プログラマは社会の底辺がなる職業だと思っていたら、プログラマになっていた話

中高生の頃、プログラマはブラックだと思っていました。




小学生のとき、部屋にPCが置かれPC中毒となる

僕が小学5年生のとき、家にWindows 98のPCが導入されました。
その頃の私にとって、PCというのは、物凄く面白いもので、夢の機械のように思えました。
最初はマインスイーパやソリティアを遊ぶだけでしたが、日々PCをさわるごとに、どんどんできることが広がり、更にインターネットが使えるようになると、それこそ本当に無限にできることが増えたものです。
ひとたび、PCを起動してインターネットに接続すると、それだけで、扱いきれぬような量の情報が入り込んで来たり、ちょっと検索するだけで面白いゲームやフラッシュが山のようにあったりしました。
そんな小学6年生のとき、家族共用の部屋にあったPCが、家のスペースの問題で僕の部屋に置かれるようになりました。
共用の部屋にあったときでも、かなりの頻度で使っていたのに、僕の部屋に置かれてからは、それこそ本当に、狂ったようにPCを使い、毎日のようにチャットをしたり、ゲームの最新情報を調べたり、逆にゲームボーイアドバンスにチートコードを作成し公開したりと、完全にPC中毒になっていたと思います。


2chでプログラマは酷い言われようだった

そんな四六時中PCを触っている僕は、将来はプログラマになりたいなあ、と幼心ながらに考えていました。
当時、僕の中でPCを使うかっこいい職業といえば、プログラマでした。
黒い画面に、ひたすらキーボードを打ち込み、よく分からない結果が表示され、それを見て楽しむ、そんな姿に憧れを抱いていました。

しかし、2ちゃんねるでは、プログラマの評判は散々でした。
プログラマについてこんなことが書いてありました。
「プログラマは社会の底辺がする仕事」
「1日20時間勤務が当たり前」
「土日が休みになることは少なく、また残業代も出ないブラック」
「30歳で定年」
当時の僕の中では、2ちゃんねるというのはインターネットの神のような存在で、ここで言われていることは、必ず正しいと思いこんでいました。

最近では、かなり少なくなりましたが、VIPPERな俺 : お前ら絶対プログラマにはなるな のように、今でも、プログラマはなってはいけないという記事がチラホラ見受けられます。


何が正しいのか分からず悩む日々

こういった情報は、私が13歳~19歳ぐらい、2003~2009年ごろによく見かけました。
しかし、相変わらずPC、インターネットは大変好きでしたし、高校生の頃は、自分でプログラミングの本を買って勉強する程度に、プログラミングに興味を持っていました。
そのころは、C言語と呼ばれるプログラミング言語で勉強しており、なかなかちゃんとしたモノにすることが出来ず、悩み諦めた日々もありました。しかし、自分が作ったものが期待したどおりに動いた時の感動はひとしおでした。
黒い画面に、掛け算の表を出力したり、入力した年月のカレンダーを表示するような小さな成果物に、試行錯誤する日々。
2chの悪い人に、C言語を学んだら次はこれ、とそそのかされ、Win32APIの本を買ってみるも、変数名やクラス名がムダに長く意味不明で、更にVisualStudioが重すぎて動かなく、結局サンプルコードさえも実行できないなど、多くの挫折も経験しました。


しかし、そんな挫折から立ち直るために調べ、試行錯誤するステップさえも楽しく、こんな面白いことならば、できれば職業にしたい、と感じていました。

とは言っても、逆に、2chであんな散々な評価なのに、プログラマなんかになっていいのか? といった疑問も頭のなかにはあり、葛藤が生まれていました。
将来はできればお金に持ちになりたいし、だったらもっと安定して稼げる企業の方が良いんじゃないか・・・。
プログラマほど叩かれてる職業はないぞ・・・。
当時は、周りに働いている人などもいなく、当然プログラマの交友関係も皆無であったので、実情を聞くことは出来ませんでした。
また、頼りのインターネットでは、ひどく叩かれている姿をしか見れないので、将来はどういう職業につくのか日々悩んでいました。

大学入試の際も、興味としては情報系にあったにもかかわらず、プログラマになるなら・・・と言う理由で、違う学部を選択しました。
それほど、僕の中では、プログラマについて、情報が不足しており、認識ができていなかったのです。

アルバイトや、就活を始めて気づくこと


月日はたち、僕も大学3年になりました。
その頃になると、様々な人生経験を積み、2chって実はあんまり役に立たないんじゃないか・・・? という意識を、ようやく持てるようになりました。
2chで絶対におすすめと呼ばれていたアルバイトが、実際にやってみると前評判とは全く違って大したことが無く、「バイトをする店によって違う」ということに、バイトに入ってから気づきました。
受験板には過去問や超絶難しい問題を、初見で解けるような天才が多くいるが、「みんな答えを事前に知っているだけ」なのだと大学に入ってから気づきました。
2chに出会ってから7年かかって、ようやく2chについて分かってきました。
それと同時に、プログラマについての批評も、もしかしたらそんなに正しい情報では無いのでは・・・?と思えるようになりました。

