されど我らが日々

間もなく、8月6日がやってくる。昨年は米国のオバマ前大統領が広島を訪れ、平和へのメッセージを世界に向けて発信した。心に残る素晴らしいスピーチは今も私の脳裏に焼き付いて離れない。戦後を毎年歳を重ねる如く生きてきた。今年は戦後72年。私も72歳だ。振り返って見ると、半世紀以上も昔のことが走馬灯のようによみがえるのは、やはり歳のせいだろうか。

学生時代、我らの時代に生きてきた仲間は夕闇の中で、声高らかに“ああ、許すまじ原爆を!!”と歌っていた。その当時、はやっていた歌声喫茶では、必ずと言っていいほどこの原爆の歌をスクラムを組んで熱唱した。ある者は過激な学生運動にのめりこんで行き、自己破滅寸前まで追い込まれていった。親しい友人は赤旗を振り上げ、世の中を変えなければと本気で思っていた。生活の貧しさ、戦争から置き去りにされてきた人々、若者は自らを奮い立て、共産主義に没頭し、そして、数年前までその友人は赤旗新聞の編集長まで成し遂げた。

私は時代の片隅で、小林多喜二の「蟹工船」や徳永直の「太陽のない街」など、もっぱらプロレタリア文学に夢中になっていた。やがて、それらが終わるころ、1冊の本に出合う。それが、柴田翔の「されど我らが日々」である。青春とはほろ苦い、何を夢み、希望をつなぎ、イデオロギーにふりまわされず、それでも切なく淡々とうつむき加減でアスファルトの道を歩く。そんな時代だったな。。。。

今の若者はどうだろうか。

No more Hiroshimas!!

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