第4話 最初の月末「社長、1,000万円足りません」

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2008年3月末。

僕がオンデーズに乗り込んで最初の1か月目が終わろうとしていた。

最高気温は10度を下回り、厳しい寒さが残る東京には、まだ当分、春の訪れは聞こえてこなそうだ。

この頃、日本から少し離れた台湾の地では総統選挙が行われ、中国マネーを引き入れ経済再建を図る政策を掲げ、中国との交流を強く打ち出している親中派の馬英九氏が圧勝し、8年ぶりの政権交代を果たしていた。今ではオンデーズの最も重要な拠点の一つになっている台湾だが、当時の僕はそんな日が7年後にやってくることなど想像の片隅にも置いておらず、最大の親日国で起きている大きな政局のうねりなど、この時はまだ気に留めることすらしていなかった。

オンデーズの社長に就任してからすぐに、本部社員全員との個人面談、旧経営陣からの業務の引き継ぎ、逼迫した資金繰りの実態把握、メガネの製造販売についての基本的なビジネスの仕組み、etc…。まさに連日連夜、雪崩のように次々と押し寄せてくる課題を無我夢中でこなさなければならず、気がつけば1カ月という時間は、瞬きをするかのように、あっという間に過ぎ去って行った。

新しくCFOに就任した奥野さんも、僕と同様にウォーミングアップする間もなく、入社するやいなや、いきなり月末の資金繰りとの格闘の場に放り込まれていた。

「どうすんだよ・・これ。いきなり1,000万円以上足りないじゃないか。今からこの金を用意するのなんか、どう考えても・・無理だ・・。」

社員の帰った薄暗いオフィス。引き継いだ稚拙な資金繰り表をシュレッダー箱に放り捨てながら奥野さんは自分のデスクでため息まじりに呟いた。

話を少し前に戻そう。今回のオンデーズM&Aの計画について、実は各取引銀行や大口の債権者達には、その一切を知らせずに全てが水面下で進められていた。なぜならこの時のオンデーズの借入金は、ほぼ全てが無担保・無保証で行われていたからだ。つまり連帯保証人や担保の差入が一切されてなかったのだ。これは銀行にとっては、貸付金が焦げ付いても有効な回収手段を持たず、即座に不良債権化してしまう可能性が高い危険な融資であることを意味していた。

そんな危険な融資の付いたオンデーズをRBSが売ろうとしている。しかもその相手は、わずか30歳の「チャラついたガキ」だ。更に資金も担保も無い胡散臭い小さなベンチャー企業の社長ときている。こんな相手に会社を売ろうとしていることが事前に取引銀行に知られてしまえば、会社売却の計画そのものに対して猛反対に合い、RBS本体や社長個人の連帯保証まで強く求められるか、厳しい返済を迫られることになるのは、火を見るよりも明らかだった。

ちなみに"ほぼ全てが無担保・無保証"と書いたのは、ビジネスライクで有名なS銀行だけは唯一、RBS名義の定期預金5,000万円を担保に取っていた。またその担保のことは他の銀行には内緒にされていた。良くも悪くも是々非々で対応するS銀行の姿勢は、ある意味「さすがS銀行」とも言えるのだが、奥野さんは、この隠れ担保を知ると憤りを隠せない様子で語気を強めて言った。

「多数の銀行から借入をしている会社がこんな事をしちゃダメなんです。銀行との信頼関係は命綱でもあるんです。特定の銀行の抜け駆けを認め、他の銀行を欺くような行為は結局、疑心暗鬼を呼び、自分を窮地に追い込むことになる!」

こうして決算日である2008年2月末日の翌日、RBSと僕たちは電光石火の早業で、秘密裏に増資の実行と経営陣交代の手続きを済ませ、登記手続までを終えていた。そして「既成事実」として各銀行へ経営陣の交代を通知すると同時に、慌ただしく引継ぎの挨拶まわりの日程をねじ込んでいったのである。

「あーこれは、これは、澁谷社長!どうもわざわざお越し頂きましてすみません。」

「いえ、いえ、こちらこそ急にお時間取らせてしまって申し訳ないですね。」

RBSの澁谷社長は、某有名銀行の出身で、誰もが知る総理大臣経験者の大親友であり、金融庁元長官がRBSの顧問に就任していたり、さらには多数の銀行頭取と懇意の仲…等々、恐るべき人脈を持つ人だった。想像に難くないが、急なアポ入れにも関わらず、全ての銀行において支店長自らが、そんな澁谷社長を快く出迎えた。

