僕がアメリカに来た理由

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こんにちは。
ちょっと今日はガチめの話をしようかなと思います。
もちろんみなさんに、そして自分自身にも。

2013年8月6日僕はおよそ1年通った同志社大学に退学届を提出した。(2013年4月から8月までは東京でのインターンシップのためのため休学していた。)
もちろんアメリカに行くため。アメリカの大学で勉強するため。
同志社を辞める不安は全くなかった。
なぜなら僕には僕が生きる意味が全く見いだせなかったからだ。
僕がいなくても世界は変わらない。
たぶんこのまま大学にいて、卒業したとしてもそのままだと思った。
高3の受験期は死ぬほど勉強した。元々野球部で学年の成績なんて文系140人中110番程度。模試の偏差値は40台も普通にあった。
しかし勉強した甲斐あってか結局、同志社の商学部、立教の社会学部、国公立も横浜市立大学の国際経営学部、センター利用で同志社の社会学部、立教のコミュニティ福祉学部に合格することができた。
当然うれしかった。
でも、本当に行きたかった大学には受からなかった。
慶應に行きたかった。
実は、僕は中学のときからなぜか慶應というものに強い憧れを抱いていた。
高校受験のときも大学受験のときと変わらないくらい勉強した。慶應義塾高校、慶應志木高校、慶應湘南藤沢高等部、慶應の付属校すべてを受験した。
全部落ちた。
全然届かなかった。
めちゃくちゃ悔しかった。
そんな悔しさを胸に大学受験では逆転してやろうと思っていた。
しかし、大学受験時点では少し心境が違った。
高校受験のときは慶應というブランドに憧れていた。
でも大学受験のときは勉強したいことがあった。(後々説明します。)
そういうことも全部ひっくるめて慶應のSFCを志すようになった。
しかし、また落ちた。
浪人も考えたが、ある思いがあって同志社の社会学部に進学することに決めた。
仮面してまたSFCを受ける。これが最初に考えた結論だった。
実はSFCは英語もしくは数学、小論文と受験科目が2科目しかない。
小論文の力を養いたかった。大学に行けばこういった力がつくと考えた。
また、社会学部なら僕のやりたいことが勉強できるんじゃないかと思い選択した。
僕が勉強したいことは、都市デザイン。
簡単にいえば、まちづくり。
都市というものに焦点を当てていかにすれば人がより住みやすく、機能的で美しいものになるかということを経済面、文化面、建築学的な観点などからアプローチするものである。
もともと茨城県出身の僕はあの3.11の震災を経験した。
そういうこともあってか、復興という言葉や”新しいまちをデザインする”などというフレーズをよく聞くようになった。
少しずつ興味が湧いてきた僕は本を読んだり、ネットで調べたりして勉強するようになった。
そして、大学ではそういった勉強がしたいなと思うようになった。
しかし、当然こうした学問には建築学の知識やデザインの知識など少なからず数学の知識が必要になる。
当時の僕は文系、数学なんて曖昧で建築学部などを受験するのは自爆でしかない。
また、都市デザイン学科がある大学も見つからなかった。
もともとこの分野の本場はアメリカである。ただ、当時の僕にアメリカに行くなんていう選択肢はない。
しかし、僕の条件を満たす唯一と思われる大学があった。
慶應のSFCである。
SFCは英語と小論文で受験できるし、都市デザイン関連の研究もHPなどで見受けられた。
高校受験のときとは違った目的で、また慶應を目指すことにした。
しかし落ちた。ただ、同志社の社会学部を選んだのは、社会学部だしこうした勉強ができるのではと思ったためである。
2012年4月、僕は晴れて同志社大学社会学部に入学した。
大学のだの字も知らない僕は単純な希望を持って入学。
訪れてくるすべてに期待した。
勉強、友人、サークル活動、飲み会、恋愛…etc.
大学と行ったらみなさんは何を思い浮かべるだろう。
大学入学したての僕は友人に恵まれた。関東から単身関西に来て最初は不安だったがすぐに解消された。
そして、そうした友人たちとともに様々なサークルの新歓に参加した。
しかし、僕はどのサークルも楽しいと思えなかった。どこも同じような新歓をして、飲んで騒いで、、、
僕の期待は最初にへし折られた。
結局、僕は友人とともにサークルをつくった。なんてことのないイベントサークルだったが友人らとともに楽しく過ごせた。
たしかに楽しい。みんなでなにかをして、飲んで、騒いで、楽しい。
