急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ2(発生事実・後編)

前話: 急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)
次話: 急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ3(本編)

こんにちは、おおぬきです。前編を読んでいただいたみなさん、ありがとうございます。そしてここからは、なにも言わなくなった旦那と過ごす、私と家族の最後の3日間です。いま思い出しても涙が出てくるけど、頑張って書くので、最後までおつきあいよろしくお願いします。




旦那を一般病棟(個室)へ移してもらったのが、2月14日のお昼過ぎ。人工呼吸器を装着し、太ももの付け根から血圧を維持する薬を入れるためにカテーテルを挿入された旦那がそこには居ました。旦那は眠っているという表現より、何もなくなった空っぽの入れ物にポンプで空気を出し入れしているというような人形のようになっていました。ただ、高熱が出ているせいもあり、身体だけは異常に暖かいので、「ああ、まだ死んではいないのだな」と思えたのです。

投薬は続く

延命処置をやめたとはいえ、病院側は「殺人」とみなされるような行為は絶対にしません。それゆえ、現在の旦那の身体に適した治療=一定量の投薬(栄養の入った点滴や血圧維持の薬など)は、彼の鼓動が止まるまで続きました。

また、一度装着した人工呼吸器も倫理上、外すことはできないんだそうです。

脳が死ぬということは、身体への指令が止まるということ

自発呼吸停止後、脳の細胞が死に始めているのがだんだんと身体の表面上に表れてきました。代表的な症状が、①熱が下がらない、そして②排泄されないという現象。

点滴により絶えず栄養剤の水分が体内へと入っていきますが、排尿の量があまり増えていきません。水分が排泄されない=身体の浮腫みが凄く出てきて、頭を保護するためにネットを被っていた旦那の顔はパンパンになっていきました。

また高熱が出ているにもかかわらず、身体の表面から出て行くはずの汗の量も減っていき、後半には皮脂だけが毛穴から出てくる状態になっていました(変な表現ですが…チーズをオーブンに入れて焼いてパリパリになったような感じでした)

BMP162で暴走する身体

血圧を維持する薬の影響で、彼の心拍数は異常にあがり、平均で150前後、最高値は162を維持していました。首の付け根で跳ねるように脈打ってる様子が肉眼でも見えました。

2時間に一度、看護師さんが床ずれ防止のために身体を動かしにくるんですが、旦那は無意識の中それが嫌だったようで、この床ずれ対策が終わった後は必ず脈が落ちていました^^;静かに寝かせていて欲しかったのかもしれないね…。

またこの時同時に、後頭部やわきの下に入れておく解熱用のアイスノンの交換も行っていました。カッチカチのアイスノンを入れても、2時間後には溶けてしまいます。40℃の熱が下がらず、身体はオーバーヒートしたまま3日間を過ごしたのです。

何も言わなくなった旦那と一方通行の会話をする

旦那の母親(以下、お義母さんと書きますね)と弟は気を使ってくれたのか、病室に私と旦那と二人きりにしてくれる時間を多くしてくれました。お義母さんも数年前に夫(私からみて舅)を肺ガンで亡くしているので、この時も相当辛かったと思います。自分の配偶者が死んで、子供も死んでいく辛さは私以上だったと思います。本当はもっと、話したい時間が欲しかったかもしれません…。

2人きりの部屋で一方通行の話をしました。看護師さんが「意識は無くても、死ぬまで耳は聞こえてるから沢山話しかけてあげてね」と言っていたので、私は旦那に思い出話やこれからのこと…お前のことは私がちゃんと看取ってやるからなー、とか、お義母さんのことは心配するなー、とか。たった3年だったけど、幸せにしてくれてありがとう、とか。…ちゃんと聞こえていたかしら。

最期にあなたは会いたいですか?

急に脳出血を発症し、一夜にして姿が変貌した旦那。そして、近い将来死がやってくることは確実になりましたが、さて、これを親族・友人に伝え、会わせるべきか?
お義母さんは知らせるべきではないという意見でした。理由は、①急にこんな状態になってしまったので相手も受け入れる余裕があるかどうかが心配である、ことと、②本州の友人たちを呼ぶには酷な北海道の距離と天候と旦那の生命維持力、がありました。

※②について補足すると、この日(というかこの数日間)雪が降っており、飛行機の発着ができなくなる可能性があることや、到着するまでに旦那が生きているかどうか?(生きている保証がないので)が大きな問題でした。

私としては、死んでから会うより、意識は無くてもまだ生きているうちに会えたほうがいいと思い、近場に住む親族や友人には伝えたいと言いました。

最終的には親族と、友人2名が会いに来てくれました。(そのうち1人は関東在住で、札幌に出張で来てた人でした)

