ぼくがしっているさいきょうのきぎょうせんし。かれはしゃべらない。あとおにぎり。

新大阪に売っていた、ちょっと高価なおにぎりの話。
「とん蝶」というおにぎりです。
http://www.honke-kinugasa.jp/tontyou.html
※調べたら、いまはもう新大阪には店舗がないみたいですね。

これ、僕大好きなんですよ!
あーもーたまらーん!
でも、そんなに好きなのに、かなり大人になるまで僕は自分で買ったことがありませんでした。
新大阪に売ってるんですけどね。
こんな時代ですから通販でもなんとでもなりそうですが、賞味期限が当日のため通販もできないんです。かといって、大人になってからわざわざそのために電車で新大阪なんていけないし。だから、つい数年前まで買ったことがなかったんです。
じゃあなぜ、食べたことがあるのか。
なぜ、そこまで好きになるほど知っているのか。
それは、親父が買ってきてくれたから。

さいきょうじゃないおみやげ

僕の父は、当時東証一部上場企業であり、国内業界二位のナショナルカンパニーに勤めていた人です。親父は、当然国内外に数多の支社を持つその企業ですから、遠方への出張も珍しくなかったんです。すると、だいたい親父は何かしらお土産を買ってくる。といっても、観光に行ってるわけじゃなし、大抵は誰もが知ってる駅や空港のお土産屋さんに売ってるような名物系のものが多かった。
「名物にうまいものなし」とはよくいったものだけど、饅頭とかモナカとか、そもそもが甘いものが好きではない僕には大して期待するものじゃなかった。母が、京都のスハマ団子?だったかなんだか、練りもののお茶菓子みたいなものが好きで

「京都に出張に行った時には買ってきてよ」
※母は箱女ではありません
と頼みだして、しかし忙しい親父は何度か忘れてました。あと、見つからなかったり、間違ったり。母はそれを見て苦笑いしながら「もー!」と悔しがっていて、だからフレーズとしても何度もでてきて、故に興味がないにも関わらず、幼い僕の記憶にも定着することとなる。
そして何度もねだられた後にやっと親父の頭にも定着したのか、しばらくして忘れずに買ってきた。人よりかなり親の顔をうかがう癖のあった僕は、会話に加わることはないくせに耳では勝手に聞いていて、名前ばかり頭に叩きこまれたそのお土産を初めて見て、初めて食べて、自分の好みの味だったのを今でも覚えています。(その後、「減るペースが早過ぎる!」と母に怒鳴られることになります)
自分も何かねだりたいなと思ってはいたものの、小学生が地方の名物などわかるわけもなく、ねだろうにもねだるレパートリーがない。だいたい、親父は超がつくほどのスパルタだったので、怖くて話し掛けられなかった。むしろ、あの当時の僕は親父が怖くて怖くて、帰ってこない方が嬉しかったぐらいなのだから。
そう、僕は子供のころ親父が大嫌いでした。
勉強だけしてきた学歴エリートの世間知らず。部活動のひとつもやらず、友達も少ない。だから価値観も狭い。よくテレビドラマなんかに出てくるエリート企業のエリートお父さんを思い浮かべてください。学校の成績ばかり気にして、それがすべてで、価値観で子供を縛り付けるような人。そう、その人です。そのまんま。無口でぶっきらぼうでスパルタなので、普通に野球をTVで見ているだけでもう怒っているのかと毎日怯えてました。
でも、そんな親父は必ず出張に行くとお土産を買ってきました。しかし、業務出張なのだから同じ所へ何度も行くわけで、あんまりそういうものを選ばずに似たようなものを買ってきてしまうような親父もさすがに飽きてきたのか、僕がねだらずとも何回かに一回は冷凍の明石焼(タコ焼き)とか、ご当地の生ラーメンだとか、遊び色の強いものも買ってくるようになった。

けれども、その手のものはその場ですぐ食べられるものではなく、たとえそれがレンジでチン程度のものでも、タイミングから量まで母の管轄に入ることになる。食べればおいしかったけど、夕食や休日の食卓が彩るぐらいで、親父と並んでハフハフ言いながらラーメンなんか食べて「うまいなぁ」と二人で思うぐらいのもので、僕にとっては「まあ、饅頭とかよりはいいな」ぐらいのものでしかなかった。

