「正しいこと」の凶暴性

「ちゃんとすること」の、悪い意味での強力さを、近頃よく感じています。

ちゃんとすることで組織は硬直化し、反骨精神のないつまらない企業に変容していくのです。

# このエントリを公開するキッカケになった当社 HR Manager のインタビュー記事: http://compass.campus-web.jp/archive/538/


◆ 体調不良になるインターン

たとえば、当社の新卒採用向けインターン (3 日間) は参加学生およびメンターとなる当社メンバーに圧倒的に負荷をかけ、苦しい中、答えが出ない中でのチームメンバーに対する振る舞いや諦めずに考え抜く力、やり切る姿勢をみています。逆に学生のみなさんにも、説明会でカッコイイことを言っていた僕やメンターが、体力的につらい中でどういったサポートをしてくれるのか、リーダーシップを発揮できるのかをみてもらいたいと思っています。双方の「ナマ」を見て上で重要な意思決定しようということですね。


また、「これまでで一番苦しかった」というインターンの評判は、当社が採用したいと考えるセグメントに対してプラスのインパクトを残すことにつながると考えており、新卒採用マーケットでの競争力を築く上でも有効だと思います。

しかし、そのようなコンセプトに基づいて実施しているにも関わらず、例えば体調を崩す学生がひとりでもいようものなら、コンテンツ量や課題を見直さないと!という議論になります。(実際なりました)

ちゃんとした人
「参加した学生に何かあったら大変だから」
「責任がとれるのか」

これは「ちゃんとした」意見であり、一般的に非常に真っ当であるといえます。だからこそ厄介であり、誰もロジカルに反論することは難しいのです。


◆ ちゃんとすることが正しい?

「コンセプト」に責任を持つ管掌役員やマネジャークラスが、「ちゃんとしている」という判断軸ではなく「このコンセプトこそが当社の将来を支える新卒採用を実施する上で重要である」という強い思いで制しなければ、この「ちゃんとする」流れは続き、縮小均衡をたどることになるでしょう。結果として当社のインターンは凡庸で、どこででも体験ができてしまうようなつまらないものに変わり果ててしまうのです。「ちゃんとした」判断を繰り返すという一見正しいことをしたことによって、です。これで、当初の目的を達成することはできるでしょうか。


◆ 「ちゃんとすること」にはパワーと快楽がある

「ちゃんとすること」に反論することは非常に難しいことがあげられます。これに対抗するには、相当強いこだわり、信念がなければなりません。ずっとずっと考えに考えて、生まれたものだけしか、「ちゃんとしたい」という意見から身を守ることはできません。

また「ちゃんとする」側の人にとっては、「ちゃんとする」行為は「 仕事したぞ!」という気になりやすく、快感があるわけです。本来的な仕事の目的とはズレた行為であっても、インスタントに仕事をした感じになりやすい「ちゃんとする」ことは、彼らに間違った充足感を与えてしまいます。

このため、油断すると猛烈なスピードでチームや会社はちゃんとして、そしてつまらないものになります。


◆ 本当に成し遂げたかったことはなにか

本来の目的はなんだったのか。そのためにできることは他にないのか。常に責任をもって考え続け、頭痛に絆創膏をはるような短絡的な処置ではない対応をする必要があります。インターンの話の場合、事前によく休養をとってくることを徹底周知したり、食事に気を使ったり栄養ドリンクの差し入れや、メンターが生産性のコントロールをして適度に休憩を入れる、宿泊施設の充実などやれることは山ほどあるはずです。ちゃんとしたインターンをやりたいわけではなくて、特定のゴールを達成するためのインターンをやりたかったワケですから。


経営陣やマネジャーの仕事の中でも「ちゃんとしたこと」をどれだけ拒否し、リスクをとって本当に達成したいことにフォーカスし続けられる環境をつくるか、ということはスーパー重要だと改めて感じました。

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