被災地は復興したの?
震災発生から3年が経過しようとしていますが、メディアを通して被災地の情報を知る機会は少なくなり、すでに復興してしまったと思われているかたもいらっしゃるかもしれません。今回は個人的なストーリーを書く前に、被災地から遠く離れた地域に住みながらも被災地に思いを寄せるかたがたと、現在も被災地で活動をされているボランティアとの間で昨年9月、Skypeを使い実際に交わされた会話の様子をまとめました。
ストーリーをこれから書くわけですが、その前に被災地の現状について書くことでより伝わりやすいのかな。と考えています。では、どうぞ。
(携帯端末ではなく、PCで見ると補足説明も見れます)
岩手県大槌町 蓬莱島(ひょっこりひょうたん島のモデル)
岩手県大槌町 街の様子
今日は一般社団法人大槌生活サポートステーション代表の鳩岡さんにお話を伺います。よろしくお願い致します。
はじめまして。さっそくですが、岩手県大槌町の水産業はどうなっているのですか?
だいぶ船は集まっているが、漁港はまだまだ回復していません。海辺にあった水産加工会社は内陸のほうに新設してしまいました。そのあたりの復旧はまだですね。
直感的な印象ですが、1割だと感じています。仮設住宅を回っていると、「復興しているの?」という声を住民からよく聞きます。地元でも復興していないという声があります。
復興しているとか新聞で見ているのですが、原発の問題が解決しない限り本質が変わっていない思います。心配ごとを抱えながら町を再建するのにも不安があるのではないですか?
漁師の話でも風評被害が怖いと言っています。そうゆう心配がつきまとっているのが現状です。町の再建は原発の問題と切り離せないと考えています。
電力は原子力に変わるものがあるなかで、原発にいつまでも依存している体質がある。それが良くないと思います。そこに問題があるのでは?
震災直後の脱原発から最近はずれてきているのではないかと感じます。その状況が変わって行く事が、被災地にも影響しているのではないでしょうか。
大槌町の住民達の間で、東京オリンピックが決まったときの第一声はなんでした?
住民は『え?』という感じでした。仮設に住むひとたちと話していてもオリンピックの話はでてこないです。公営住宅建設の話が今は話題となっていますね。オリンピックについては別段ニュースではなかったようです。町の中でその話題はありませんでした。
報道のなかでは、住宅の建設資材が不足しているなかで、資材や人がオリンピックに使われることが懸念されているが、被災地からの実感としてはどうなのか教えてください。
これまでも工事の落札が不調に終わる、予算があっても人がいない、資材がないという状況だったので、それに拍車がかかるのではないかと心配をしています。
これまでの三陸沿岸は観光地で地域にお金を落として行くことができたはずだが、今年の夏場、外からの受け入れはあったのでしょうか。
宿泊施設は最初はなかったのですが、去年から民宿などが再建されて今は5軒かな? 全体で500~600名くらい収容できるのではないでしょうか。大槌町で一番大きかったホテルがオープンしたことで、ツアーなどの受け入れをしたいという声はあるが、宿泊施設が問題で軌道にのっていないのではないだろうか。(大槌で何を見せるか、など) 一部のNPOが観光で頑張っています。その動きは復興のエネルギーになると思います。
今、この雑誌(Oho otsuchi フリーペーパー)がここにあるんですけど。これを見ての印象だが、盛岡からのアクセスとか書いてあるので観光用に来る人用だと思うが『これが美味しい。こうゆうとこ行くと楽しいよ』と載っているが震災の事は書いていないんですね。やっぱり外に発信する場合は、震災のイメージを伝えるよりも、復興しているというイメージを伝えるほうがいいのでしょうか。
仮設住宅を回ってお年寄りなどの話を聴いていると『全然復興していない。2年前と変わっていない』という声は聴くけれど、そのなかでもがんばって立ち上がって動いている人は間違いなくいる。そのような人たちにスポットを充てているのがその雑誌ではないでしょうか。今、がんばっているひとたちと、がんばることができないひとたちがいる。町のなかでも、いろいろな温度差が出ているのではないかなと感じています。
だとすれば、それは1つの一面。このようなことを発信したいひともいれば、困っていると発信したいひともいるのでしょうか。
大槌町ガイド「Oho otsuchi(オーツチ)」
観ています、地域でも観ているひとは多いと思いますよ。
あぁゆうのがやっているというのはどのような感じでしょうか。
岩手にスポットがあたるというのは励みとは言わずとも、プラスになることはあると思います。
自分が大槌町で活動したときは高齢者が多いと感じましたが、現在子どもは多いですか? あと、学校はどうですか?建ち直しましたか?
