偏差値41.4の陸上バカが半年の独学で関西学院大学へ合格する話


箱根駅伝には行けなかったが関西学院大学へは行けた話。

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夢を諦めた。

正月にテレビでやってる箱根駅伝、あれに出るのが夢だった。


でも、現実はそんなに甘くなかったんだ。

高校三年生の春、私は部活動を引退した。


それからのことは正直、今となって振り返れば、あっという間のできごとだったなあ。


まあ、それはとっても辛くてしんどくて、けれどもどこか充実感のあった、そんな期間の話を聞いてください…。


(物語、スタート)

私の名前は、神崎誠(かんざきまこと)。

ごくごく普通の公立高校の体育科に通う、高校三年生の男の子だ。

部活は陸上部で、箱根駅伝を夢見て日々練習に励んでいたのだが、先日引退した。

力不足だった。結論、大学へは陸上で推薦へ行くことは難しかった。

ではどうする?夢に向けて練習に明け暮れた日々から一転、現実が突きつけられた。

悩みに悩んだ結果、私は、勉強して大学へ進学することを選んだ。


私の成績について話そう。

中学時代は通っていた塾が厳しかったこともあり、成績は良い方だった。学年で30番台に入ったこともある。

高校へは陸上で推薦入学した。それから勉強そっちのけで陸上に励んだ。

そのせいで学校の定期テストでは良い成績は残せていなかった。世界史、日本史などのひどかった教科は20点台をとったこともある。

そんな中でのスタート。今は5月中頃なので、約半年後には受験本番だ。


どうせ目指すなら、ある程度有名でしたいことができそうな学校を目指そう。

私は、『関西学院大学、文学部総合心理科学科』を第一志望に決めた。


合格するにはセンター試験で英語、国語、世界史の3教科で平均83%を取れるほどの学力が必要だった。

知人達に言うと中には「お前の成績じゃ受かりっこないよ」と言うやつがいた。

ショックだった、ひどいな、と思った。けれど、絶対受かってやる、そうも思った。


私は、約半年間の受験の計画を立てた。かなり入念に立てた。

受験する英語、国語、世界史のそれぞれで、合格するためには何を勉強しないといけないか、インターネットで調べたり、先生と相談したりした。

そうして自分なりの受験計画が出来上がった(こちらのページに載ってる内容が当時の再現計画) 


それから、勉強を始めてから1ヶ月ほどが経ったある日、学校廊下でたまたま部活の顧問の先生に出会った。先生は私に言う。

顧問
お前、外部模試を受けろ。
はい。


私は模試を受けることにした。


初めての外部模試のことは思い出したくもない。結果は散々だった。

英語: 52%(105点/200点)

国語: 36%(73点/200点)

世界史: 50%(49点/100点)

平均: 55%(227点/500点: 合計偏差値41.4)

結果: E判定(合格率20%未満)


目標の平均83%までは程遠い。模試を受けたのは7/31日だった。

友人達は私の模試結果を見て、ほら見てみろ、と言わんばかりの顔をする。

悔しい。私は、この模試まで勉強してきた2ヶ月間は何だったのかと、痛恨の思いだった。

けれども、計画を改めて眺めて見るとあることに気がついた。それは、今まで、まだ各教科とも基礎部分(単語や文法など)の勉強しかしていなかったことだ。長文問題の対策は全くしていないので、この結果はそのせいだ、と分析した。


それから勉強の日々を重ね、ようやく2回目の模試の日が来た。

今度は長文問題をある程度してる中での模試だった。

これで結果が出なければ、言い訳はもうできない。

積年の思いの中、筆を走らせた。

キーンコーンカーンコーン。


模試から数週間が経ち、模試の結果が返却された。

英語: 70%(140点/200点)

国語: 74%(148点/200点)

世界史: 54%(58点/100点)

平均: 69%(346点/500点)

結果: C判定(合格率40~60%)


友人達が私の模試結果を見ると、

友人A
お前、意外とやるな!
おお...ありがとう。
友人B
俺よりできてるし..。すげーな、何が起きたんや。
お、おう...。
友人C
ちょっと、縁起担ぎたいから抱きつかせてくれや。
...(困惑)


