誰にも言っていない、僕が地域おこし協力隊として山形に移住した本当の理由。

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大鳥に来て半年が経ちました。
本当に有難いことに。鶴岡市内の方にも知り合いが増えてきて「なんでここに来たの?なんで地域おこし協力隊になったの?」と聞いて貰えることも増えてきました。
理由をお話する時は結構省略しがちに話をしますが、今回は文章なので鶴岡市の地域おこし協力隊になった背景をありのままに書いていきます…

これからの時代の働き方・生き方に対する疑問

僕が大学生の時にはJALは潰れるわ、リーマンショックで就職氷河期が再来するわで、若い人の頭は金融系や商社みたいな『安定』に傾いていた。
至る所で公務員や大企業を志望しているみたいな話を聞いたし、「それがベストじゃないにしても、ベターなんじゃないか?」みたいな風潮があった。
僕も大企業にはエントリーしたし、世界的に有名な大阪のエアコン会社の最終面接までいった時は正直興奮した。あっさり落ちたけど…笑
 「一年留年もしているし、これ以上親にも迷惑かけられない!とりあえず決まってくれー!」みたいな感じでひたすら動いて8月に内定貰った会社に行くことを決めた…
就職が決まった後は、経済についてバカなりに勉強した。

かつて世界2位に君臨した日本の姿は既になく、BRICSなどの新興国市場へ世界全体がシフトしていく中で、これからを生きる日本の若い人たちは、今と同じ仕事・働き方でいいのかどうかが疑問だったから…

おばあちゃんに囲まれて感じた、幸せな80歳。

就職活動を終え、ほっと一息ついた2010年8月。9年前に亡くなったおじいちゃんの墓参りをしたいと思い、4年ぶりに母方の実家山形に帰った。その時の僕は22歳。

行く前におばあちゃんに連絡を取った時、『東根温泉に友達と一泊しているからおいで。』と声をかけられ、教えられた宿の名前とガラケーの地図を頼りに宿に向かう。
東根温泉の大きな看板をくぐり暫く歩くと、言われた宿の名前の看板を見つけた。

「こんばんわ~」

ドスッとボストンバックをおろし、少しうつむき加減でフロントの椅子に腰を掛けていると、旅館の女将が出てきて、部屋に案内された。

「よぐござたなっす!」

おばあちゃんはコテコテ山形弁だけど、この言葉だけは理解できる。

既に風呂も食事も済ませた後で、20畳はある部屋に8人のばーちゃんたちが、リンゴの皮を自前のナイフで切り分けながらじゃれ合っていた。
切られたリンゴを頬張りながら、若いだけで無駄にモテるという感覚を久しぶりに味わっていた。

なんだか修学旅行に来ている気分。

布団を敷きながら「ワタスはここで寝る!」と陣取り合戦を始めたり「ちょっと暑いから着替える!」といい堂々と目の前で着替え始めたり。
80歳前後のおばあちゃんたちが過ごしているその時、その空間が、たまらなく幸せそうに見えた…

『80歳を超えてもそんなに笑っていられるんだ!』

僕の中では80歳過ぎたじーちゃんばーちゃんって、歳いって体が動かず、同じことを繰り返し話すし、ボケて喋ってる内容が良くわからないようなイメージがあった。

でも、山形のばーちゃんは今でもチャリに乗って畑に行き、クワを持って土をいじり、脚立に上ってサクランボを収穫する。

東京で一流の社会人になって、定年まで沢山稼いで、それから第二の人生遊ぼう!みたいなのが更に疑わしく思えてきていた。
それどころか死ぬまで楽しく働いていた方が幸せなんじゃないかな~…って

社会人一年目から転職希望・海外志向

2011年4月から電子部品メーカーの営業として働き始めた。

でも、一つの場所にずっといるのは職場に埋もれて外が見えなくなるという漠然とした不安。

それと、フィリピン留学に行った時に「これからはアジアだー!」と思っていたので、入社する前から3年以内に会社は辞めることは決めていた。

仕事をしながらも市場の変化も見ていた。
日本から中国・タイ・ベトナムへの生産場所のシフトがリアルタイムで起こっていたし、価格競争に耐え切れず同業他社は潰れていった。

そんな状況を見て『日本の若い人は間違いなく一度は海外で暮らした方がいい!』と考え、動きだした。

JICAの海外青年協力隊の説明会、MBA留学の説明会、ワーキングホリデーの説明会、海外企業家のセミナー、旅をしながら仕事をしている人のセミナー、世界一周の旅をしてきた人のセミナーなど、海外と仕事に関わるものについてアンテナを張りまくっていた。

海外をこれから働くステージと考える若い人に対して、実際に動き出す為のサポートできるようなことを最終的に仕事にしたいと思い、留学⇒ワーホリ⇒海外で仕事⇒独立という道を考えていた。そこに市場があるし、何より情熱が注げることが出来た。

具体的に言うならば、太田英基さんのフィリピン留学口コミサービスSchool Withや、もりぞおさんの海外就職研究所みたいな仕事。

その為の一応の準備資金も3年で用意できる見込みで、毎月10万くらい貯金し続けていた。

けど、その構想はヒッチハイクがキッカケでベクトルが変わっていく…

ヒッチハイクで出会った師匠、萩原さんの存在

2012年のGWは9日間の休みを使って「やったことないことにチャレンジしたい!」という思いでヒッチハイクを試みた。

ボードを掲げ、話をかけ続けたこと12時間、やっとこさ乗せてくれたおじいちゃんが、65歳の萩原さん。

大阪で植木屋をしていながら、仕事が閑散期に京都の福知山というところに山小屋で山菜を採ったり米を作ったり小屋を作ったりして生活をしている方。

「何その生活?!めちゃ面白い!」と思い、早速山小屋に連れて行ってもらった。
山に囲まれながらワラビやタケノコを一緒に採り、畑で採れた野菜と一緒に食べた時に直観として感じた。

『生きることに直結するような生活がこんなに豊かなんだ!』

ヒッチハイクが終わってからも、仕事の合間をぬっては何度も何度も萩原さんのところに遊びにいっては色んな話をした。

子供・孫と一緒に山小屋でBBQをしたこと。

山小屋と山の土地は知り合いから譲り受けたものであること。

福岡正信という自然農を伝承していた人に強く影響を受けていること…

萩原さんという人を知れば知るほど好きになって「弟子にしてください!」と言ったこともある。
※認められなかったので、勝手に師匠と呼んでいますが…笑
でも、話をする中で福知山の地域でも過疎が進み、限界集落を迎えていることを僕に話し始めた。

「伝統としてあったお祭りも無くなり、人もドンドン都市に向かっている。こんな素晴らしい環境があるのに寂しい。田口さん、一緒に山おこしやらないか?」


その一言が胸に刺さった。

「何とかしたい!」と強く思った。

けど、僕にはお金も知識も経験も無い。
丸腰で飛び込むのが怖くて具体的な行動は何一つ出来ないでいた…

地域おこし協力隊?何それ?美味しいの?

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