ただ、どうしても心の中に満たされない自分がいた。
勉強面でも自分の勉強したい都市デザインは同志社ではあまり勉強できそうにない。
大学って何だろう?
そんなこと考えたこともなかった僕は、真剣に悩んだ。
このままだと何も得られるものがないんじゃないか?
そう思った僕は東京大学や京都大学といった日本最高学府にいる友人たちと話してみた。
しかし、そういった大学にいる友人でさえ僕と同じようなことを思っていたのである。
それを聞いた僕は日本の大学制度というものに疑問を持ち始めた。
研究成果など必要もなく、授業にもあまり熱意が感じられない教授陣、もともと授業など聞く気がない学生。
大学に入って見えてきたすべてに絶望した。
自分が生きている意味は何だろう?
このときからアメリカへの留学というものを意識するようになった。
大学に絶望した僕は大学の外に意味を求めた。
あるとき参加したイベントでこんなことを聞いた。
大企業でも簡単につぶれてしまう現代で、武器も持たず普通に就職して終身雇用なんて望めるのか?
絶対安泰なんてもう日本にはない。
そうなってしまったとき、何も武器を持っていない人たちはどうなるのか。
そもそも武器とはなにか。
自分自身のちからだけで生きていくすべを身につける。
考えてみると将来が怖くなった。
このまま大学にいるだけじゃ、どこの大学にいるとしても何も得られるものがないんじゃないかと思った。
そして僕は、必死でイベントを開いてみたり、友人と起業のまねごとをしてみたり、WEBサービスをつくってみたり、いろいろなことに挑戦してみた。
ただ、いつも言われた、
「お前には何ができるんだ。」
何も答えられなかった。
結局、僕には何もできない。
僕が生きている意味なんてない。
僕が死んでも地球は変わらず回り、人々は生活する。
痛いほど痛感させられた。
そして僕はSFC再受験を辞め、本格的にアメリカに留学することを決めた。
アメリカで都市デザインを勉強したい。
本場のアメリカで学び、都市デザイン分野の第一人者になりたい。
確かな自分の力を、生きるすべを獲得したい。
親に話してみると以外とすんなり許可してもらえた。
僕は自分で決めたらもう絶対きかないから、というのが理由らしい。
ありがたい話である。
また、できることを少しでも増やしたいということで興味があるIT系の企業のインターンもしてみたいと思った。
そして、留学を2013年の8月に設定し、休学してインターンも始めた。
ただ、そこでもやっぱり自分の無力感を痛感させられた。
自分の力で歩いてゆける力をつけたい。
その思いが僕を前に進ませる。
現在、カリフォルニアのCollege of San Mateoというカレッジに在学中の僕はArchitecture、つまり建築学を専攻している。
かねてから勉強したかった都市デザインの基礎分野をここで学ぶつもりである。
アメリカでの生活は楽じゃない。正直辛い。
言葉も文化も違うアメリカではトラブル続きである。
でも後戻りはできない。
僕は、僕が生きる意味をここで見つける。
読んでよかった
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自分も大学生の身分なので、共感できます。現在、どのように日々を過ごしていけば、理想の人生を送ることができるのか模索中です。参考になりました!

素敵ですね!がんばってください!

同じような境遇で驚きました。私も日本では志願した大学でしかできないのに、落ちてしまい、その学問の本場であるアメリカに行くことにしました。都市デザイン、極められるといいですね。応援してます!

僕も現在同志社大学に通っていますが、大学に行く必要性があるかということに疑問を持っています。単純に楽しくない。なんのためにいってるかわからない。やめようかとも考えています。筆者さんはやりたい夢があっていいですね。自分のやりたいこととことん突き詰めてほしいです。

Shinozaki Yusuke

12/14/1993生まれ 同志社大学退学 その後東京のIT企業にてインターンシップ経験 現在、アメリカ・カリフォルニア州にあるCollege of San Mateoに在籍 専攻はArchitecture

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Shinozaki Yusuke

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