彼らはこれ以降、私の受験を応援してくれるようになったのだった。

模試結果が良くなった、とはいったものの、目標の83%まではまだ遠い。

これからますます、頑張らなければならなかった。



それからの模試も何度か受けたが、結果はC判定以上が出ることはなく、そのまま時間は進んでゆく。


クリスマスの日、世間ではリア充達が満喫している中、私はあいも変わらず勉強に励んでいた。

せっかくだ、○ッテリアでチキンを購入して、一人頬張った。


毎年恒例、年明け、ハッピーニューイヤー。

親戚一同が集まり、皆で年越しをお祝いする。ガキ○、紅○歌合戦でテレビは争奪戦になり、みな楽しそうだ。私はというと、もちろん別室で勉強に勤しんでいた。



そして、いよいよセンター試験本番。

外は寒かった。幸い、降雪による交通機関に支障はなかった。

会場に着くと、そこには人がごった返しになっていた。皆受験生なのだろう。


結局、これまで、C判定以上はとれなかった。

こうなったら、あとは、天に委ねるしかない。

私は精一杯、試験を解いたのだった。



センター試験が終わり、二週間ほどが経った。

私は今日、センター試験の自己採点をした。

英語: 72%(145点/200点)

国語: 83%(166点/200点)

世界史: 82%(84点/100点)

平均: 79%(395点/500点)


落ちた。。。

目標としてた平均83%には、わずかに届かなかった。

わずかとはいっても届かなかったものは届かなかった。



ここでこのお話しは終わる...はずはない。

なぜなら、タイトルは「~へ合格する話」だから。


では、どのようにして合格したか。

実はセンター試験後、続きがある。


私は、関西学院大学の願書で、センター試験結果+一般試験結果のタイプも出願していた。

そのため、センター試験がダメでも、その後の一般試験で合格するチャンスがまだ残っていたのだ。


センター試験の後、2月に上旬にある一般入試に向けて、猛勉強をした。

あとがなかったので、文字通り死に物狂いで。


そして、一般入試の日がやってきた。

前日、落ちたらどうしよう、うまく力を発揮できのだろうか、などと考えていたが、いざ当日を迎えると「今までしてきたことをやるしかない。」そういう心持ちだった。

そして、気がついた頃には試験は終了していた。


やれることはやった、あとは、結果を待つだけだ。

一般入試が終わると、受験勉強からは解放された。

けれど、結果発表の日が来るまで、本当の意味では解放される気がしなかった。


結果発表の日、私は携帯からネットで結果を見ることにした。

手汗を握る思いだった。

それでも、その時は一刻一刻と近づいてくる。

携帯と睨み合いをしばらく続けていると、、、

ーーーあった!!!

なんども見直したが、そこには、確かに私の受験番号があった。

嬉しさのあまり、発狂してしまった。


応援してくれていた人たちに連絡をとる。

友人A
ようやった。俺も第一志望受かったよ。
ありがとう。
まじ!?おめでとう!!
友人B
ほんとにおめでとう。頑張ってたもんな!!
俺は...浪人するわ。
サンキュー!
行きたいところダメやったんか...。
大変やろうけど、頑張れよ。
友人C
やっぱりな、最初から信じてたで、おめでとう。
おい、嘘つけ笑
ありがとう。
顧問
やったな、今度飲みに行くぞ!
ありがとうございます。
けど自分まだ未成年です先生...

こうして、私の大学受験は無事に成功し、幕を閉じたのだった。


fin.


かなり書式や内容は違いますが、amazonでこちら電子書籍化しておりますので、宜しければご購読ください、詳細URLこちら(勉強のhow toはamazonで出版しているものの方が粒度恋です)。


p.s. 一般試験は複数日あり、一般試験のみの結果で合否が決まるタイプもありますが、全て落ちて合格したのはセンター試験結果+一般試験結果のみでした。センター試験受けててよかった...。

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