あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。
自分が卒業した母校である専門学校の先生。専門学校の、Web学科の講師。なんとなく当時のブログに書いていた日記をここに改めて書いてみようと思う。
あのとき、何が起きたのか。
あのとき、僕は何を考えたのか。
あれから、どうなったのか。

2008年03月10日22:08 「伝えたいことがある」

いままで、いくつものプレッシャーを感じてきたし、今、学校の先生という立場にたっても、
また別のプレッシャーを感じる毎日。
でも、こういう話が一番辛い。
一番、寂しい。
二つ、「退学希望」の話が出てきた。
一つは「ついていけない」という話。
それは、仕方のないことなのかもしれない。まだ19歳。これからいくらでも可能性があると同時に、それは「これまでに経験してきたことの少なさ」を物語ることにもなる。
初めから完璧に自分の人生を選択できる人なんて大人でも難しいのだから、この前まで高校生だった子に、それはとても難しいことなのだと思う。悲しいことだけど、本人の選択なら諦めもつく。
もう一つが辛い。
こっちの問題は、家庭の事情。
いや、詳しくは書けないけど家庭の”問題”と言った方が適切かもしれない。
学生には、どうしようもない。こういうのは、本当に辛い。
先生という職業についたおかげで発生した、今までまったく受けたことのない苦しみだ。
この子は、高卒現役で入学してきた学生。女の子。
専門学校のWeb科には時代の流れなのか、就職難のあおりなのか既卒(高卒浪人や大卒、大学中退者)が多い。つまり彼女は学内の最大派閥ではあったとしても”年下”だった。その中でも、彼女は持ち前の度胸を発揮して学内でディレクターを全うした。
物言いが強く、勝気で、どこかちょっとヌケているんだけど、不思議と、人がついてくる。
大人っぽい容姿も影響しているとも、思う。
半年前、新任の僕に臆せず「ディレクターになりたい」と言い放った。
僕は教員になるまで、専門学校生にとって大手Web制作会社が狭き門だということを知らなかった。それはそうだ、だって、僕自身が専門学校卒という学歴皆無な人間だったのだから。
仕事に溢れ常に人材難であるWeb制作業界は、頑張りさえすれば誰でも入れるのだと思っていた。でも、それは間違いだった。いや、正確には「学歴がそれほど影響しない」というのは今も昔も事実だったが、それは「キャリア採用に限った話」だった。新卒採用はほかの業界と同じく、学歴フィルターとは言わないまでもやはり専門学校生には厳しかった。
それは学歴という物差しによるものもあるし、2年間と4年間という学習期間の違いからくるものもあったと思う。
僕には、それが納得いかなかった。実際に自分が働いていたWeb制作会社や大きな印刷会社は、どこでも学歴なんか関係なかった。そもそも雑談以外で聞かれもしない。大事なのは「何をしてきたか」ではなく「何ができるか」だった。だから、僕はそれがわかったとき、専門学校生の就職事情を知った時から、一つの目標を自分に掲げた。
「自分がいたクラスのWeb系企業に、一人でも多く生徒を送り込む」
勝算はあった。それは、専門学校生だから。就職する時点でまだ二十歳。大学卒より2歳も若い。その若さは武器で、大学生ほど”応募者として完成”している必要がない。そしてWeb制作会社がどんな人を求めているのかもわかる。
新卒を採用する以上ある程度は教育が必要なのは大前提だとしても、多くのWeb制作会社は体力がない。おのずと「できる限り早く即戦力になりそうな人」を求める。”いま即戦力っぽい人”じゃない。ちょっとばかり力がある故に鼻っ柱の強いような奴は嫌われる。求めているのはあくまでも”近い将来にそうなってくれそうな人”。
所詮は学生、本当の即戦力なんてそうそういるはずもないし、それはキャリア採用でとればいい。なんとなくWeb制作のことがわかって、ある程度PhotoshopやDreamweaverが使えて、あいさつができて、何よりチームワークができて組織になじみやすい人がいい。
「だったら、制作会社と同じように動いてみればいい」
それが、僕の考えた最初の戦術だった。インターンシップとして、外部の企業やお店、メーカーと組み、彼らクライアントのWebサイトをつくる。それも、個人ではなくチームで。個人で1から10までやるようなことは他の授業でもできる。自分の趣味でもできる。そして、Web系企業は一人で大それたことをやる人を求めているわけじゃない。みんなで何かをやり遂げられる人を求めている。だから、僕はチームを組むことにした。

