高校生の時、自分の未来が見えなかった。今は、毎日楽しく生きている話

このエントリーをはてなブックマークに追加
14

現在 (2017年)

インドネシアから来ました。25歳です。

私は子供の頃から、日本のことずっと憧れて、

「いつか絶対に日本で働く!」という夢がありました。

今は東京で働いてて、文化の違いとか辛いことがあっても、毎日笑顔で頑張っています。



高校時代。

元々性格明るくて、いつもポジティブな考え方持ってる子でしたが、

高校生になった時、全てが変わりました。

高校生の私は、デブだったし、いじめられっ子でした。

『幸せなれるのかな?』

『未来が見えない』

『もう生きたくない』

当時の自分は何もできなくて、毎日辛い思いとネガティブな考えばかりで、人生嫌になりました。

本当に地獄みたいでしたが、死にたいより負けたくない気持ちのほうが強くて、頑張って毎日学校に行きました。

正直将来なにやりたいとか全く考えなくて、今のままだと私は将来にまだ生きてるかどうかわからないと思って、大学の話も後回しにしました。


ある日、お母さんに『卒業まであと半年でしょ?どこの大学に行くつもり?専攻はどうするの?』と聞かれました。

『そっか、今の地獄もあと半年我慢したら自由になれるか』と思って、やっと大学の話に興味を持ちはじめました。

当時の自分は、日本語の塾に通ってて、日本語を勉強する時は一番幸せでしたので、

『大学で日本語を専攻したい!』と親に伝えたら、完全に反対されました。

なぜかといと、語学を勉強する人は将来の仕事が少ないからです。

それと、語学を勉強する人は負け組だと思われることが多いです。(インドネシアの場合)

確かに将来性あるかどうか考えないといけないですが、興味のないことを勉強してもただ時間の無駄だと思って、親を説得して日本語の専攻を選びました。


高校卒業式の時、心の中で『いじめっ子より絶対に幸せになる!絶対に成功して見せる!』と誓いました。でもまずは、自分から変えないと何も変わらないと思って、大学入学まで頑張ってダイエットして、五ヶ月で20キロ痩せました。


大学時代 (2010年〜2015年)。

大学生になって人生が変わりました。友達いっぱいできて、毎日も本当に楽しくて、幸せでしたが、大学3年生になった時、日常生活がつまらなくなりました。三年間勉強しても漢字全く読めなかったし、日本語も喋れなかったし…

先生達もえこひいきをして、不公平なこともたくさんあって、退学することも考えましたが、我慢しました。

正直にいうと、退学するのは簡単です。でも、今までの努力が無駄になります。


それで、大学4年生になったとき、和歌山の学校の校長先生が私の大学に来ました。

『日本に留学してみませんか?今なら安くなりますよ』っていうオファーがあって、親にもすぐ相談しましたが、日本に留学することってお金すごくかかりますし、物価もインドネシアと違って、日本のほうが高いので、また反対されました。

どうしても日本語上手になりたくて、『本当に留学したい!』と思い、2ヶ月くらい親を説得して、やっと許可をもらいました。ただし、生活費(ガス代・水道代・電気代・食費・寮費)は自分で払うという条件がありました。

アルバイトしてたら大丈夫なんじゃないかなと思って、その条件に対して何も考えずにOKしました。


実際に留学してわかったこと:現実はそう簡単ではない。(2013年〜2014年)

言語の壁、文化の壁など私にとっては毎日が戦いでした。

アルバイト探しても、面接で『外国人だから』という理由で断られたことが多いです。

外国人でも人間ですし、心もありますし、そういうこと言われた時本当にショックを受けましたが、

ここまで来たら頑張るしかないですよね。笑

最初は本当に大変で、何度も帰りたいと思いました。でも、毎日頑張って勉強して、日本語もだんだん上手になってきたら、生活も楽しくなってきました。

外国人でも大丈夫なお店(パンケーキ屋さん)でアルバイトして、時給低くても生きていけるなら大丈夫だと思って、頑張って節約と貯金をしました。

毎月稼いだお金でガス代・水道代・電気代・寮費を払って、買いたい物とかあっても我慢して残りのお金を全部貯金しました。一ヶ月の食費も3千円、多くても5千円。(^_^;)

それでも幸せな日々を過ごすことができました。

(和歌山に9ヶ月くらい留学しました)


就職活動 (2015年6月)

インドネシアに帰国して、大学の卒業論文を書いて、大学から卒業しました。

インドネシアは大学卒業してから、就活をします。

本当は日本で仕事したくて、インターネットで応募しましたが、返事が全くなかったので、就活しながら、フリーランスで翻訳・通訳の仕事をしました。

留学したことがあっても、語学力しか持ってない自分にとっては、仕事を探すのがとても難しいことです。履歴書を書いたり、色んな会社に送ったりして、連絡を待つのが本当に辛いことでした。

