一瞬の安易な思いつきから始まった、能天気な私が沖縄に移住したキッカケ

生きていると「もう限界だ」と感じる瞬間がある。私の場合、今までの人生でそれが3回あった。

「人間、やれば必ずできる!」そう思い続けてやってきた上での挫折。一度経験すると「絶対的にもう無理!」という自分の限界がわかるようになってきて、そこが私の引き際だと思っている。


沖縄に住む前、私はツアーコンダクター(某旅行会社の専属添乗員。略してツアコン。)として各地を渡り歩いていて、それはまさに天職としか言いようのない楽しくて面白い仕事だった。


大勢のお客様と笑いながら会話し、各地の温泉に入り美味しい物を食べ、観光地では四季折々の絶景を目の当たりにし、歴史や芸術に触れたり、買い物をしたり。私の場合、常に感動と興奮にまみれた高めのテンションで毎回仕事を楽しんでいた。ここだけ聞くと贅沢な話だなと思われるかもしれないが、稀に緊急事態が発生することがある。命に係わる場合は瞬時に緊張が走るし、台風で帰路の飛行機が欠航になりそうな場合は深夜にNHKのテロップと睨みっこして翌日の対策を延々と練り続ける。


そんな時は毎回私なりに全力投球で立ち向かう。だって、やればできると思っているから。


沖縄移住、それは安易な思いつきから始まった


私は寒いのが大の苦手である。ホカロンを常備した上に厚着して着込む着込む。暑いのは我慢できるけど寒いのは我慢できない。


ある冬の日、早朝便の飛行機に乗るため、始発電車に乗ろうと最寄り駅に向かって歩いていた。真っ暗な寒空の下、周囲は静まり返りキャリーバックを引き摺りる「コロコロコロ…」という音だけが響き渡っていた。


寒くて暗くてこの静まり返った中、なんで私は一人で歩いてるんだろ?

ああ、1年中暖かい場所に住めたらいいのになあ。そんな場所あるかな?

あ、あった。ハワイだ!!!


真っ暗な寒空の下、一瞬頭に過ったこの安易な発想が沖縄に移住するキッカケの元となる。


その後、なんとなく頭の中で蝶々のようにハワイが舞い始めた。半袖Tシャツで過ごす南国の冬、バドワイザー片手に南国リゾートを満喫する自分の姿を想像しては勝手にわくわくし始めていた。色々調べ始めてみると、はて残念。現地で仕事するために必要なグリーンカードの取得がかなり難しいという。検討の結果、ハワイは断念せざるを得なかった。


が、しかし、そこで諦めるような私ではないのだよ。


「ならば、日本でいいか。一番南にある暖かい場所といったら…お、沖縄だ!」


この閃きが私を沖縄に移住させるキッカケとなり、安易な企みは実行に移されるのだった。


行動し始めるとそれは楽しく面白く、部屋探しのために2週間沖縄に飛ぶことに決めた。現地での移動手段として自転車を購入し、これだ!という物件を割とすぐに見つけ、不動産屋の手続き完了後すぐに住み始めてしまった。

2週間の残りの期間で家中のレイアウトを考え、必要最低限の買い物をし、帰ってからやるべきことをメモして。


そこからはあっという間にことが進んでいった。沖縄での仕事が決まると、埼玉に帰ってから会社に辞める宣言をし、引っ越し準備や挨拶兼ねての友人との飲み会。凄い行動力だね!それが私に対する周囲からのイメージだった。


部屋探しのために、沖縄に行く前の出来事


暇さえあれば自宅のネットで沖縄の不動産情報を調べていたが、約10年も前の話なのでネットでは十分な情報は得られなかった。


「ならば沖縄に行って直接探そう!」


普段パソコンを使うことのない私の姿を見て、母は感づいていたのだろう。たった一言「沖縄に住むの?」と聞いてきた。私は誰にも相談せずに行動を起こしていたのだ。これが母親の直感なのか。部屋を探すために沖縄に行くことを告げた後、母はこう言った。

「帰って来たら、ちゃんとお父さんにも伝えるのよ。」と。

外では満面な笑顔で明るくて評判の父だったが、一部頑固親父の面もある。反対されるかもしれない、そう無意識に思ったのか、今ではなぜ話さなかったのかよく覚えていない。


沖縄で不動産屋の手続きの際、保証人のサインが必要と言われ、自宅に電話して初めて父に沖縄移住の話を告げた。帰ってきた返事はこうだ。

「あ、そうなの。うーん、いいじゃない。沖縄かあ、いいねー。」

この話を友人にする度、決まって返って来る言葉が「面白い家族だね。」「良い家族じゃん。」と。いつも自由にやらせてもらっていた私は、かなりの親不孝者だと幾度も幾度も後悔したけれど。


あの時、反対されていたら今の自分はいない。だから感謝してもしたりないくらい。本当にありがとう。とても感謝してるよ!