大槌町の高齢化率は高いです。子どもは少ないですね。(具体的な数字は現在用意していないのですが) 町にあった学校は被災を免れたのが、5校ある小学校のうち、4校が被災しています。この春から1つの学校に統合されましたが、校舎は被災しているので仮設校舎での授業になります。中学校も1校が被災し仮設中学校に入っているのが現状です。今、かつての校庭には仮設住宅が建っているので、校庭が使えない状況にあります。仮設の中学校と小学校は今後、小中一貫校として統合していくのですが、新校舎ができるのが平成28年度予定とされています。それまでは仮設校舎で小学生、中学生は勉強する状態になりますね。
今年はサンマがなかなか穫れないのと、鮭の遡上が少なくなって来ていると聞くのですが大槌町ではどうですか? また、宅地。 高台移転ですが、更地の状態の場所や堤防の近くに自分自身で自宅を建ているという話を報道で聞いたがどうなのか。教えてください。
鮭の遡上は、減っているような状況だと住民から聞きます。また、遡上と同時に置き網でもかからない状況が続いているようです。高台移転については今の段階で移転しているひとはいるが、「集団移転で高台を造成していて…」という話は聞かない。まったく進んでいない。大槌町に関して言えば、海の近くに建て直しているという話は聞きません。大槌町では土盛りをしてその上に住宅を建てるという計画になっているので、そのような状態にはありません。ただし、水の入る地域(やや内陸)で家を建てるひとはいます。
水産加工品で県内に販売されている体制がとれている製品はあるのでしょうか。大槌町の農作物、水産加工品を沖縄から購入できるものがあれば教えてください。
町内で営業している魚屋さんなどでインターネット通販として発送しているところはありますよ。
仮設住宅が建ったときは2年の契約だったが、そちらで見ると、あと何年くらい仮設住宅を必要とするひとがいるでしょうか。
岩手県大槌町では昨年9月に、公営住宅への入居がはじまった状況です。公営住宅の完成はあと数年はかかります。今回、この春から秋にかけて完成したのが120戸ほどだが、次できるのは今年の夏、さらに半年待たなければいけないという状態。全部であと4,5年はかかるんじゃないかと見込まれるので、少なくともあと2.3年は仮設住宅は必要だと感じている人たちは多いのが現状です。
今後は仮設住宅の老朽化の問題がでてきます。もともと数年の間だけ住むために作られたものなので。仮設住宅はあくまでも仮設です。
大槌町内 仮設住宅
大槌町の医療に関する復興はどのような状況なのか教えてください。
県立病院、個人病院を含めすべてが被災したが県立病院は仮設で再建している。入院施設もなく、内科以外の診療科については日替わりで毎週何曜日というカタチで行われているので完全に復興していない。そのため隣町まで行く必要がある。個人は仮設診療所も含め再建している状態。ただ、仮設から病院まで通うのは苦労する。とくに高齢者。隣町で通わなければいけないひとたちがいる。大槌町は鉄道も被災し通っていないので多くの方が苦労している。
今日のこの場は、遠く離れた私たちと東北のみなさんとつながって何かをしていくことを考える場なのですが、私たちにかできることはありますでしょうか。
ぼくらもいろいろと考えているが、たとえばだけれども『大槌新聞』というものがあり、おらが大槌夢広場という地元の団体が発行しています。地元の状況、町の話題を取材して週に1回出している。全世帯に無料で配布しているが、町外に住んでいるかたにも月1000円くらい?で届けています。町の復興計画なども載っているため、それを手元に届け、見てらうことが大切ではないか。と思う。
大槌新聞(コチラのページから過去記事が読めます)
遠い地域にいるので、被災地である大槌町のことを知る機会は少ない。今回のお話で大槌町がどういう状況か知る事ができました。今後は今の状況を新聞で読ませてもらいたい。いや、ぜひ読ませてください。
大槌町では、個人ベースでそのようなニュースを伝える媒体を持っているが、他の被災自治体でも手作りの新聞などは比較的出ているのですか?