しこうのおみやげあいてむ おにぎり がきた


小学生3年生だったか4年生だったか。
そんな時でした。親父が”とん蝶”を買ってきたのは。
はじめは家族分の三つだけ。
僕には妹が一人いるのだけど、他にも定番のお土産があったから、皆が欲しがれば最悪親は一つを2人でわければ良いと考えたんだと思う。笹柄をデザインされた包装から出て来たのは、もち米の、コンビニに売っているのよりだいぶ大きいオニギリ。
おこわ?と聞く僕に母は、そうじゃないかしらねぇと答え、よくわかってもいないくせにそうかおこわかと意味もなく納得した僕は、幼い僕の手にはあまりにも大きなその”オニギリ改めおこわ”を頬張る。それが、一口で虜になった瞬間。
クラスでも前から3番目とか4番目の小さな身体だったくせに(今は見る影もない)、自分の掌の倍はあろうかというその好物を即座に食べ切った僕は、次の瞬間には残念で仕方がありませんでした。なぜなら、あと二個しかないから。ただでさえ家族分には一個足りないのに、あれが自分のためのものであるわけがない。
でも、食べたくて食べたくて仕方なくて、怖い親父を前に本当に勇気を振り絞って「もっと食べたい」と一言いうと親父は、自分は試食で少し食べたから母さんがいいならいいぞと言ってくれた。母は「じゃあ半分つっこね」と言って、どう考えても半分になってない、三角の尖ってる方を少しだけ取って残りを僕にくれました。
ペロリとそれすらも平らげた僕は、当然最後の一個にも興味をそそられたが、それには一切手を出さなかった。あれは妹のぶんで、それを欲しいなどとは自分は絶対に言ってはならない。長男とはそういうものだ。珍しく他人の分まで求め、うまいうまいとお土産を頬張る僕を見て、親父は確かに呟いてました。


「そんなにうまいなら、もっと買ってくればよかったなぁ」

おにぎりこない きたまたきた おとなはたいへんだ

親父の出張は年に数回程度。
1番多いのが関西方面だったけれど、それでも毎回新大阪に行くわけじゃない。つまり初めて僕の目の前に現れた”とん蝶”はそれからまた数ヶ月はわが家に来てくれなかった。そうしたら、小学生なんてゲンキンなもんで、すぐに忘れてしまう。

けれども、親父はまた買ってきてくれました。
僕はまたそれを喜び、いつしかとん蝶はお土産の定番になり、徐々に量が増えて、一時期は6個も買ってきてくれた。四人家族なのだから一人二つなら8個のはずだけど、でも6個だった。一つ300円以上もする高価なものだから、そんなにたくさんは買えない。「聡(僕)がたくさん食べるから」という数だった。妹は僕ほど興味を持たず、そして僕は他のお土産には興味を示さなかった。だから、僕がたくさん食べる想定だけして買ってきてくれたんだと思う。多いときは一人で3つとか4つとか食べてました。
おもちゃでもたこやきでもステーキでもない、たかがオニギリ。そんな程度のものを大人になっても覚えているのは、親父が何度も買ってきてくれたからです。
そして、大人になって働き出すとわかる。
仕事で遠くに行く以上、観光とはわけが違う。忙しいし、時間の融通だってそんなにきくわけじゃない。何より、遊びに行ってるわけじゃないんだから観光気分を味わいながらお土産を選べるわけじゃない。親父は高度経済成長の直後からバブル、崩壊、長引く不景気、そのすべてを戦ってきた企業人。クソ忙しいのに、わざわざ買ってきてくれるだけでありがたいわけで、定番の名物とか、どこでも売ってるようなありきたりなお土産になるのはある意味当然。「せっかく来たから、なんか買って帰らなきゃな」っていう程度のもののはずなんだから。
選んでる時間もそんなに無いだろうし、観光をしていない以上、特産なんかを物色したところで毎回楽しいわけがない。出張先だって何度も同じところに行けば、家族も毎回楽しみにしているわけじゃないし。そして、親父のお土産の置き方も、そんな置き方だった。出張行ったから、置いておくぞーみたいな。その辺がまたなんとも親父らしいんだけど。
それなのに、親父はそれ以降、毎回必ず”とん蝶”を買ってきてくれた。
でも、別にアピールすることも無い。気づいたらテーブルの上に置いてあるだけ。
僕がすでに寝てしまっていると、もはや気づきもしない。母が「昨日、お父さんが”とん蝶”買ってきて冷蔵庫に入れてたわよ」って聞いて始めて知るぐらい。冷蔵庫の扉をあけて、”とん蝶”を見つけて、僕はニンマリする。
忙しいだろうに、親父は新大阪に出張に行く度に必ず買ってきてくれて、今考えると本当に優しかったんだなと思います。きらいとか言ってごめんなさい。また、お土産買ってきても全くそれを表現するでもなく、僕の食べている顔を見るでもなく。やっぱりきらいだ。なんかいえよ。