沖縄移住の理由、本音は違っていた


ツアコンの話に戻るが、ツアコンの仕事は常に一日中人に囲まれている。やっと一人になれる時間は宿泊先の部屋に入ったとき。満室時はツアコン同士が相部屋になることもあって、その場合は一人になれるのはお風呂タイムくらいか。


たまに大型団体というお客様が数百名規模のツアーがあり、修学旅行や大企業の社員旅行などがそれに当たる。お客様の人数により、ツアコンの人数は数名から多い時は40~50名となり、かなりの大所帯と化す時もあった。


そんな中、そこそこキャリアを積んでくると嫌な役目も回ってくる。

所謂、チームリーダー的なやつだ。判断を下したり、指示を出したり、時には後輩を怒ったり、上司に強く断言したり。スムーズに仕事を進めるためには必要なことだった。



何を守るのか。

その一番にあるのはツアーの成功だった。無事にツアーが終了し、別れ際お客様に「楽しかったよー、ありがとう!」なんて言われると思わず感極まり、仲間と共にこめかみが熱くなることもしばしば。この仕事やってて良かった!と思える瞬間だった。


ツアーを成功させるために、必要だったこと。

素早い判断力、的確な指示、事前準備や時間の効率化、そして仲間に対する思いやり。

仲間に対して頑張る力を与えるコミュニケーションは凄まじいパワーを持っていた。一気に人を本気にさせ、時には満面の笑顔に、時には胸の内に熱い闘志を煮えたぎらせ、今まで充電していたパワーを急に放出し始めるのだ。そんな姿を見てるのが好きで、遠目に見守りながら「頑張れ、頑張れ!」と心の中ではファイティングポーズを決めていた。

時に意見が食い違ったときは、とことん話し合った。意志が通じないままだと問題を引き起こす可能性が高いから。そして最終的にどこかで折り合いをつける。私の場合、割とすんなり上手く行ってた方かもしれない。



しかし出る杭は打たれるのか、ある時期から意見を言うほどにバッシングを受けることが増え、それが続いた時にはさすがに参った。貫き通すこともあったが、それが正しい行為ではない時もある。人の顔色を見る癖があったので、どうしようもなく動けなくなる時があった。


根拠ある自信が貫き通せず、否定されることへの拒絶が出始め、ある時私は意見を言うのをやめてしまった。やめたら止まってしまうのに。それは自分を捨てる行為と同じなのに。


少しずつ口数が減り、無理やり笑顔を作り、なんだかとても苦しかった。

そんな頃「なんだか人に疲れる。」そんなことを思い始めた。

なんとなく東京の人混みに嫌気がさして、無償に現実から逃げたくなった。それが本当の理由であり、本音だった。南国のゆったりしたイメージの沖縄だから、それは尚更だった。


もう言ってもいいかな?

そう思えたので今ここで書いている。

たぶん書きたかったんだよ、何かを伝えるために。


がしかし、私の能天気は健在だった!


本音と建て前。

それは誰でも持っている葛藤。


私の場合、またまた本音が勝利してしまった。沖縄に移住したあと再びツアーコンダクターという仕事に就いてしまったのだ。そして大型団体のツアーにもガンガン出て再び人と絡みまくるという!


ただ住む場所が変わったという環境の変化だけ。この時の私にはツアーコンダクターが天職だったらしい。


沖縄移住を決めてからは、新しい目標に向かって進むことが楽しくてしょうがなかった。沖縄満喫するぞー。仕事するぞー。面白いことするぞー。


人に疲れただと?

東京に疲れただと?

アホかボケ。


あの時の自分にそう言ってやりたい。でも褒めてもあげたい。だからこそ今の自分があるのだと。


未だに、なぜ沖縄に移住したのかと聞かれることがある。

そんな時は毎回こう答えている。

「寒いのが苦手だったから。」

大抵の人はこの話をすると笑う、面白い発想だねと。それで良いと思っている。だってこの発想が沖縄に移住するキッカケになったのだから。



理由はどうあれ、何かしらに導かれてやってきた沖縄。

そんな感じで私はこれからも生きてく、頑張る。

悩む、そして進む。その繰り返し。



更に本音を言えば…

「沖縄で何かデカイことやりたいなー。沖縄に何かしらで貢献したい!」

そんなことを思っている。


どうせやるなら楽しくて面白くて、でも途中は苦しくてだからこそ最後に喜びだけが残ること。そんなことをやってみたい!なんて思ったりしてる。(気持ちは大事?)



「人間、やれば必ずできる!」今でもそう思いながら。



キッカケとは不思議なものです。

安易な発想が人生を大きく変えてしまうのですから。

やはり人生は、何が起こるかわからない。



だからこそ、面白い。


※現在は、Web系の仕事をしつつ、沖縄在住ライターやってます。

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