ホットコーナー "サード"


サードが僕の定位置だった。

小学校のときから中学校も高校もずっとサードだった。

スポーツと言えば野球しかなかった。グラウンドを夢中になって走り回った。決して名手でもスラッガーでもなかった。けれども、野球が好きだった。だからこそストイックになれたし、熱くなったり、ムキにもなった。

大声を出してノックを受け、捕れそうもない打球にダイビングした。

いつからかガッツが僕の代名詞となった。

「お前は野球してなかったら、何ともならんやつや。」

チームメイトにはよく言われていたが、僕は高校を卒業すると糸が切れたようにプツリと野球をやめてしまった。


上京し、大学に入ると自堕落になった。

着飾ることや自分をだますことを覚えた。いつのまにか人が変っていた。

僕は大学を中退した。


僕には真っ向直球勝負の気質がある。

その性分が大学を中退した後にも時々顔をのぞかせて、思いをこめて打ち込むことはあっても、長続きはしなかった。

職を転々とした。

脈絡のない職歴を重ねた。それでうまくいくはずもなく、劣等感にさいなまれた。

そんな自分が大嫌いになり、吹っ切れない感傷を引きずったまま、白髪が目立つ歳になっていった。


   *    *    *


中学の同窓会に出たのは、卒業してから三十五年後のことだった。

「子供らに、野球、教えとっての。」

僕の顔を見て真っ先に話しかけてきたのは、子供の頃ずっと野球を一緒にやっていた幼馴染だった。

「あのとき、悪さをしとったこと、反省しての。」

中学の夏の大会では僕たちは優勝候補だった。しかし、準決勝で思いがけず敗れた。県大会に向けての猛練習をすることがなくなった。

長い夏休みになった。

目指すものを急に失った僕たちの生活は一変した。


幼馴染も秋になるとまるで変ってしまった。一気に不良になった。

僕と会う機会がなくなり、むしろ避けているようだった。

高校に入ったら野球をやって甲子園へ行きたいと言っていたが、幼馴染は高校を受験することすらやめてしまった。

僕から話しかけることもなくなり、僕たちはそのまま卒業し、一度も会うことがなかった。


そんな幼馴染と三十五年を経て、再会した。

「上の息子は野球が好きなんや。甲子園に行きたいうて、ちっちゃいときから言うとるんや。そやから一生懸命やれ言うとる。それと、何があっても野球をやめるないうて教えとる。野球が一番好きなやつが、その一番好きなもんやめると、ろくなことにならん。自分がそうやったでな。」

幼馴染はとてもうれしそうだった。

「今年、息子は高校に入って、野球部なんや。一年生やけど、レギュラーになったんや。ホットコーナーのサード。そんなに上手やないけどな。ガッツだけや。ガッツだけはある。お前と一緒やで。」


僕が高校を卒業すると野球をやめてしまったことや、大人になっていく途中の道を踏み外してきたことを幼馴染は知らない。僕もあえて言おうとはしなかったが、

「お前、野球、今もやっとるんか?お前のことやから、ずっとやっとったんやろ?」

そう尋ねられたとき、僕は思わず口をすぼめた。

幼馴染は屈託なく笑って、

「小学校のとき、お前と一緒に日暮れまで砂場でヘッドスライディングをしとったな。中学校のときには、毎日しごかれて泣いとった。お前とは野球のことばかっりやし、お前の顔を見ると、ええことばっかり思い出すわ」


   *    *    *


数日後、僕は走り回った中学校のグラウンドに立っていた。

定位置のホットコーナー、それにあの頃の思いは三十五年前のままだった。

これまでの僕は、野球をやめてからのいやなことばかりを思い出していた。夢中になって野球をやっていたときのことはひとつも思い出そうとはせずに。

だが、そんなことはもうやめる。

そして、ずっと引きずっている感傷を吹っ切るまで、もう少し自分を好きになることに決めた。


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