吃音に苦しむ、若いK君の未来のために。「恐怖突入」というキーワード。

ひょんな縁で、22歳の大学生・K君と知り合いました。彼は重症の吃音(きつおん=どもり)で、それをたいへん悩んでいました。僕にとって吃音は決して他人ごとではなく、中学3年からの10年あまりの間、悩みに悩み抜いたもっとも重大な問題でした。


K君のこれからの長い人生のために、そして自分自身が経験したことが誰かの役に立つように、この雑文を記します。かなりの長文で、ちょっとしたカミングアウトになりますが、ご容赦ください。


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自分が吃音であることに気が付いたのは、中学3年の秋のことです。


ある日の美術の時間、先生から突然教科書を読むように言われました。起立して読み始めようとしたのですが、何故か声が出ない。のどが引きつったような感じになり、口がパクパク動くだけなのです。


周囲のクラスメートの視線がだんだん自分に集まるのがわかりました。心臓の鼓動が激しくなり、恥ずかしさで頭が真っ白になりました。そのまま1分くらい時間がたったでしょうか、先生が「寺澤、もういいよ」と救いの手をさしのべてくれました。教科書を1行も読めないまま着席すると、今度は膝がガクガク震えてきて、背中には冷や汗が流れるのを感じました。


おそらく、高校受験のストレスが原因だったのでしょう。初めて経験する人生への不安が、吃音という症状になって現れたのだと思います。


僕自身はよく覚えていないのですが、実は小学校に入学した頃、隣の席の女の子が吃音で、その口調を真似しているうちに自分も軽いどもりになったことがあったようです。心配した母親は、毎晩寝る前に吃音の矯正本を朗読することを僕に課しました。休みの日には聾唖(ろうあ)学校へ相談に連れて行かれたこともあります。ところが本人はまったく無頓着で、気にもしていませんでした。そして、いつのまにか吃音は治り、吃音だったという記憶すら消えていました。その自分でも忘れていた吃音のタネが、受験のプレッシャーをきっかけとして突然根を張り出したわけです。


中学時代の僕は、何でも一番できるちょっとしたヒーローでした。弁論大会ではただ一人原稿を持たずにスピーチをして喝采されたり、生徒会副会長として毎週の全校朝会の司会進行を仕切ったりと、自信満々の日々を送っていました。そんな栄光の日々(笑)が、その美術の時間を境に一挙に暗転し、吃音の悩みのトンネルに入りこんでいったのです。


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一口に吃音といっても、いろんな症状があります。「ぼ、ぼ、ぼ、僕は・・・」という山下清画伯のような連発型や、最初の音が出てこない難発型などがあり、出ない音も人によって異なります。僕の場合は母音が出にくい難発型で、たとえば「明日、江ノ島の、絵はがきを、送ろう」などというセンテンスは人前で決して発音できませんでした。


不思議なことに、ふだん家族や友達と話す時には、あまりどもらないのです。リラックスできて、出にくい音を別の音に変えることができる(「明日」を「翌日」と言いかえられる)場面では、ほぼ普通に話せます。でも、言い換えができなかったり、初めて会う人や大勢の前で話すような緊張する場面では、最初の音が出せません。だから、電話ができない、自己紹介ができない、教科書の朗読ができない、スピーチができない、飲食店で注文ができない、等々、中学3年生以降は、いつも吃音の苦しみのなかで過ごしていました。「これさえ治れば、自分の人生はどんなに幸せになることか」と、吃音である自分を呪ってさえいました。


大学時代にコピーライターを目指したのも、それが影響しています。うまくしゃべれないなら、書くことで勝負していこうと考えたわけです。またカラオケが好きになったのも、同じ理由です。歌っているときには絶対にどもることはありませんから。


吃音を治すために、関連する本を読み漁りました。高いお金を払って矯正所へ通ったこともあります。ほんとうに救いを求めていたのだと思います。そして、だいぶ経ってから手にした本で「森田療法」に出会いました。それは神経症やパニック障害などを治療する精神療法が書かれた本で、特にその中の「恐怖突入」という言葉が深く心に刻まれました。


