私が辛夷を愛する理由。両親の「子ども」でいることを辞めた話

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「好きな花は? 」

「辛夷。っていう、木に咲く花だあるんだけど。それが好き」

「こぶし? 初めて聞いた」

私の人生であと何回もするであろう、この静かなやりとり。



辛夷は、私が小学二年生になるまで住んでいた家の庭に咲いていた。ショウコさんの好きな花だ。ショウコさんの母、ヨッちゃんも好きだったらしい。ヨッちゃんとは、そういう、好きな花や嫌いな食べ物とかの話ができなかった。若くして亡くなった、私の祖母。


ショウコさんの、本当の名前は「ショウコ」じゃない。「ショウコ」は彼女の学生時代のあだ名だ。なぜ、娘である私が母のことをあだ名で呼ぶのかというと、まあ、いろんな複雑な思いと理由がある。けど、簡単にいえば、母親だと自覚してほしくないからだ。


ショウコさんは、埼玉で生まれ育った。東京の大学に進み、そこで私の父と出会った。父は東北の人間だ。私を埼玉で産んで、すぐに東北に移住したショウコさんは、まあよくある地方に嫁いだ妻・母としての苦悩を経験した。人並みに。けれど、単純に女としての苦労でいえば、ショウコさんのそれは人並み以上だった。


夫の会社の倒産。夫が隠していた聞いたことのないような額の借金。三人の子どもたちのそれぞれの面倒ごとに、意地悪で上品な姑。東北の知らない土地で生きるには、ショウコさんはあまりに孤独なひとだった。


ショウコさんは、何度も私の前で泣いた。初めて私の前で泣いたのは、多分、ヨッちゃんが亡くなったとき。私は幼稚園の年長さんだった。突然の電話に、私がまず出た。電話に出る、ってことができ始めた頃だった。

「はい、春木です」

「あ、もしもし。えっちゃん? 埼玉のおじさんだけど。ママはいる? 」

「います。ママー、おじさんから電話」

「おじさんから? ありがとう。……もしもし? 」

受話器を耳に当てたまま、ショウコさんの顔はみるみるうちに歪んでいった。とうとう、言葉ともいえない声を出して崩れ落ちたショウコさんを見て、何が起こった分からなかったけれど、私も隣で大泣きした。わんわんと泣いた。

ヨッちゃんは脳梗塞だった。でも、それは死因じゃない。回復して自宅に戻ったあとで併発した心の病気で、ヨッちゃんは、自分で命を絶ったのだ。決して、ヨッちゃんが弱かったのではなく、あくまで、併発した別の病気のせい。当時まだ三十代前半だったショウコさんにとって、あまりに衝撃的な死に方だった。今なら、三十代の前半がそれほど大人ではないと分かる。


それからショウコさんは、父と喧嘩することが増えた。今思えば、ちょうど父の会社の経営が傾き始めた頃だ。三人も子どもがいる家庭で、父親の収入が不安定になるというのは、親にとって耐え難い状況だっただろう。

ショウコさんも父も、末っ子だった。お嬢様とお坊っちゃまで、育ちのよい人たちだ。ある程度贅沢をしてきたはずだし、なんといってもバブル世代なのだ。あの泡の恩恵を、責任もなく享受できたわずかな年代。そんな彼らがぶち当たった壁は、強大で膨大だった。

しかし、彼らも強かった。

現に三人の子どもは皆、奨学金を借りながらも大学に進んだし、一番上の私が就職して三年経った頃には借金もほとんど無くなった。

けれど、何故か我が家には、昔からけっこうな事情の厄介事が絶えることなく舞い込む。


まず私はどうも学校に通うという行為が苦手で、大学では出席重視の単位を落として半年留年してしまった。そもそも通学が苦手になったのは、中学時代に虐めに巻き込まれたからだ。この時にも、両親はきっと手を焼いていた。

妹は人生の中心にしていたバレエを、他所の大人の悪意で台無しにされた。妹はバレエのために高校進学を諦めていたので、今大学に通っているのは、高認を取ってからのこと。三年遅れだった。