就活なかなかうまくいかなかったし、面接とかしても不採用連絡ばかりきたし…

親と周りからのプレッシャーもすごくて、精神的に壊れてしまいました。

お姉ちゃん(1番目)
あんた、いつまでフリーランスやるつもり?日本で就職するまで?笑
日本で働く夢絶対に叶わないから、あきらめたら?
なんでそんなこと言うの?
お姉ちゃん(2番目)
もう現実見なさいよー!
日本語使わない仕事でもいいんじゃない?
やってみないと分からないでしょ?
仕事するなら日本語使える仕事のほうがいい。
お姉ちゃん(1番目)
あんた本当にバカだね。バカ女とバカ夢。
お母さんもそう思うでしょ?
お姉ちゃんたちの言うこと聞きなさい。全部あなたのためですよ。


…本当に私のためでしょうか?

『やってみないとわからない』

確かに。やってみないとわからないことがたくさんあります。

でも、やりがいのない仕事やってたら、幸せになれるのでしょうか?

私は頑固かもしれないですが、自分の夢なんて簡単にあきらめることができないです。

どうしても日本と関係ある仕事がしたくて、もう一度就活頑張ろうと思いました。

色んな会社に履歴書を送って、面接して…

もちろんうまくいかないときもありましたが、ずっと落ち込んでたら意味ないし、

前に進むのは大事です。


就活してから半年経って、やっと仕事のオファーが来ました!

やはり一番大事なのはあきらめないことです。


社会人1年目・インドネシア (2016年)

子供の時は『早く大人になりたい』って思ったことありますか?

私はあります。

でも大人って良いことばかりではないですね。

仕事しないといけないし、ミスしてたら怒られるし、しっかりしないといけないです。


社会人1年目の時の仕事は日本和食店で(ジャカルタで)翻訳・通訳の仕事していました。

オーナーさん(オーナーさんは二人います:優しい人と優しくない人)と料理長は日本人だったし、翻訳・通訳できる人必要と言われたので、仕事を受け取りました。

翻訳・通訳の仕事ってカッコイイ仕事に見えるかも知れないですが、実際は大変な仕事です。

一言だけ間違えてたら大喧嘩になる可能性ありますし、怒られる役割もありますし、お互いの文化もちゃんと理解しないといけないし…

本当にストレスが多い仕事です。

当時の職場の人間関係も本当にぐちゃぐちゃで、仕事する場所っていうより高校みたいな感じでした。

女性が多い職場なので、悪口とかいじめとかもちろんありました。

そういう職場で仕事するのが嫌になって、辞表4回くらい提出しましたが、目の前で破られました。笑

毎日スタッフたちに嫌なことばかり言われて、正直殴りたいくらい腹が立ちました。

スタッフに『ジェシカっていいなーただニコニコしながら座ってるだけでお金もらえるなんて』って言われたことがあります。

『は?』って感じですね。笑

『あなたたちのミスどれぐらいかばったのか知ってる?』って言いたくても、仕事中だったから結局言いたいことは言えませんでした。

11ヶ月くらい頑張って仕事をしてたんですが、人間関係の問題が多すぎて、精神的にもう耐えることができなくて、仕事をやめました。


仕事辞めた時は、優しいオーナーさんに:

優しいオーナーさん
本当に辞めるんだったら、うちの会社(日本で)に来ない?
優しいオーナーさん
ジェシカは優秀なスタッフだから、勿体無い。


っていうオファーが来ました!!!!!


人生ってやっぱり面白い。

私は今年から東京で仕事してて、仕事の内容は全く翻訳・通訳の仕事と関係ないですが、

毎日一生懸命頑張っています。

人生は、いつも思い通りにいくことはないですが、

思い通りにいかないからこそ人生は面白いです。


私の夢は叶えましたが、人生はまだまだこれからです。

今までの経験で一番学んだことは、

自分が決めた道なら、責任も自分が背負う覚悟でいることが大事です。

努力は絶対に裏切らないっていう言葉はありますが、努力に裏切られた人は必ずいます。

頑張るか、頑張らないか、全部自分次第です。あなた次第です。












読んでよかった
このエントリーをはてなブックマークに追加
このストーリーをブログ等で紹介する

ジェシカ メイリナ

「小さな幸せを毎日見つける」

|

ジェシカ メイリナ

「小さな幸せを毎日見つける」

ジェシカ メイリナ

「小さな幸せを毎日見つける」

ジェシカさんの他のストーリー

  • 高校生の時、自分の未来が見えなかった。今は、毎日楽しく生きている話