きぎょうせんし”ぼく” おにぎりをてにいれるだいぼうけん

ただ、僕は甘かった。まだまだ子供だった。
数年前、20代後半の僕はひとつの真実を知ることになります。
当時、この”とん蝶”は、新幹線など、出張のついでに買って帰るには新大阪にしか売っていませんでした。(大阪など地元の人なら行ける店舗はあったと思います)
それは、当時親父がそう言っていたので、知っていました。

数年前のある日、僕に大阪出張の予定が入りました。
仕事のことで頭がいっぱいだったので、自分が新大阪駅にいることに気付くのにはだいぶ時間がかかりました。もちろん新幹線で新大阪から帰るのなんか当たり前にわかっていたけど”あの新大阪駅”にいま自分がいるんだと気付いたのは、帰りの改札をくぐったあとでした。
「あ、そうか。ここ新大阪だ。とん蝶買ってこ」
新幹線とか空港のお土産って、どこのお店でも大半は同じお土産売ってませんか?専門店でもないかぎり。だから、僕はふらふらーっとそのへんにあるお土産屋に入りました。もう少し歩いて次の店にも入りました。幸い新幹線の時間はまだもう少しあったので、さらに歩いて次の店にも入りました。

おかしいな。
おかしい。
どこにも売ってない。
なんで?

いだいなる 先代きぎょうせんし のおしえ

「あれは、新大阪にしか売ってないんだ」
親父がよく言ってました。
だから、上記のとおり僕は当時のその事実を知っていたんです。
なんで、親父がそんなことを何度も言うかわかりますか?
僕が、何度も聞いてるからなんですよ。

親父は、いつも決まった時間に帰宅してました。
20時半ぐらい。
それより凄く早いか、凄く遅いか。
それが、出張の日です。
凄く早ければビックリして質問するし、遅ければ母に質問します。
父さんはどうしたの?って。すると、今日は出張なのよ、って答える。
だから、主張の日かどうかはだいたいわかる。
出張となれば、帰宅すれば僕は口癖のように聞いていました。
とん蝶は?今日は無いの?って。
そして、無いときは必ず、親父はそうやって答えていたんです。
あれは新大阪にしか売ってないんだって。

おれたちにはいんたーねっとがある

数年前の新大阪駅で、僕はあてもなくふらふらと探すのをやめました。
これではいずれ新幹線の時間が来てしまう。
幸い、当時すでにスマートフォンを持っていた。
そう、ネット中毒者の愛言葉。
「おれたちにはいんたーねっとがある」
ネットで検索したらすぐに新大阪店が見つかりました。
でも、まだわからない。住所を見ても、ピンとこない。
今自分が見ている駅のとはなんだか違う。
はっ!となりました。
僕は自分の過ちに気づいて、時計を見たあと走り出しました。
「やばい、時間ぎりぎりだ・・・」
駅員さんに駆け寄って、事情を説明したらすぐに改札を通してくれました。


”とん蝶”のお店、改札の外だったんですよ。

さいきょうのきぎょうせんし。かれはしゃべらない


「あれは、新大阪にしか売ってないんだ」
とん蝶は?今日は無いの?という僕の質問に対して、

答えが”No”のときは必ず、親父はそうやって答えていました。


でも、親父、その一言しか言ってないんです。


他の理由なんて、一度も言ってないんです。
僕の記憶には、それ以外の理由を言ったのものは全く無い。
「今日はちょっと忙しくて、新幹線の時間がせまっててな」
って、言ったことは一度もありません。少なくとも僕の記憶では。
だから、あったとしても1回あったかどうかぐらいだと思います。
だから、そうなんです。
親父は、新大阪に行く度に、仕事クソ忙しいはずなのに、わざわざそのための時間を必ずとってくれていたんです。近くのお土産屋なんかいくつもあって、そこで他のお土産だって買えるのに、わざわざ改札の外の、しかも少し遠いその店に行って買ってきてくれてたんです。僕が喜んで食べる顔を想像して、買いに行ってくれてたんでしょうね。
それなのに、そんなこと一言も言わないどころか、食べる姿すら見ないし。
少しはアピールしろよ。もっと、感想聞くとか、冗談でも俺は偉いだろぐらい言えよ。
どんだけ不器用なんだよ。仕事バカのくせにがんばりやがって。
価値観がせまくて、愛想が悪くて、不器用で、人に想いを伝えるのが下手クソで。
やっぱりきらいだ。


でも、ぼくがしっているさいきょうのきぎょうせんしだった。

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