私は大槌町の隣、釜石に住んでいるが、釜石新聞というのが週に3回、被災しているしていないに関係なく配布されています。地元メディア以外にもそのような媒体は多く存在する。また、コミュニティFMなどもある。ラジオで情報発信するとともに、インターネットを利用して全国各地から聴くことができる。沿岸以外でも聴くことができるので重要な役割となっています。
新聞などは各地のものからピックアップすることで、なかなか出来事としてしか報じられない。それが地域の新聞だと地域のことが総合してみられるのでいいと思いました。
私は宮城県出身のためいろいろな話を聴くのですが、仮設住宅のなかでの精神的な支えがなく動揺などもあるかもしれません。そのなかで、さまざまなかたが支えている。活動されていることに敬意を表します。そうゆうふうになんでも話せるひとがいるということはある意味で恵まれていると思います。なにかこちらでできることはさせていただきたい。よろしくお願いします。
公営住宅の移動ははじまっているが、希望して申し込んだが当選しなかった方も多くいます。そのような方たちはあのひとが入れて、私はという選考基準に不満を感じたり、不安を感じている場合があるのです。そのようなかたに対してはお話を聴くことくらいしかできないが続けて行きたいと思っています。
大槌町内 復興住宅
2年半かけてひととのつながりを構築したことが素晴らしいと思う。人と人ですからそのつながりを持てていることで、他の仮設と接触がない場所も多いと聞くなかで支えにもなるのではないか。何年続く分からないなかですが、お体に気をつけて活躍してください。(一軒一軒の情報をまとめていることはすごいことだと思う)
今されている活動が何をもって必要なのか。何を感じておられるのか。改めて教えてください。
2年前から何も状況が変わっていないという現状がある。この活動に関わったのは1年前くらいだがそのときから状況が変わっていないかたが多い。そのかたのところに行かなければいけないというのと、行きたいという想いがある。
やることはカンタンだが、続けて行くのが大切だと思って私は続けています。
答えていただくのが難しいと思うが、町として人々の生活が復興していくなかで、仕事、産業が大切だと思うが、どのように考えているでしょうか。仕事をつくるため政府がしなくてはいけないことなど、考えていることがあれば教えてください。
何が必要かというとあらゆるものが必要だと思います。津波によって全てのものが流されてしまったのが被災地なので『これがあれば』というものよりも、亡くしたものをひとつずつ取り戻して行くことが大切だと思います。そのなかでも働く場所というのは必要です。震災に関わらず、大槌が抱えていた問題があるが、それが津波によって進行したと思っています。
一緒に活動している方が、昨年から建設会社に入社し、被災地で土木作業員として勤めています。岩手県の被災地はよく見るが、若い人がいないと感じているようです。職場もほとんどが60代以上で、50代さえも少ない。極端に若い18などはいる。どこの建設会社でも同じ状況です。賃金の安さもあります。東北も関東と比べるとそのあたりが若い子がいない理由だと思います。求人はダンプの運転手、重機の運転手は引っ張りだこ。建設機械、ダンプ自体も無い。求人の割合は高い数字を維持しているが、正社員としての雇用は少ないのが現状です。
以上。
補足
先月の1月9日〜18日まで岩手県大槌町へ行ってきた。
仮設住宅入居者や在宅避難者のかたとお話させていただいたが、多くのかたが口をそろえて「家賃が高い。足元を見られているようだ」と話される。
復興住宅の建設・入居(とは言っても仮設住宅入居者全員の入居まであと5年以上かかるのではないかという印象)も始まっているなかで、聞けば津波で浸水した地域に新築の木造アパートが建築中で、3月には入居開始とのこと。そこで建築中のアパートと町の不動産屋へ。
コチラが実際にいただいた物件情報だが、この間取りで60,000〜63,000円。たしかに高い。
私が被災地に家を借りていたときは、築数十年の4LDK〜9LDKの一軒家をこれよりも安くで借りていたのでこの価格には驚いてしまう。(おそらく2倍ほどに跳ね上がっているのでは)
高齢化に人口減少。さらに土盛りによる建設禁止区域の存在。津波の被害が及ばない高台への移転。これまで多くのかたが持ち家であった大槌町で、仮住まいとなるアクセシビリティの高い住宅を、さらに限られたなかで求めるとすれば高騰するのも無理はないのだろうな。と思う。
被災地の復興はまだまだ先
