム缶に閉じ込めるし、上履きに画びょうを仕込むし、ノートに落書きをする。あれと同じものを育てるのは非常に怖い。

(一応捕捉すると、まったくその気がないわけではない。自分のために子供をほしいと思ったことはないが、パートナーの子孫を残したいという思いは極まれに抱くことがある。34年生きて1回くらいだけど・笑)


私自身は、性差をネガティブなものとはとらえなくなってきたけど、やはり、労働環境的に、長期目線のキャリアの問題的に、家庭やコミュニティでの立ち位置的に、不利益を被っている話を聞くと、気分が悪い。私自身は問題に巻き込まれていなくても(または気にしていなくても)、不利益な状況に対しては声を上げるべきだと思っている。それは、自分のためというより、後進たちのためだ。


東日本大震災の関係で、私はあるNPOの活動にプロボノとして参画し、たくさんの優秀な学生たちと知り合った。その辺のサラリーマンの3人分くらい優秀な学生たちが、懸命に課題解決のために走り回っていた。「この子たちも数年したら社会人か。日本は明るいな。」なんて思っていた時、ある会社の採用の話を聞いた。その採用担当者は、「優秀な女性は多い。しかし女性は周囲に大切にされることが前提の環境の中で、男性ほど苦しい経験をすることが少ない。たとえば、会社の業績が苦しければ深夜まで働かざるを得ないこともあるが、男性社員なら「徹夜で残業」と言っても、「まあそんな日もあるよね。」で済むが、女性にそれをさせると途端に問題になる。その結果、女性社員だけ先に返し、結果的に女性の方が経験が減る。女性に問題があるわけではないが、周囲の環境が女性をダメにする。だから女性は取らない」と言った。


これは、ものすごく憤ることだった。優秀な子たちが、その子の思想や、働き方のポリシーとは関係ないところで、性差を理由にはねられる。そんなことあっていいのか。それを、先に社会に出た同性の先輩として、容認していいのか。


最初に書いたように、私はジェンダー論が嫌いだ。ジェンダーで会話する時点で性差が生まれる。性差から抜け出せない。性差はあって当然なんだ。だって違う性で、機能も違うんだから、あって当然。


ただ、性差って所詮個性のひとつなんだ。ピンクよりブルーが好きな女の子もいれば、子供に関心が持てない女の子もいる。にもかかわらず、本来ビジネスとは関係ない部分でビジネスチャンスを奪われたり、言いも言われぬ差別や全体条件を付けられたり、それはすごくナンセンスだと思う。


ジェンダーの話はしたくない。

平等もあり得ない。

ただ、個々の自由意志が尊重されて、そこに何物も侵害しない世界がほしい。


そうすれば、働きたい人は働けて、家庭にしっかりコミットしたい人はコミット出来て、しかもしれが流動的で、一度職から離れてもまた復帰できる道が用意されたり、いくつもの仕事を掛け持ちすするのが許されたり、風呂敷を広げると、LGBTのような方たちが暮らしやすくなったり、国籍でものをいう人が少なくなったり。


そうなったら、世界はもっと楽しいし、発展するし、生きやすくなると思う。


固有名詞で語りたい。女じゃない、肩書じゃない。私は私。その私に上下はない。一人ひとり尊重されるべき、自由を謳歌すべき、私。性も私のコンテンツのひとつでしかない。私がどういう自由意志を持つかが重要。


もちろん、私一人がピーピー言っても、社内の何かが大きく変わるとも思えない。

ただ、ほんの数人でも、私の周りにいる人の考え方が変わったり、女性が生きやすくなったり、そういうことに影響出来たらいいなと思う。


結局そのためには、自分自身が自分の思想に沿って、恥じない生き方をするしかないんだ。


女性の名前で仕事のメールを送ってみたら......見えない差別に気づいたある男性の話

http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/14/man-signed-work-emails-using-a-female-name_n_15352470.html?utm_hp_ref=japan


このハフィントンポストの記事を見たら、そんなことをつらつら思った夜でした。

ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者の落合 絵美さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。