お肉の無い肉じゃがをつくっていた頃の話



たまには こんな話も悪くない。

どこかで 人は不幸を演じなければならない風潮がある気がしてならない。
人は人のダメなところを見て 安心するものだから。
人は人の不幸を見て、言い訳をもつことを止めようとはしないから。
誰に言っているわけでもなくて、そう これはわたしの話。

モノガタリはそんな紆余曲折がもっとも魅力に映るモノなのです。

しあわせであることを 胸いっぱいに味わい そして涙することの美しさは
どこかでは賞賛をうけ、どこかでは反感をかってしまう。

仕方ない。それこそバランスの世界だから。
どこまでいっても、フィフティフィフティの波が私たちを取り囲む。
元は海でも ソノあらゆる波無しには何かを感じる事すらないわけだから。
それが、それこそが奇跡なんだろうな。


つい先日、久々に姉妹やお友だちと語り明かした。
お金のなかった頃の話や 人生の岐路に立ったときの話。

わたし、お金がなくて 肉じゃがにお肉を入れることできなくって
玉ねぎとジャガイモだけで、胸をはって 肉じゃがだと言ってたの。
当時それを目撃した妹は、わたしを可哀想だと思ったみたい。
女優という華やかな世界で 派手に遊んでいた頃も知っているから余計に。

コンビニでプリン一つ買うコトができなかったの。
けれど、その代わりに、おやつは手作りだったんです。
パンだって小麦粉からつくった。
お金に余裕のある今よりも 実は健康的でそしてバランスのよい食生活だったな。

お金が無いことを不幸だと思っていたのは過去の話で
今思えば、あの時はとてもしあわせで、そして輝いていたように思います。
生きることに必死で一生懸命の自分が其処にはいたから。
そして あの頃の経験がわたしにお金のありがたみを教えてくれた。
成長と自立心を育んでくれた 必要な経験だった。

安定した生活を望みながらも 人はどこかでしあわせになってしまうことを恐れる。
それは何故なのか、今ならよくわかります。
モノガタリとしての面白みに欠いてしまうからなの。
魅力的では無くなってしまうかもしれない恐怖がぬぐいきれないの。
感情的で在るほうが 現実は豊かに彩られるって
それを知ってしまい、ひとたび味をしめてしまえば、癖になるんですね。

たった今 あらゆる状況下であっても
しあわせを感じる心にストップをかけるのが、単なる癖だなんて、ね。

そんなわたしは今でも ほんのたまに ひとり涙を流すことがあります。
悔しくて、くやしくて、もがきと葛藤の中、ひとり、泣きます。
恩を仇で返しているんじゃないかって。
感謝してもしきれない関わった人たちに対して何もできていないんじゃないかって。

でも そんな自分を悟られるのがイヤだから、決して表ではそれを出さない。
それを超えたトキに訪れる 静かな感謝の波が自分を包み込んではじめて
わたしは行動を起こします。

時に怒りに震えそうになるときもある。
わたしの身近な人が攻撃を受けたと知れば、
わたしの大切な人たちが中傷を受けたとしたなら、
わたしの大すきな人が心から魂で叫ぶ姿を 誰かが失笑したなら
わたしは許さない。
誰もがもっている夢や希望に対して
できない、とか、無理とか、そんなことを言うやつらをぜったいに許さない。

けど、その状態でいくら声を上げても、それこそ
そんな人らと同じ土俵に立つことになることだと知っているから ぐっとこらえる。

時が来たら、わたしは全力で大切なその人たちを応援する立場に立てばいいから。

だから わたしはいつも笑っていたい。
どんな困難と思える現実に直面しても それでも笑顔の道を選んでいたい。
それがわたしの人生への責任であり、関わった人への僅かながらの恩返しなんです。
ニコニコしているわたしを見て へらへらしていると笑う者もいるかもしれない。
何も考えていない様に思うのだろうし
なぜ笑うのか、その真意をわかってはもらえないものだろうね。

人は何とでも言います。
そしてわたしも誰かの人生の背景を知り得ない内に安易なコトバを漏らすこともある。

そっか お互い様か。笑


人生はあまりにも美しいと感じます。
色々なことがあっても こうしてこれを読んでいるあなたにだって
きっと、いや、色々なことがあって それを乗り越えている今があるのでしょう。

すごいよね。それって。

先行き不安なことだってあるかもしれないけれど
それでも 生きている今、いろんなことを感じ、そしていろんな出会いの波の中で
自分でも気づかないほどのキラキラした輝きを放っているのだから。

そうやって生きている人を応援したいし、自分への激励。
その為にわたしはストーリーを書き続けているから。

笑えないくらいに 感情を殺して生きてしまった人がいたなら
それを開放するキッカケをつくれたなら、いいな、って。
それが たったの一人でもいいんです。

むしろ、たった一人としてそれを感じられないのだとしたら
わたしは書くことを止めなきゃいけないね。うん。笑


人の不幸を笑っている自分がどこかにいるってこと
人の不幸をどこかでバカにしている自分がいるってこと
人のしあわせを どこかで喜べない自分がいるってこと
人のしあわせを 素直に自分の歓びとできないこと

それは 肉の無い肉じゃがより 笑えることだよ。

ただ それを経験しえない者は 小さなしあわせに気づくこともない。
誰かのやさしさに、感謝の涙であふれることもない。
そして誰かの為に魂からの叫びをウタうことも、がんばることも 決してない。

あらゆる感情が己の中を通過しようと、決して恥じることはないのです。


これからもフィフティフィフティの波は来るんだから。笑
それと戦うなんてことはあきやめて 
ギフトだと思って素直に受け取ったもん勝ちなんですね。ほんとうに。

で、最後にこれだけはハッキリ言えることがある。

肉の無い肉じゃがは・・・・・美味しくなんてないんだってこと。笑

これ、素直な感想。笑




これから出逢う誰かとの しあわせな一瞬を見逃さない そして
切り取れる自分で在り続けたいな。

ほら、笑ってまえ(>◡<)♡

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