しかし、挨拶がわりの社交辞令も交えた和やかな世間話も終わり、澁谷社長が本題に入ると、皆一様に顔を曇らせた。

「実はね、先立ってお伝えした件なんですがね、私どもが見ているオンデーズの経営を、今後はここいる彼にお任せしようと思って今回はご紹介に伺ったんですよ。やはりこれからの時代は、こういう若い経営者の方の新しい感性でもって、経営に臨んでいかないとダメだと思うんですよ。」

「はあ・・。若い・・感性・・ですか・・。」

澁谷社長から「新社長」として紹介された僕に対して、居並んだ銀行員たちは明らかに困惑し嫌疑の視線を投げかけていた。無理に笑顔を繕おうとするその頬は、引きつりピクピクしている様にも見えた。

それもそのはずである。ほとんどの銀行にとって、このタイミングでの急なオンデーズの身売り報告は寝耳に水の話であり、銀行サイドの今後の方針はまだ何も定まってなどいなかった。

(自分たち銀行は、このオンデーズの実態をほとんど把握していないぞ。さてどうしたものか…それにしてもこんな、どこの馬の骨ともわからない若造に、いきなり会社を売るなんて、勘弁してよRBSさん・・・。ひょっとして前期に続いて今期もオンデーズは赤字になるんじゃないだろうな、それも大幅な赤字とか・・)

どの銀行の面々も、そんな内心の葛藤を想像させるような複雑な表情を垣間見せながら、このタイミングでの会社売却にあからさまな不信感を募らせつつも、差し障りのない会話に終始していた。

自己紹介を交えながら、今後の再生計画を必死に説明する僕の言葉は、まるで耳に入っていない様子だった。

奥野さんは、ある地方銀行との引継ぎを終えて次の銀行に向かう途中、前を歩くRBSの2人に聞こえないように僕に囁いた。

(どこの銀行も、おざなりな財務分析で、これだけリスキーな貸し出しを無担保・無保証で膨らましておいて…私たちの今後の計画を聞くときなんか、ほとんど上の空みたいで、再生に協力するどころか現状認識すらまともにできてない。これじゃあ、先が思いやられますね・・。)

ちなみに、この引継ぎ挨拶の後、この時の支店長達のほとんどの方々は二度と僕と顔を合わせてくれることはなかった。

こうして銀行関係の引き継ぎと状況説明を終えて、RBSから僕たちに経営のバトンが完全に渡されたわけだが、その時点で3月の末日まであと10日を切っていた。そして予想される初月の資金ショートの額はおよそ1,000万円だった。

しかし今から銀行に融資の申し込みをしても、月末に間に合う可能性はかなり低いし、新体制のドタバタを露呈することにもなりかねず得策ではない。 まずは月末の全ての支払予定を一覧にし、各部署の部長達にヒアリングしながら、支払いを待ってもらえそうな先をピックアップしていった。

「冗談じゃない!!今更『会社の経営が苦しいから支払を待ってください』なんてお願いができるか!何で俺達が取引先に頭を下げて回らなきゃならないんですか!?」

各部長達は、当然、新社長が苦しいオンデーズに資金を入れてくれると思っていたのであろう。「支払いを待ってもらえるよう交渉してきてほしい。」という僕の指示に対し、各担当者達は、声を荒げて抵抗する者も入れば、言葉にこそしなかったが、露骨に不満の表情と非協力的な態度を見せる人もいた。

それはそうだろう。今まで散々偉そうにして発注していた取引先に対し、急に恥も外聞もなく頭を下げろと…そんな仕事を進んでやりたがる人などいなくて当然だ。

しかし、資金ショートする事態が避けられないのであれば、一部の取引先への支払いを待ってもらわなければ、今度は社員達への給与がいきなり未払いになってしまう。それだけは何としてでも避けなければならない。

よく業績が悪化して資金繰りに窮すると、銀行への返済を真っ先に優先して、最初に手をつけやすい従業員の賃金をカットしたりリストラをする企業があるが、それは絶対に間違いだと僕は確信していた。特にオンデーズのような「人」の要素が重要な小売サービス業ならなおさらだ。

同じ1万円でも、銀行が受け取る金利の1万円と、従業員が給与として受け取る1万円では、その重さは比べるまでも無い。従業員の給与には生活の全てがかかっている。これを急に予告もなく減らされたり、遅らされでもすれば、一気に会社に対して不信感を抱き、働くモチベーションを落としてしまっても仕方ないだろう。一度でも給与を遅配すれば、すぐに転職活動を始める人も出てくるかもしれない。

「辞めることを決めている従業員は、普通に働く人の半分以下の生産性しか産み出していない。」

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