恐怖突入とは、自分が一番嫌なこと、一番恥ずかしい状況のなかに、あえて自分の身をさらすという意味です。僕の場合でいえば、電話をしたり、人前で自己紹介をしたり、という場に、あえて自分を置くということになります。しかしこれは吃音者にとって、とてつもなく怖いことです。できれば、何がしかの理由をつけて回避したい。しかし、おそらくそれしか治る方法はないのだと、僕は自分を追い込みました。


今では、吃音の治し方や体験談などがネット上にあふれています。森田療法や恐怖突入についても、たくさんの人がコメントしています。しかし、それらをいくら読んでも吃音は治らない。頭でいくら理解してもダメで、恐怖突入に立ち向かうことを覚悟し、その大きな痛みをともなう経験によって自分の心を腹の底からリセットしなければならないのです。吃音である自分を受け入れ(これが簡単ではないのですが)、どもっている自分をそのまま他者に晒すこと(これはとても恥ずかしい)、そしてその痛みととことん付き合うこと(もう地獄です)。逆にいえば「吃音を治そうとしている間は、吃音は治らない」ということなのです。


映画の「ショーシャンクの空に」で、モーガン・フリーマンが演じる無期懲役囚が、仮釈放の可否を決する面接で「服役して更正しました。社会に出ても善良な市民として生活できます」と言っている間は仮釈放が認められず、「仮釈放などどうでもいい」と諦めの境地に達した時に、はじめて刑務所から解き放たれるというシーンを思い出します。


また「英国王のスピーチ」では、吃音の国王・ジョージ6世が言語療法士から発声や呼吸法の訓練を受けるシーンが出てきます。でもまったく治らない。そして第2次世界大戦が始まり、ナチス軍の侵攻が進むなかで、ラジオで全国民を鼓舞する演説をしなければならなくなった時、彼の吃音症はどこかに消え、見事な演説で国民を感動させます。「吃音で恥ずかしい」という脅える気持ちよりも、「国民にメッセージを届けなければ」というピュアな思いが勝ったときに、初めて吃音が治るのです。この映画を僕はとても楽しめず、ハラハラしながら見ていました。


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最初に正社員として就職した会社は、コピーライターとして入社したつもりでした。しかし入社してしばらく経つと、新規顧客開拓の営業という仕事が待っていました。上司から新規営業リストを渡され、1件ずつ電話をしてアポイントを取るのですが、この電話ができない。最初の自社名の発音すら出来ず、沈黙の時間だけが流れました。相手はさぞ不審に思ったことでしょう。新規アポの電話をどもりながらする姿を周囲の先輩たちに見られるのが嫌で、10円玉をポケットに大量に入れて、外の公衆電話から新規アポの電話をしていました。その当時、ケータイはおろか、テレフォンカードもありませんでした。


運よくアポが取れて、新規営業先を訪問しても、緊張でひどくどもっていました。自己紹介や自社商品の説明が、やっぱりうまく出来ない。営業といういちばん嫌な仕事から逃げずに、いくら恐怖突入の覚悟を決めたといっても、症状は改善されず、ほんとうに辛い日々でした。


ところが、予想外のことが起こることになります。そんな吃音の営業マンである僕が、入社1年目からそこそこの営業成績を残せたのです。もちろん自分なりの努力はしました。うまく話せないので、とにかく先方の話を一生懸命に聞き、キッチリとノートを取る。プレゼンもうまくできないので、企画書に時間をかけて読んでもらえば分るようにする。電話1本ですむ用件でも手紙を書く、等々。温かく辛抱強い先輩たちの存在も支えになりました。そんな毎日を過ごすなかで、あることにハタと気がつきました。吃音の営業マンでも、お客さんは仕事を発注してくれるんだ、と。


それは自分にとって、まったく意外な発見であり、大きな喜びでした。営業など絶対に出来ないと思っていた自分を認めてくれる人がいる。それは大きな自信になりました。「そうか、どもってもいいんだ…」という、気づきというか、悟りというか、これまで感じたことのない納得感と安心感が、吃音に脅えていた自分の心に沁みこんでいきました。


