Hold Upされても、人生変わらなかった僕が、何故病院をやめるのか?

前話: Hold Upされても、人生変わらなかった僕が、何故病院をやめるのか?  第2回

Hold Up!  Take your Clothes!


背中に冷たいものを感じた。
暗い炉道、異国の地、夜中1時半の出来事だった。


地元大学の医学部に現役で進学した
僕は、筋じゃの大人たちからは成功者と思われていた。


でも、それが、じぶんがやりたかったことかどうかは

じつは、

つい最近まで、分からなかった。


地元大学に進学した僕も、大学に入れば、
普通のヒト以下で、それは当たり前で、
学業成績は人並みであった。


最初の大きな挫折は、大学4年。
病理学1教科で、見事留年。

1年間する事無くて、海外にでもいってみようかと、
大学の友人と二人で香港、中国へ飛び立った。
格安旅行会社の、往復運賃と初日の送迎、ホテル付きで申し込んだ
香港、翌日深圳、さらに桂林
ホテルは20人のドミトリー

そのとき、同室だった女性は
なんと、今では、某国立大学の教授になっている。

その後、成都に行き、中途で出会った人たちにそそのかされ、
チベット行きを決意。
成都からラサ行きの飛行機チケットが600元弱
2万円強。 高。。。

ラサに入ると、さらに
ネパールに抜けなきゃ
と、会う日本人、会う日本人
に言われ、

4人で、ランクルをチャータして
国境の街、ジャンムーへ。
左手には、チョモランマの裾野が見えていた。
ここをまがると、エベレストのベースキャンプ。
時間の余裕と、食料の予備も無かったため、
そのまま直進した。


ジャンムーにつくと、
そこからは、
土砂崩れの影響で、
道路は寸断されて、歩くしか無かった。

雨の中、歩く。
歩く
あるく。。。
1日目 10時間の歩行がきいたみたいで
2日目 15時頃、行き倒れ。。。


生も魂もつきて、歩けない。
一歩も前に歩けない。
そのとき、持っていたのは、
日本円と、日本円のトラベラーズチェックのみ。

そこでは、全くの紙切れ
持っていたカメラで、水、食料をお願いするも、
全く相手にされず。


お店の前で、動けず、柱に寄りかかっていた。
なんとかして〜
助けて〜
声も出なかった。


そうこうしているうちに
現地のおそらく裕福な若者たちが
数人集まってきてくれ

なんと、なんと、
水をただでふるまってくれ、
さらに、当時のお金で
2000円相当のネパール通貨を恵んでくれた。

さらに、さらに、
カトマンズ行きのバスの手配、
バスの発着所までのポーターを雇ってくれた。
名前を聞くも、聞き取れず。
書いてもらおうとするも、書いてもらえず。
(あとで聞くと、文盲であった可能性高い。)


なんとかこうとか、無事、夜の9時にカトマンズの街に入り、
日航ホテルに宿泊した。
安心した場所で就眠できる幸せ
ヒトの本当のありがたさ
本当に感謝!
を、強く感じた一日であった。


翌日、
日航ホテルでは、予算がオーバーするという事で
安宿を探しに外に出た。

1泊200円。シャワーは別。
蚊取り線香付き。
食事は、希望時、1食200円
素晴らしい宿を見つけることができた。

そこを拠点に、本屋さんで
ガイドブックを購入して、市内散策。
のっているところは、レンタル自転車
バス、ホテルの主人の車を利用して
いくつも回った。

食事は、僕には美味しく
どこでも平均1食200円で、
腹一杯食べることができた。

あいにくの雨期のため、
天候には恵まれなかったが、
毎日楽しかった。

帰りたくないなあ。

10日後は、落とした科目の
試験のため、どうしても帰らなければいけないため、
香港行きのチケットを手に入れた。












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