その時、僕は学生達に聞いた。
”やりたい職種はあるか”と。

前述の「臆せず~」というのは、そのときの彼女の話だ。
まだまだ業界のことも自分のこともわからず、ほとんどの学生が職種を絞れない中、彼女はただ一人、大きく「ディレクターをやりたい人」に挙手した。しかも、その時僕はまだ新任の新任。確か、初めての授業だったと思う。
初出勤でいきなり授業。自分でもよくやった方だと思う。
コミュニケーションなどなかなか取れない。
お互い手探り。正直、大変だった。
初授業を終え職員室に戻ると、お母さんのように優しい先生が僕のところへ、微妙に左右に揺れながらトコトコと歩いてきた。そういう歩き方をする人なのだ。それがまた、この先生の優しさを醸し出してもいる。通称、”マザー”。
”マザー”は、僕にこうたずねてきた。
「○○さんって、誰かわかった?」
僕は名前を覚えるのは早い。
顔と名前は一致します、と答えた。
彼女は、僕に告げる。
「あの子、Webディレクターになりたいんだって。以前からずっと言ってるのよ」
笑いながら、彼女はこう続けた。
「うちの学校の先輩に、大きなWeb企業でディレクターやっている人がいるのよって言ったら、目を丸くしてたわ」
「今度、その人が先生として来るって言ったら、凄くびっくりしてたのよ」
笑いながら、”マザー”は僕にそう伝えた。

ディレクターになれる奴となれない奴というのは、ほぼはっきりしていると僕は思う。
そしてそれは、その人を見ていればだいたいわかるような気もする。
論理思考、コミュニケーション能力、プレゼン力、柔軟性、本質を見抜く力、人間を見る力、リーダーシップ・・・、Webディレクターという職業には本当に多様な能力が求められる。
なのに、なんとなく、見ればわかる気がする。向いているか、向いていないか。
その学生は、向いていると思った。
僕とはタイプが違う。それほど論理力の強いタイプじゃない。
でも、類まれなるリーダーシップ、発言力がある。僕には、それがない。
とてもコメディな言葉だけど、一番わかりやすく表現するなら「ジャイアニズム」。
彼女には、それがある。
かくして、僕はプロジェクトのディレクターに彼女を指名した。
本人ご希望通り。
まだまだ10代の子供。至らぬところだらけ。原石は所詮、原石だ。
怠慢もあれば、辛くて悩んでいるときもあった。
年上もいるプロジェクトメンバーは、さぞかし扱いづらかったろう。
そもそも、人の動かし方、接し方、仕切り方のイロハを何も知らない。
そして、ある意味これは本当のWebディレクターより難しい。
周りは仕事でやっているのではないのだから。

でも、彼女はやりとげた。
家庭環境も決して良いとはいえず、バイトをしながら家にお金をいれているらしい。
だから、大事な授業以外は、ちょっと休むこともあった。それでも出席率が劣悪になることもない。きっと、調整していたのだろう。だから、僕の授業はほとんど休んでいない。
しかし、休めば成績には反映される。結果的に彼女は、優等生といえるような成績ではなかった。でも、やっぱり激しく悪い成績でもない。
「実績だけならNo.1」
学内での彼女の評価。
卒業する年次の学生も含め、きっと一番忙しい学生だったと思う。
学内外の活動で、彼女はなんと内部特待生候補にまであがった。本来、彼女の成績ではありえない。オールAか、それに準ずる成績でないと審議にかけられることすらないのだから。
いろんな活動をしていて、いろんな先生が指導をしている。
でも、おそらくあの子に一番影響を与えたのは、自分だろうなと勝手に思っている。ディレクターのイロハは、学内全てのプロジェクトに使える。言ってしまえばそれは「段取り力」だから。
就職に関しても複数の大手Web系会社の面接が順調に進んでいる。
うまくいけば、学内で一番早く、しかも学園史上まれに見るようなネームバリューのある会社に内定が決まるかもしれない。
彼女は、この業界のエリート街道にのってバリバリ働ける、彼女自身が夢見る人になれるかもしれない。少なくとも現時点ではその可能性を大きく持っている。
そんな学生が、本人の意思でもないのに、夢を、その可能性を手放さなければならないかもしれない。
辛い。これほど辛いことはない。
まだ、教えなきゃいけないことはたくさんある。

