好奇心の変化

好奇心はフェロモンのようなもの

「好奇心がなくなってきた気がする」と友達から聞かされる。これは当たり前の話で、「好奇心量」はフェロモンと同じように合理的に調節される。これは友達がツマラナイ大人になったとかそういう詩的な話ではなくて経済合理性に関する話なのだ。

いろいろなことに「興味をもつ」インセンティブの変化

簡単に変化をまとめてみると以下のようになる。
- 呼称
学生のころ、何かひとつことに異常に詳しい人はオタクと呼ばれる。逆にたくさんのことに興味を示し、それぞれについて平均以上の知見のある人はモノ知りと呼ばれる。
- 価値
学生時代に専門分野を持つことは、経済的メリットを生まないケースが多い。それは「趣味」に分類され、その趣味をお金に変える手続きを知らないか、知っていても社会的な立場上難しい。多くのことに興味を示すことも経済的メリットを生むことはないが、生まれた家とその周囲の小さな世界を拡張する。
↓変わったよ!
- 呼称
仕事そのもの、また属する業界に関する知識が豊富な人は専門家と呼ばれる。業務以外のことに興味が拡散する人は多趣味、モノ知りと呼ばれる。
- 価値
働くようになると仕事に関係する分野で深い知識、洞察力をもつ人が社内、社外双方で市場価値が高まる。たくさんのことに興味をもつ人には依然、経済的メリットはないばかりか、時間が限られるため何かしらのコストを払うことになる。

資源の最適化

このような変化が起こるのは、限りある資源「時間」を最適化することが志向されるためである。興味を仕事に関係のある領域に絞ることで定量的 ($)、定性的(評判) な社会的価値を効率的に向上させることができる。
興味の対象を絞って「時間」という資源を投下することで享受する価値を最大化することができるため、興味の対象を拡げるインセンティブが薄れる。
このように、人は仕事を始めると合理的に好奇心を失っていく。

"好奇心"の合理的復権

しかし多くの人は「かける時間」に対応する対価が徐々に小さくなるため、「対価/時間グラフ」の傾きが小さくなるころにワークライフバランスといってジムに行ったり習い事をしたり育児に多くの時間を割いたりし始めるのだ。これは資源を「何に」最適化するのかという対象の変化が対価/時間グラフの傾きが一定以下になると起こることを意味している。当初は経済的価値に、そしてそれがもっと抽象的で個人的な幸福に関する価値に変化する。
このように、「好奇心量」は合理的に調整される。

もうひとつの「好奇心量」合理化の法則

一方で、好奇心量を常に高いレベルで維持するケースがある。グラフにすると以下のような場合だ。
当初低空飛行を続けたグラフが非線形に上昇している。これは好奇心の拡散と再統合を意味する。好奇心量を常に高いレベルで維持し、さまざまなものに関心を示す、首を突っ込むため、かけた時間と比較し享受する経済的価値が低く推移している。では、この急激な成長は何か。それは別々の関心ごとをつなげるメタファー、人的ネットワークが閾値を超えることによる爆発である。各々の場所で広がった世界は結びつき、誰にも真似できない競争優位性となることから、経済的合理性が高い。
スキルや知識のコモディティ化のスピードを考慮すると、現代にフィットするのは後者の方かもしれない。

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