末の弟といえば、姉二人の波乱万丈っぷりを見ていたから、不思議なほど静かな子に育った。けれど、幼いうちはストレスにめっぽう弱く、何かあるとすぐに体調を崩した。一度、家から歩いて二分の学校からの「帰り道が分からない」と泣いて家に電話を寄越したことがあった。弟の良い子っぷりが鼻についた担任に虐められていた頃で、いよいよどうかしてしまったのだ。まあ、そんなことはそれっきり無いのだからよかった。

ともあれ、私たち家族は、サマセット•モームの言葉を借りれば「運命に目をつけられた」家族なのだった。あるいは、何事もドラマチックにするのが得意な家族だった。生きていて、飽きたことがない。厄介だけど、刺激的で楽しい。


話を戻すと、ショウコさんと父は、よく喧嘩をした。その時々の厄介事について。考え方が違う二人だから、ぶつかるのは当然だ。問題は、二人が話し合いを苦手としていることだった。

父は、感情的ですぐ物に当たる(けれど、人に手を上げているところは一度も、誓って一度も、見たことがない)。彼は背が高く、そのスジの人ですら怯むほど強面で、ガタイもいいので、茶碗を握りつぶすだけでそれはもう恐ろしいのだ。さらにはドスの効いた声で怒鳴るものだから、女子どもからすればこの世の終わりのような恐怖だ。

一方、ショウコさんは泣き叫ぶ。単純に父が怖いのと、子どもたちのために立ち向かわなきゃと自分を鼓舞しているのと、あるゆる理由があったと思う。

けれど、まあ、その怒鳴り声と叫び声で、私はいつも参ってしまうのだった。妹と弟は命に代えても守らねば、という気持ちでそれを聞いていた。

ただ、やっぱり娘なので母親の肩を持つことのほうが断然多かった。叫び終わったショウコさんは、ひとりでポツンと台所にこもる。父が車でどこかへ行ったのを確認してからそっとショウコさんに触れると、彼女は一瞬ビクッと震えるのだが、そしてすぐ涙を溢れさせる。「ごめんね」とか「怖かったよね」とか、そんなことを言いながら。そう言われてしまうと、まんまと私も泣けてくるのだ。「大丈夫」とか「大丈夫?」とか、そんなことしか言えなかったけど。

そんな時、決まって思ったのだ。「このひとの友達にならなきゃ」と。この両親に、子どもは三人も要らないだろう。あまりに荷重だ。私は、家族でありながら子どもでいてはいけないな、と思った。


私は、大学進学のタイミングで上京した。

毎日、妹と弟の心身を案じた。怒鳴り声と叫び声から、もう守ってやれない。もちろん、ヘビースモーカーで酒好きの父の健康と、自分の両親ともに脳梗塞で亡くしたショウコさんの不安(脳梗塞になりやすい体質は遺伝するらしい)についても心配していた。

ただ、まずは自分の心身を健やかにすることが先決だった。あまり実家には帰らずに、連絡も頻繁にはせず。家族と離れることが、家族を愛するために必要なことだった。「ショウコさん」と呼ぶようになったのは、上京してからだった。


そうして私は、こっそり、父と母の子どもであることを辞めた。戸籍とか法律とか、そんなものものの話ではなく。誰にも知らせず、ひとりだけで辞めた。父のいない場所では、父のことも名前にさん付けで呼ぶ。私の名前と同じ漢字が入ったその名前。両親からは、数え切れないくらい守られて甘やかされてきたのだろうけど、残念ながらその自覚はない。甘えたことなど、ない気がしてしまうのだ。

けじめのつもりで、「お父さん」「お母さん」の言葉を封印した。なのにそれでも、私は本当は、やっぱり彼らの子どもでいたかった。


だから、私が父の子どもであることは、この名前が証明してくれる。そして、母の子どもであることは、私が辛夷を好きだということが証明してくれる、と。そう思って、今日もその白紫の花を愛している。

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藤崎 枝直

掌編~中編の小説 エッセイなどを少々|東京|編集者|映画と読書と西洋美術|noteで「ということ。」という連載をしています。細々としたことは、ツイッターにて。

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