欧米人とつきあうためのキリスト教の基礎知識(2)

 欧米人とつきあうためのキリスト教の基礎知識(2)

 日本人は、どうしてキリスト教徒とイスラム教徒の仲が悪いのか理解できない人が多い。でも、日本人だって見た目が区別しがたいくらい似ている韓国人や中国人と仲良くするのは難しいでしょう?

 実は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神様を信じている。その神様から言葉を預けられた人は「預言者」と呼ばれるのだけど、モーゼだけが真の預言者だと信じる人はユダヤ教。だから、イエスはニセの預言者だから許せないんだよ。

 キリスト教徒は、モーゼもイエスも両方とも信じているので旧約聖書も新約聖書も両方使っている。モーゼは古い約束。イエスは新しい約束。

 イスラム教徒は、ムハンマドが一番新しい預言者だと信じている。それがコーラン。だから、イスラム教を受け入れることは、キリスト教徒やユダヤ教徒にとって、ニセの預言者を認めることになり、神の教えに反するから絶対にムリ。

 では、我々アジア人は、クリスチャンにどう見えているのか。それは、

「まだ神様を知らない人たち」

 という感覚なんですよ。だから、教えてやりたい。教えてやるべき。そう信じて宣教師を送ってくるわけです。

 だって、日本だけではなくて、アジア全体は神様がいないせいで人間が神様の代用になっているでしょう。日本全国に、豊臣秀吉を祭った神社があるみたいに、偉人を祭った神社や寺がいっぱいあるじゃない?

 受験業界でも、

「あの人は英語の神」

 のように、軽いノリで神様という言葉を使うもんね。

 私のように、神様を信じていると模試で一番をとっても全然エライと思えないんだね。足が速くても、歌がうまくても、料理が上手でも、感心はするけど、それだけ。お金持ちや首相のような地位のある人も、特にエライと思えない。

 人間なんて、神様の前では大差ないんだから。

 でも、宗教を信じていない人は「お金」「地位」「偏差値」などが、神様の代用になってしまい、世界の見方がゆがむ。

 格闘技さえ、アジアではゆがむ。中国のカンフーは踊りに見える。だから、ブルース・リーが改革しようとした。権威者を絶対視するもんだから、現実が見えなくなっているんだね。

 日本の空手も同じで、偉い人が「型」を作ると、それが絶対になってしまって批判が許されない。だから、極真館の大山倍達さんがフルコンタクト空手を主張して人気を博した。

 欧米は、人に権威を認めないのが原則だから

「試合に勝った方が強い」

 というシンプルさ。こっちの考え方に、アジアの権威主義はとうの昔に敗れたんだよ。

 キリスト教が、近代文明の基礎と言われるのは理由があるんだ。

 予備校講師や学校の先生の権威に盲従して、理由も分からないのに言われたとおりに数学の問題を解いている生徒は、必ず行き詰る。トップクラスの生徒というのは、有名講師であろうが

「そのうち追い越してやる」

 と、権威なんかに服従しないもんなんです。


 この「ニーファイ第一書」には、鉄の棒の話が書いてある。たとえ話なんだけど、鉄の棒はキリストの言葉。それに、しっかり捕まっていれば河に落ちないと書いてある。河は地獄のようなもの。

 こんなこと書くと

「やっぱり、作り話のお説教」

 と感じるかもね。でも、イスラエルとかユダヤとか固有名詞を外して読むと、要するに神様の言葉が拒否されてイエスは殺され、その教えは乱されて、失われて、でも、時代の変遷を経て異邦人に渡り、異邦人からユダヤに戻されるようなことが書いてあるんですね。

 聖書の書かれる前だから、2000年以上前に書かれたこと。確かに、イエスの処刑によってキリスト教は禁じられて、書かれた内容もおかしくなった時期があった。中世の頃は教会が堕落した。すると、周辺国だったドイツの方から宗教改革が始まった。

 今では、キリスト教の教えは中東からヨーロッパ、ヨーロッパからアジエへと広がりつつある。まだ完成はしていないけれど、2000年の時をかけて、聖書の話は実現しつつあるのではないのかな。そんな思いを持つ。

 聖書に出てくる人々は、“善人”ばかりの作り話と思う日本人が多いみたいだけれど、事実はまったく違う。4人兄弟の上の2人は親の言うことなどまったく耳を傾けないロクデナシ。

 その後、この家族は海に出るのだけど、なんとなくノアの箱舟っぽい。ノアの箱舟の話は今から4000年以上前の話。ニーファイたちの話は2000年前の話なんだけどね。

 すごくない?

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