先輩教員を見ていると、ときどき思うことがある。
「トレーナー冥利」というものを。
やはり、原石があれば磨きたいし、良いプレイヤーにしたい。
そういうことに心血を注いで、学生を仕立てる先輩を尊敬する。
そして同時に、僕には向いてないなとも思う。
僕の手柄なんて、僕には割とどうでもいい。
僕の手によって良いプレイヤーが生まれても、それで僕の手柄になって誰かに褒めて欲しいとは、あまり思わない。目の前にいる生徒に、幸せになって欲しい。友達も、先輩も、後輩とも同じ。目の前にいる人に幸せになって欲しい。ただ、それだけ。
だから、教えなきゃいけないことがたくさんある。
その生徒のために。
いや、幸せになって欲しいと願う僕のために。
僕と同じ志を持ち、後ろを走り出そうとしているその人に幸せになって欲しい。
だから、なんとしても避けたい。
大人の都合で、夢を振り回したくない。


それに、僕は一番大事なことを教えていない。
たくさんある、教えなきゃいけないことの全てを放棄してでも、伝えなければいけないことがある。それこそが、僕の責任だとも思う。


期末試験の解答用紙の裏に、手紙を書いて良いかと、学生に尋ねられた。
成績には反映しないよ、と前提をつけて僕は許可した。
彼女はニヤニヤしながら僕にこう告げた。

「じゃあ、とくちゃんにギャル語で手紙書くね」

まったく、読みづらいったらありゃしない。
頑張って読み解いたよ。

たくさんある、教えなきゃいけないことの全てを放棄してでも、
答えなければいけないことがある。
僕は、一番大事なことを教えていない。




「Webディレクターって楽しい?」


2013年08月19日23:54 「伝えられなかったけれど」

もう5年も前の話です。
いったい僕は誰に向かってこんな暑苦しい文章を書いていたのかと不思議になるけれども、書いていることそのものに嘘はないです。
結局、彼女は本人の努力で家庭の事情と戦い、進級という道を自ら勝ち取りました。うん、無事、専門学校生を続けられた。
ただ、その後、僕は結局あの質問には答えられてない。
定期試験が終われば基本的に学生は春休みに入り、教員は成績評価と次年度の準備にてんやわんやとなり、一か月以上顔を合わせなくなる。また、彼女自身のあのゴタゴタの問題もありそれどころではなかった。そうこうしているうちに新年度になり、新入生が入ってきて、その対応に追われるとともに、様々な事情で彼女は僕が直接的に指導をする対象から外れてしまった。
でも、こちらの勝手な思い込みかもしれないけれど、きっとあの質問に答える必要はなかったのだろうと思う。
たぶん、答えなくても、僕がどう思っているかはわかっていただろうから。


彼女は、その後のもう1年もしっかり頑張って無事に卒業しました。
あのとき面接まで進んでいた大きなWeb系企業の内定を、見事なまでの早さで勝ち取り、専門学校卒の新卒として就職しました。
最近転職をして、今度は誰もが知るWebサービスの会社で頑張ってます。すごいなぁ。
あのときのあの質問に、僕は今でも答えられてないのだけれど、それで良かったのかもしれない。人に楽しいと言われてやるような職業ではないし、やっぱり、答えなくてもわかっていただろうし。それに、いま、しっかりとこの業界で活躍できているのだから。僕にとってはそれが何よりもうれしい。

でも、一応答えておこうかな。
5年越しの返答だけど。




「うん、楽しいですよ」

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