命が消える合図と、それを受け入れる準備をする

ずっと旦那の手を握っていて「本当に死ぬんだろうか」と疑問に思って、命が消える合図を看護師さんに聞きました。(担当医から「いつ死ぬかわかりません」とは聞いていたものの、何かしら身体に異変が起こるんじゃないかと思っていたので)
どうやら、脈が100を切ると死は近いらしいとのこと。最初(13日)は150台あった脈も15日昼ごろには120まで落ちていました(血圧を維持する薬は停めていないのに、こうやって落ちていくんです。かといってこれ以上投薬の量を増やすと本人への毒になってしまうためにできませんでした)

「100切ったら脈が落ちるのは早いですよ」


死はもうすぐだ。
15日午後。私と旦那の弟はそれを受け入れるための準備を始めます。

葬儀準備

葬儀って一般的に、いざ人が死んでうわああああってなって葬儀屋さんを呼んで、「じゃ、このセットで行きましょう」みたいに提案されて始まると思うんですが、もうすぐ死にますって解っていると、事前準備出来ちゃうってことを舅の死の時に学んでいたので、今回も同じように動きました。

旦那の弟と二人で、お金のかからない葬儀方法をネット検索したり、市役所に行って調べたりしました。最悪、葬儀というより火葬のみという手段もありましたが、それを市役所で説明された際の言葉が強烈でしたね。

「あ、遺体はちゃんと箱にいれて持ってきてくだされば火葬できますので」………棺桶って当たり前のようで当たり前じゃないものなのかもしれない…。

最終的には舅の葬儀の時にお世話になったIさんにお願いすることにしました。御坊さんも同じ人です。Iさんと御坊さんは旦那と同じぐらいの年齢だったこともあり、誰の葬儀なのかを聞いて驚いていまいsた。御坊さんは旦那と数日前に話をしたばかりだったので余計にびっくりしてました。

明け方に旅立つ君

16日に日付が変わる頃。仮眠をしていた私を、お義母さんが起こしにきました。

「脈が110を切ったよ」

私は急いで病室に戻りました。看護師さんが来ていて、血圧を測っていましたが、それは機器を使ったものではなく、脈が触れるか触れないかで判断する測定方法でした。

※人間の脈の主な測定場所は、①手首(橈骨動脈)、②足の付け根(大腿動脈)、③首(総頸動脈)があり、首で脈が触れないと、血圧は60mmHg以下になっているそうです。

旦那はこの時、首の脈が触れない状態でした。また、お義母さんが足をさすってあげようと布団をめくった時、死斑のようなものが既に出ていました。

「そろそろ逝ってしまうのか」

旦那の死が急にリアルに感じてきました。
死んでほしくないとはもちろん思いました。死んで旦那の肉体が無くなってしまうことも、もちろん恐怖でした。ですが、目の前で動けないまま投薬され、人工呼吸器を装着された旦那を見続けるのも辛かった。旦那が可哀そうだった。

それゆえ、死が近いことにホッとする自分も存在していました


午前3時前。とうとう脈が100を切りました。100を切った瞬間、90、80、70…と脈が落ちていくのが早くなりました。そして60を切った瞬間、


ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ベッドの側に在った機械が、旦那の心臓が止まったことを告げました。心臓ってドラマみたいに0までカウントして止まるもんじゃないんだなーって教えられました。

ナースコールを押して、看護師さんと先生を呼びました。

この時もね、人工呼吸器ってやだなーって思ったけど、心臓止まってるのにポンプみたいに動いてるんだよ。死んでるのに、呼吸してた。自分が死ぬ時は、人工呼吸器は付けたくないなーってマジマジと思いました。

先生に臨終の言葉を戴き、葬儀屋さんに電話しました。事前に連絡と調整をしていたおかげで、すぐに迎えにきてくれました。

さあ、家に帰ろう

エンゼルケアをしてもらった旦那と対面しました。病院で仏衣を着せてもらった旦那。髪の毛が短くなっていたせいか、その顔は修行から帰ってきた山伏のようでした。

ずーっと人工呼吸器をつけていたせいで、下唇がうっ血し、口や鼻の周りは固定テーピングの後で少し荒れて傷ついていました。(やっぱり人口呼吸器は嫌だ)

もう一つ痛々しかったのは、頭の傷。手術後、悪い血を逃がすのと、投薬のためのドレーン(管)が2本ほど傷口から出ていたのですが、それを外した後、大きなホッチキスみたいなもので傷口を塞いでおり、ガーゼとか当てるわけじゃなくそのままだったものだから、びっくりした人多いんじゃないかな…。

看病中はずっと泣いてましたが、亡くなった後は、本当にホッとしたせいか涙が止まりました。そして、私もお義母さんも同じことを呟いてました。


「やっと連れて帰れる。さぁ、家に帰ろう」


……ここから先はまた次編で書きます。

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