プログラマにもいろんなプログラマがいる

そう思い始めたのと同時に、僕は就活をはじめました。
就活というのは、僕にとって初めての体験であり、また、社会を知る初めての体験でもありました。
就活を通して僕は、ある1つの大きなことに、ようやく気づきました。
それは、プログラマにもいろいろなプログラマがいるということです。
例えば、システムインテグレータ(通称SIer)という種類の会社の中で、取引先の企業の要望やニーズを聞きながらシステム全体の設計をする、システムエンジニアと呼ばれるプログラマ。
その設計されたシステムを、もっと具体的なプログラムにする、SIerの下請けのプログラマ。
会社で運営しているサービスを、より良く、よりユーザーが増え、より収益を上げるために働くプログラマ。
外資系投資銀行で高給をもらいながら、英語を使って社内のシステムの保守をするプログラマ。
WEBページや、ECサイトの受託業務で成り立っている、社員が10人ほどの会社で働くプログラマ。
ここには上げきれないような種類のプログラマが世間にはいたのです。

しかし僕はその事実に7年ほど、全く気づくこと無く、ただただ、2chの情報を鵜呑みにして、プログラマは酷い職業だと思い込んでいました。
2chで叩かれているようなプログラマは、プログラマの中でもごく一部だったのです。
今だからこそ言えますが、アレに該当するのは、全体の10%ぐらいしか居ないのでは、と思います。
酷い待遇の人が愚痴を言いに集まり、不幸自慢をし、それが話題を呼び、更に似たようなひとが集まり、また拡散し・・・というような循環が働き、ごく一部の声があたかも全体の声のように聞こえていたのです。

好待遇なプログラマも多く居る

逆に、好待遇、高給料なプログラマももちろん居ます。
例えば僕が就活していた2011年の頃は、ソーシャルゲームが真っ盛りで、グリーやDeNAといった会社が、プログラマに対して新卒初任給で年俸500万円以上のオファーを出していました。
また、外資系投資銀行のエンジニアともなれば、初任給で年俸600万円以上というのもざらであり、実力がある人であれば、20代で1000万円以上というのも珍しくありません。
そこまで高くなくても、普通WEB系の新卒エンジニアは、一般的な新卒の給料より高いイメージすらあります。
また、もし30歳以上になって、コードを書く第一線から退いたとしても、その経験を活かして、プロデューサーなり、管理職なりにつく道は死ぬほどあります。
更に、こういったデータもあります。

アメリカでは、System Engineerはなりたい職業ランキング1位だというのです。

そして現在は、このSTORYS.JPを作るエンジニア

今は、このストーリーが載っている、STORYS.JPを作るエンジニアとして活躍しています。
就活を始める前は、普通に、大手銀行や大手メーカーに入るのかな〜とぼんやりと考えていました。
(2chを見て三菱商事ってすごい!とか日銀ってすごい!とか思ってました)
しかし、就活を始めて、プログラマとしての実態を知り、やはり、もともと好きだったプログラミングが生かせるような場所で働きたいと感じるようになりました。
そこで、僕自身がどのように働けば、1番自分の力が活かすことができ、また、自分自身が成長できるか、ということを考えた結果、今の職に就いています。
STORYS.JPは創業まもなく、チームもまだまだ少なく、サービスも発展途上で、会社としての安定性は皆無です。
しかし、だからこそ、自分でやることの責任は、全て自分に返るところにやりがいを感じています。


もっと早くに気づいていれば、より良い選択ができた

就活やいろいろなことを通して、プログラマについて、就職する前に気づくことが出来て本当に良かったな、と感じています。
もし、銀行やメーカーといったところに就職したならば、基本的に今のようなサービスを作るエンジニアになる道はほぼなく、取り返しがつかなかったであろうと思います。

また、逆に、もっと早く気づいていれば・・・とも感じています。
結果として私は大学で、工学部経営システム工学科に進学しました。しかし、この学科で得られたことは非常に少なく、正直に言えば、情報系の学科に進んでいれば良かった、と思っています。
また、大学1,2年の頃は、授業も少なく時間が有り余っていたのにもかかわらず、適当なアルバイトやサークル活動をしていました。
その時間をもっと、有意義なこと、例えば、ベンチャー企業でインターンをしてみたり、プログラミングやアプリ制作などのアルバイトをする等に使っていれば・・・とも感じています。
これらのことは全て、僕自身が情報をちゃんと得ることができていなかったことに、起因しており、そのために判断を誤った結果です。
プログラマとはどういう職業なのか、どんな会社があるのか、どんな学科に行けばどんな就職先があるのか、スタートアップとは何なのか・・・など様々なことを知りませんでした。
そんな僕の二の舞いにならないために、こうしてストーリーを書き、若い方に少しでも情報を伝えていこうと思いました。

このストーリーによって、一人でも多くの若いプログラマを目指す人材が、適切な進路選択をできる手助けになればと思います。

ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

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