その後、3年目くらいから、僕はずっとトップ営業マンの成績を残しました。いかにどもらずに話すかという関心が薄れて、いかに営業するかという本来の問題意識に集中できるようになったからだと思います。そして、営業グループのリーダーを経て役員にもなり、売上目標の達成や、企画コンセプト出し、チーム内の人間関係の軋みの解決、新規事業立ち上げの対外折衝など、マネージャーとしての修羅場を経験しているうちに、吃音のことを次第に忘れていったのです。


この恐怖突入の経験はその後、新しい仕事を始めたり、難しい課題にぶつかったときに、たいへん役立ちました。たとえば、会社は急成長するベンチャー企業であったゆえに、販売管理や財務管理のリーダーが必要になった時期がありましたが、僕は自分から立候補して経理財務を中心とする経営管理部長になりました。簿記のボの字も知らず、帳簿体系のイロハも分らない自分が、あえてそこに突っ込むことで、1年後には財務の知識が営業マンの顧客理解にいかに役立つかを説く側にいたのです。怖くても突っ込んでいけば何かが分る。そんな実感が、これまでに何回もありました。


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K君、きっと君はこれを読んで「ホントかよ」って思うかもしれません。でも、現実に起きた本当の話です。君は吃音の苦しみから解放される特効薬を求めているかもしれない。でもそれは、たぶんありません。


僕自身、今でもプレッシャーのかかるプレゼンなどで、どもることはあります。ただ、「別にどもってもいいや」という諦めが心の根っこにあります。吃音だと思われないような、いろんな小技も使えるようになりました。だから僕を吃音者だと気がつく人は、たぶん少ないと思います。でも吃音の悩みはなくなったものの、それとはまったく種類の異なる難題をいくつも抱えてはいますけれど。


K君、君と話していると、いつの日か流暢に話している自分の姿を思い描いているような印象があります。それは昔の僕自身の姿に重なります。吃音者であることを他者に悟られないよう自分の自我の枠組みを一生懸命守りながら、将来はこうなっていたいという自己イメージを夢想しているだけです。たぶん、それでは吃音は治りません。


恐怖突入による吃音の痛みこそが、吃音の根源的な原因である今の君の凝り固まった心の枠組みを溶かしていくのです。吃音の痛みに耐え、それが当たり前になるまで痛みとつきあい続けたとき、突然君の前にこれまで見えなかった新しい風景が広がることでしょう。


世の中には、病気や障がいなどの悩みをもつ人はいっぱいいます。でも何らかの悩みを抱えながら、多くの人は平然と生きている(少なくともそう見えます)。たとえばパラリンピックに出場する選手たちは、おそらく障がい者としての痛みと向かい合ったからこそ、競技者という新しい自分と出会えたのではないかと思うのです。


新しく見える風景は、吃音の苦しみよりずっと辛いシーンかも知れません。社会人として仕事をすれば、必ず難しい問題にぶち当たる。その辛さから逃げずに続けていれば、吃音の悩みが良い思い出になる日がきっときます。


君も超一流の国立大学に進学しているから、受験勉強の辛さは経験したでしょう。新しい知識や、知識を得るための方法論を身につける苦しさのなかから、新しい今の君が生まれたはずです。それを成長というのではないでしょうか。


米国アップル社のスティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業生へのメッセージの中で次のように言っています。吃音者の僕はこのメッセージを、他の人とはおそらく異なった文脈で受け取り、深い感銘を受けました。その言葉を君に贈って、この雑文を終わります。


“点と点の繋がりは予測できません。


あとで振り返って、点の繋がりに気付くのです。


今やっていることがどこかに繋がると信じてください。”


---スティーブ・ジョブズ




(追伸)


この雑文をfacebookに載せることを、実は少し迷いました。自分の恥を書いて何になると思ったからです。でも自分をさらすことがfacebookのコミュニケーションの基本形だと思います。そして、これもまた、ひとつの恐怖突入なのかも知れません。

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