フィリピン,ミンダナオ島のイスラム分離独立運動は実は宗教紛争ではないのではないかという話

9月9日,フィリピン南部ミンダナオ島のザンボアンガ市にモロ民族解放戦線(MNLF)を名乗る武装集団約300名が押し寄せ,フィリピン国軍との銃撃戦が発生した。MNLF側は市庁舎への独立旗の掲揚を要求し多数の人質を取って市内に立てこもり,現在もにらみ合いが続いている。多数のボートに分乗し,海側から市街に侵入する戦術は2月の「スールー王国軍」を名乗る武装集団がボルネオ島サバ州に突如上陸した事件を彷彿とさせるが,この事件との関連は不明。
このスールー王国,15世紀にミンダナオ島とボルネオ島の間に位置するスールー諸島に興り,海上交易で繁栄し最盛期にはミンダナオ西部(今回のザンボアンガ市がある地域)やボルネオ島北部をその支配下に置いた。この誇り高き王国は,スペイン植民地政府と300年間に渡る戦いを繰り広げ,その後,フィリピンの支配を受け継いだアメリカとも独立闘争を繰り広げた。
これがフィリピン南部のイスラム教徒による分離独立闘争の背景であり,彼らはこのスールー王国の版図を自らの国土と主張し今日に至るまで闘争を続けている。(ちなみに,今回の事件はフィリピン政府との和平合意に反対する勢力が起こしたのではと言われているように,独立派も一枚岩ではないようである。)
東南アジアの他の国を見てみるとインドネシア,スマトラ島北部のバンダアチェやタイの南部3州でもイスラム教徒による分離独立闘争が繰り広げられている。これらの地域もかつてはイスラム王国があった地域である。では,イスラムという宗教は他者との協調を拒み闘争を好む好戦的な教義を持っていると言えるのだろうか。
この問題の根源を短絡的にイスラムという宗教だけに還元することは,無用な宗教間の対立を煽るだけで益するところがない。考えてみてほしい,バンダアチェが独立を求めているインドネシア共和国は世界最大のイスラム教徒を抱える国家である。つまり,イスラム教徒がイスラム教徒の国(イスラム国家ではないが)からの独立を求めているのである。この問題は宗教対立だけで構成されているのではない。
かつてはマニラにもセブにもイスラム王国があった。インドネシアのジャワからスマトラに至る地域もイスラム王国が割拠し,マレー半島もイスラム王国のゆるやかな連合体による支配が続いていた。それが15世紀以降,スペインはフィリピンを,オランダはインドネシアを植民地化した。タイ南部3州にあったイスラム王国についてはマレー半島を植民地化し,さらなる領土的野心を持つイギリスから自国を守るため,東南アジアで唯一独立を保っていたタイ王国によって予防的に保護国化された。だから,もしイギリスがこれらの王国を植民地化していたら,このタイ南部3州の問題はマレーシア北部3州の問題となっていたかもしれない。
では,この3つの地域に共通するものは何か。それは,当時の植民地政府,あるいはそれを引きついだ国民国家の地理的辺境に位置していたということではないかと思う。それぞれの地域ともに中央政府から最も離れた場所に位置し隣国との国境を抱えている。この地理的関係が結果的に分離独立闘争を可能にしたのではないかと考えるのだが,どうだろうか。フィリピンのど真ん中のセブで,あるいはジャワ島で分離独立闘争を展開しても当事者に実現可能性を抱かせることは難しいと思う。
かつてのイスラム王国が繁栄していた時代,それぞれの王国の領域はあいまいで,地域によってはどの王国の支配にも服さない場所もあった。王国の領土はその力の強弱によって広がりもしたし,また縮小したりした。今日の世界のように,厳密な国境線はなく人々は自由に移動し交易を行い,また争っていた。この時代,この3つの地域はもちろん地理的辺境ではなく,それぞれが中心を持つ王国であっただろう。
しかし,15世紀に入ると植民地分割の必要性から,そこに住む人々との意志とは全く関係ない形で植民地政府の領土が決定され,この3つの地域は植民地国家における地理的辺境として周辺化された。その後,巻き起こった独立闘争(タイにおいては立憲革命)によって誕生した国民国家にもその領土的境界は引き継がれることになった。この中で地理的に植民地政府に近い王国はそのまま支配階級に吸収されていったであろうし,それがこれらの人々の利益にもかなっていたのかもしれない。
もう一度言うが,かつてイスラム王国があったのはフィリピン南部,スマトラ島北部,タイ南部だけではなかったということである。では,なぜこの3つの地域が,かくも執拗に自分たちのルーツをかつての王国に求め,今日まで終わることなき闘争を繰り広げているのか。
今までは自らの領域内にその中心を持ち,自由に移動し交易を行っていたこれらの王国の人々は,ある日,植民地政府やそれを引き継いだ国民国家により地理的辺境に組み入れられた。それによって王国にとっては生命線であるというべき自由な貿易を禁じられ,これまで行っていた交易はある日突然,密貿易となり取り締まりの対象になった。
そして,関税として搾り取られる金品は中央政府に吸い取られ,それが自分たちに還流してくる気配はまったくない。この点において分離独立闘争は経済の問題である。そして,この支配と取り締まりを行う者がこれらの王国の人々と言語・文化的に異なっていれば,それは民族問題となる。もちろん宗教が異なれば宗教問題として取りあげられる。
植民地政府と国民国家によって地理的辺境として周辺化されてしまった王国の苦しみこそがこれらの問題の根源に横たわっているような気がするのだが,どうだろうか。

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