他者の声に耳を傾け、異なる文化に対する感性やまなざしを磨く質の養成へ-私はどのような養成を受けてきたのか?(2)―

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前回は、日本語教師養成のなかで直接法の「(修正不可能な)揺るぎない確信」がなぜ刷り込まれたのかについて、私自身の養成体験について書いた。では、私はそこからなぜ離れていったのか、そして他者の声に耳を傾け、異なる文化に対する感性やまなざしを磨く質の養成へつづく、次の段階の経験について書いてみよう。

タイの大学で働いているとき、学生たちからいかに意味のあるアウトプットを引き出せるかということについて考えている折に、細川他『考えるための日本語』(2004)を読み、「総合活動型日本語教育」というものを知った。

その後、自分なりにそのような活動をした後で、早稲田大学大学院日本語教育研究科の細川研究室に入って「総合活動型日本語教育」を見た。

大学院の実践研究という授業の一環で同じ研究室出身の人が担当している「総合活動型日本語教育」クラスのTA(ティーチング・アシスタント)になった。そのクラスの担当者(古屋憲章さん)は、自分が知っている(思い込んでいる)日本語教師とは全く異なる人だった。

まず、微妙に猫背で声が小さい。いつも座っている。背筋は伸ばして、声は大きく、授業中に教師は座らない!ということを養成講座では明示的、暗示的に刷り込まれてきたし、自分の授業でもそうしてきた。そこで、自分が話す番になったときには、その人に見せつけるように、背筋を伸ばして、大きな通る声で、そして「ゼロ初級の学習者」にもわかりやすいように大きなジェスチャーを伴って、これが日本語教師と言わんばかりにホワイトボートの周りを闊歩した(練り歩いた)。

その人は静かに芝居がかったような私の発話を聞いていた。そのあとで、また自分のスタイルで淡々と授業を進めた。授業が終わった後、TAとして参加していた別の院生が行った。

「松井さん、あの時何か出てたね。」

そうだ、「これが日本語教師だ!」と見せつけてやった気分が半分。でも、実は「あの時、一体自分から何が出てたんだろう?」という気持ちも半分あって、帰りの電車の中で恥ずかしくなった。

その後も授業は続き、その人は相変わらず微妙に猫背で声が小さかった。いつも座っていた。様々な国からの留学生を対象としたクラスなので、直接法とはまた別の文脈で日本語でのコミュニケーションが中心となっていたが、必要に応じてフランス語などTAができる言語での説明なども組わせて授業が行われていた。その人自身も中国語ができる人だったので、時折中国語での会話なんかもあったように記憶している。

こんな状況の中でその人は学生に日本語でじわじわと問いを投げかけ、学生はその人から発せられる小さな声に耳を傾けていた。そのうち学生はぽつぽつと話し始め、半期後の授業が終わる頃には自分の考えていることを結構自由に話すようになっていた。その人は周到に準備され、計算され尽くされた「マジック」ではなくて、いつもと全く変わらない自分のふるまいだけでここまでの「学習成果」を出した。

しかし、ここで言いたいのは直接法をやめて「総合活動型日本語教育」をやればよい、という単純なことではない。それぞれの教育現場には、その教室が置かれている社会的な文脈があって、教師にはそれぞれの教育観があって、それらをもとに毎日の授業が行われている。そのような社会的な文脈や教育観を無視して、とにかく「総合活動型日本語教育」をやれば「学習成果」が出るということでは全くない。そもそも、この両者が「学習成果」と判断するモノの質は相当異なっているように思われる。

だから、ここで考えたいことは教師養成と直接法を手掛かりに、さまざまな日本語教育が置かれている社会的な文脈やそれに適応した教育観(=「(修正不可能な)揺るぎない確信」)についてである。

とにかく、その授業でのその人のふるまいを見て、こちらの方法のほうが良いなあと思った。知恵熱が出そうな教案作成や舌が引きつりそうな語彙のコントロールをする必要もないし、何より作り込まれた先生を演じる必要がない。一個人として人ときちんと人と関わればと良いのだ、という発見はものすごく自分を楽に(自由に)した。

でも、それはただの楽な方法でなくて、言語教育における自分の立ち位置や対話のセンス、あるいは経験そのものの積み重ねなど、やはり一定期間の養成が必要とされるものであったことも確かだった。それは、例えば語彙のコントロールといったような技術論ではなくて、他者の声に耳を傾け、異なる文化に対する感性やまなざしを磨くといったような質の養成であったように思う。

ずいぶん遠回りをしたが、その人の授業に参加したあとで、あの日、歎異抄の注釈の次に聞いた「日本語コミュニケーター」ということばを何年かぶりに思い出した。

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