『自立』という言葉をよく聞きますが、在宅避難者や仮設住宅入居者、みなし仮設入居者を問わず、被災地にはいまだ自立できる環境が整っていません。住宅を補修し住めるようになったとしても、復興住宅に移ったとしても、当然心の傷が癒えることはありません。
今後、復興住宅の入居にともない退去しなければならない仮設住宅も、避難者全員が入居できるまで5年以上はかかるのではないでしょうか。津波により職場を流されたことで職を失い、生活の見通しが立たず、失業保険や義援金、年金を少しづつ使い生活しているかたが大勢います。この環境は、津波に遭い命からがら生き延びたにも関わらず、自殺や孤独死など、不幸な結果を招くことにつながります。自立に向け、大人と子どもを問わずより被災されたかたがたの目線に立った支援策、生活環境の整備、産業の再生と雇用、そして心のケアが、今被災地では求められています。
英文
"Independence," "self reliance," and "self sustaining" are words that often get thrown around, but the tsunami hit areas are not an environment where that is feasible, whether or not the victim lives in temporary housing or was lucky enough for their home to survive. Houses can be fixed or rebuilt; it is much more difficult to help people emotionally recover from the trauma of losing their loved ones and their livelihoods.The tsunami washed away stores and fishing boats and farmlands; people are living off of savings and donations and insurance money. In this environment, people deal with incredible amounts of both stress and boredom, and a deep depression seems to be settling over the region after the optimistic, hopeful rebuilding efforts of the spring and summer. This is why suicides and kodokushi have been on the rise. The victims of the tsunami want independence and self reliance, but at the present they do not have it, and they do not have access to any professional counselors or psychiatrists, and so the fear is that the rates of suicides and deaths will increase drastically with falling snow and falling temperatures in the next few months.
中文
雖然說我們常聽到自立更生這句話,但是對不論是在家避難的人也好或是對組合屋的居民而言,能自力更生的環境還未整備完成.不論是重建自己的家園的人或是移居到組合屋的人,對心力交瘁的災民而言,心理建設是很重要的. 兩年後,災民們必須從組合屋撤離,但大多數的災民對於撤離後該何去何從還是茫然無所知.很多災民因為海嘯失去工作職場而無法工作,無法預測將來的生活,只能靠著失業保險,捐款或是年金度日.在這種環境下就算逃過了海嘯吞噬而苟言殘喘的生命,也會因自殺或是獨居者死亡等,招致不幸的結局.現在對於災區所該做的是更符合災民的需要,朝著自力更生為目標的救援政策,重整災民的生活環境還有心理建設.
今回の会話は実際に場を設けて行いました。詳しくはコチラをご覧ください。
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