鬱で歩行困難な30代失業者が「進撃の巨人」に感動し1人起業した話
こんにちは!
天空を目指し突き抜けるかのようにそびえ立つ巨大な大阪名物
「あべのハルカス」
が見える場所に住んでいるSYU1といいます。
現在私は時間や場所にとらわれずパソコン一台で自由に稼ぎ大好きな音楽を趣味でやりながら
ノマドロッカーというスタイルで生活しているのですが、
今日は私がそんな生活に至ったきっかけを映画風にまとめながらお伝えしていきたいと思います。
これは会社勤めをしていたごくどこにでもいるような社員だった私が
30代半ばの時に仕事から鬱状態で足が動かずまともに歩けなくなり、
そのような状態から自分の足で文字通り自立するきっかけとして
インターネットで最初に5万円を稼いだ時のできごとを映画仕立てで書きつづったものです。
その後はさらに右肩上がりで10万円、15万円、20万円といったように伸びていき
現在はほとんど自動的に収入が入る仕組みを作り出すことに成功しています。
ネットで稼ぐためには最初コツコツと続けていくことが大切ですがその最初のきっかけや人生を変えるための手がかりとしていただけたら。
ということで、読みながらまるで映画館にいるかのような臨場感を少しでもお届けできたらなと思います。
今回、モチーフにしたのは私が実際に観に行った「進撃の巨人」の実写版映画。
それまで、原作は一度も読んだことがなく何となく世間一般で流行しているので名前を聞 くぐらいの印象でした。
なんていう巨人の声が聞こえてきそうですが
観に行ったきっかけは子供の頃好きだったギリシャ神話をモチーフにした映画
「タイタンの戦い」「タイタンの逆襲」を以前に見ていて映像や世界観がよく似ているなと感じたからかもしれません。
そんな何の先入観も持たず映画を見終わった後の私には、それまでにない
大きな感動 (泣けるという意味でなく、文字通り「感情を動かされる」という意味で)を味わいました。
巨大な壁に囲まれ毎日を安定の中で過ごす人々。
しかし、突如超巨大な巨人が現れ人々の生活は一変します。
大きな感動を味わったのはちょうど、その頃起こった私の身の回りの出来事と重なる部分があったからかもしれません。
先の見えない今の世の中、その中で壁の中に安住することなく壁の向こうの世界を目指し戦う主人公たちの姿と小さな者が巨大な者に立ち向かう姿は大きな勇気をくれました。
では、そんな思いも込めつつまもなく本編をスタートしたいと思います!
Chapter1.展望台から
ある平日の昼間、あべのハルカスの展望台から地上を見下ろす。
私は目の前に広がる景色を見ながら色々なことを振り返っていた。
突如足が動かなくなったあの日、インターネットを通じて自分の考えや思いを発信しようと決めたあの日、
ハルカスを見上げながらひたすら一歩ずつ歩いた日々。
多くの人が忙しく働いているこんな平日の昼間からハルカスの展望台に迷いもなく来れるのには理由がある。
その少し前まで、私は多くの人と同じように昼間は職場のデスクでパソコンのキーボードを叩いたり、山のような書類と毎日向き合いながら仕事をしていた。
しかし、ふとしたきっかけから心のバランスを崩してしまい
ある週末の土曜日、気晴らしに運動しようとジムへ行った帰りに突然足がもつれ普通に歩くことができなくなってしまった。
まっすぐ歩こうとしても足が勝手に交差し思うような方向へ歩けなくなる状態に。
その日は一歩一歩足元を確認しながら何とか家にたどり着いた。
元々、私は仕事をうまくこなせる方でなかったし、それまでにも仕事上のことで何度か心のバランスを崩しかけたことがあった。
ただ、今回のように体にまで異常が起こるのは初めてで、
「ついにこれまでの傷が一気に開いたのかもしれない」と感じた。
二ヶ月ほど休職し、その後復帰するもわずか二日で同じ症状が現れやむなく再び休職に。
その後も何度か休職しながら復職を試みたが、会社へ向かう電車に乗った瞬間から気分が悪くなったり
電車に乗っている時は何ともなくても会社のある駅に降りた瞬間に足元が崩れホームの階段の手すりにつかまりながら歩いたり、
会社までたどり着いても仕事中に体調を崩すという状態の繰り返し。
その後、復職のための適性検査を受け、何度か復職の面談があったのだが検査の結果などから今の仕事に向いていないという内容の診断を受けた。
また、思い込みが激しく失敗を重ねていたことがあったのでそうした部分からも復職自体 はできてもその後が難しいだろうということだった。
それまで心のどこかで感じつつも何とか自分なりに働いてきたけど
やはり自分は社会人として不適合者だったのか。
胸をピストルで撃ち抜かれたような気持でショックだった。
その瞬間に社会人としての私は死んだ。
北斗の拳の「おまえはもう死んでいる」じゃないが「私はもう死んでいる」状態である。
しばらく失意の状態が続いた私はそれまでにも何度か実家へ帰っていたが
退職後、一度実家でしばらくゆっくりと過ごすことにした。
昼間から実家のソファーに腰かけくつろいでいるとテレビで頭脳パズルのようなクイズ番組が再放送されており、
次々と出てくる問題を家族と一緒に見ながら気晴らしにあれこれとクイズの答えを出し合っていると、家族の中でただ一人私だけが正解していた。
父は大手銀行の元社員、母は元学校の教師で学力や仕事において私はとても及ぶ存在ではないのだが、
子供の時から私は漫画や特撮ものなど空想を形にしたものが好きでブロック遊びなどをしていると時間を忘れて集中するようなタイプだった。
両親のように学力や仕事ができるといった部分では及ばないけれど、クイズを解きながら私はアイディアやひらめきといった部分で何か違う力があるのかもしれないと今さらながらに感じた。
度重なる休職と復職の繰り返し、そして遂に仕事を失うこととなり
心のバランスはさらに崩れ半ばもうろうとしながらも私の頭の奥底に隠れた巨人は静かに動き始めていたのだ。
会社員としての私はもう死んでいる。
しかし、「一度死んだ人間は強い」と本で読んだりどこかで聞いたような言葉を思い出した。
失うものが何もないから迷いなく生きれるという意味である。
そう、そんな言葉のように気づけばその時の自分にまさに失うものは何も無かった。
思い込みが激しいと言われたが、私はそれを否定的にとらえることなく発想転換し
「思い込めるのが自分の才能」だと言い聞かせるようにした。
ものすごく小さなことかもしれないけど
実家に帰った際、テレビのクイズに次々と答えられたのはある意味才能かもしれないと。
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