炊飯器ゴミ捨て場発見事件

90年代の初めの夏に私はカナダのバンクーバーの公立高校に留学を開始した。


 「お前みたいな奴は3か月カナダで続かへんぞ!」


と言われて留学の準備をし、見送りの伊丹空港で親から最後にかけられた言葉は、


「ええか、3か月やぞ。 しんどかっても3か月は我慢せぇよ! ほんで3か月後に帰って来たらええんやからな。 とにかく、3か月以内に帰国したら、餞別もろた人にもカッコつかんぞ!」


親の目には涙がこぼれていた。 私は税関の中に入って見送りの姿が見えなくなってから号泣を開始した。 飛行機の座席に着いても涙が止まらなかった。 これが後に8年も続く私の、"kanata"と呼ばれた大地で の高校と大学への留学のスタートであった。



悔しいではないか!


 「3か月も持たない!」


なんて言われたら。 それではお手並みお見せしましょう! とteenなりのプライドで、現地で留学をサポートくれた方々と共に私に合った塒を思案したのだ。




新聞広告欄で1か月にカナダドルで$450 のRoom & Boardを見つけ私は海外留学生を開始した。 Roomと言うのは読んで字の如く寝泊りが出来る部屋の事であり、Boardというのは食事付きという事である。


つまり、Room $500とあると、家賃としての部屋だけで$500がかかるという事である。 Room & Boardとあると、部屋+食事が提供されるという事である。 私が選択したこの$450 CADの金額でのRoom & Board、日本人が好きな言葉で言うと


「ホームステイ」


は、カナダドルが米ドルよりも安い事を含んでも当時のバンクーバーでも間違いなく激安というか底辺の分類に入る金額だった。 1年くらいの短期のワーホリの方が思い出作りに奮発して、お洒落なキツラノビーチや高級住宅街のウエスト・バンクーバーのRoomだけの家賃に$800 CAD超を支払っていた時代だった。  私のホームステイ先の家から数ブロック歩くと、バーナビーという隣の市との境となるBoundary Streetがあった。


如何せん、私の生活費の仕送りは月に$900 CAD相当。 この中から$450で寝床が確保出来て、3食が頂けるのは有難い。 まだちゃんと英語が話せないし、右も左もわからない。 この選択しか無かったとも言えた。


「石の上にも3年」


では無いが、当座の死守すべき目標は、絶対にこのホームステイで3か月は持たせてやる! であった。




ホストファミリーのお父さんは白人のおっちゃんで、ペンキ屋さんを生業としていた。 奥さんは、First Nations Peopleの血を引くMetisであった。


(注: カナダの公立高校で教えてもらったのだが、先住民族インデアンの方々にIndianと言うのはアウト。 インド国から来た人をEast Indianとし、先住民族インデアンの方々は当時一般にはNative Peopleと呼ばれていた。 しかし、そのNative Peopleすらも失礼な呼称だと考えるムーブメントが90年代に起り、後に高校では、ちゃんとFirst Nations Peopleと言いなさい! と先生から注意を受ける時代であった。)


私のホストファミリーがゲストに提供していた部屋は3つあった。 私は1階の6畳くらいの部屋を頂いたが、隣のゲスト部屋は5畳くらいだった。 そして地下の洗濯機と乾燥機と暖房機を横にした所に10畳くらいの部屋があって、そこには州都Victoriaから来ている20代で社会人のカップルの二人が住んでいた。


「なるほど、計4名のゲストが1つのWashroomを共有するのか。」


と私は受け取った。 


(アメリカではトイレをRestroomやBathroomと言うが、カナダではWashroomである)


しかし、最初の夕食時に、この家でホームステイするゲストは正式には7名である事が判明した。


そう言えば、この家の駐車場にはキャンピングカーの後ろの部分と言うか、なんと言うのだろう、ジープやバンで引っ張る自走不可のタイヤだけが付いたボックス空間の様なものがずっと置いてあった。 てっきり、ホストファミリーが夏にキャンプをする時に車に付けて使うものだと思っていたら、...



"kanata" と呼ばれた大地で

001号: 炊飯器ゴミ置き場発見事件

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