プロフェッショナル達が挑んだ。横浜の水際線を走る日本初の国産連節バス「BAYSIDE BLUE」誕生の裏側
横浜都心臨海部の回遊性を高めるために企画された
全長約 18 m、バスを 2 台つなげたような形の「連節バス」
鮮やかなブルー。洗練されたデザイン。
「BAYSIDE BLUE(ベイサイドブルー)」と名付けられたそのバスが横浜の街を走ると、それを見かけた人は老若男女、「あっ」という驚きとともに、笑顔になる。
なにしろ車体が長い。通常のバスが蛇腹で 2 台つながったようなスタイルで、 全長約 18 m。大型路線バスの全長が 11 m前後なので、2倍弱の長さである。こうしたバスは「連節バス」と呼ばれており、日本国内では約 20 年前からさまざまな地域で見られるようになったのだが、横浜市で連節バスが運行されるのは BAYSIDE BLUE が初めてのことだ。
「横浜市では、2015年に『横浜市都心臨海部再生マスタープラン』を策定しました。その計画に基づき、横浜市の都心臨海部全体の回遊性を高めて街の賑わいづくりに寄与するため、新たなバス路線を導入しようということになったのです」。当時を振り返りながら横浜市交通局の小谷野貴弘は言う。
横浜市 交通局 自動車本部 路線計画課 路線計画係
小谷野(こやの) 貴弘
計画が策定された頃は都心臨海部における移動需要の増大が想定されており、交通機関を早期に導入することによる回遊性の確保が求められていたことから、連節バスの導入が検討された。
さらに近年、横浜のみなとみらい21 地区をはじめとした都心臨海部には、国内最大規模の多目的ホールを誇る「パシフィコ横浜ノース」、食をテーマにした商業施設や宿泊施設を擁する複合施設「横浜ハンマーヘッド」(新港ふ頭客船ターミナルに併設)など、大規模な施設が次々にオープンしている。
増大する移動需要に対応するのであれば、通常の路線バスのルートを変更したり便数を増やしたりすればいいとも考えられる。しかし、「多くのバス事業者では乗務員不足という問題を抱えているんです」(小谷野)。乗務員が足りないのだから、バスの便数は増やせない。1 人の乗務員が一度に運べる人の数を増やすには、まさに連節バスという手段は最適解だったのだ。
万国橋を走る BAYSIDE BLUE
ルートは水際線沿いの交通網を強化するべく設定されており、
横浜のランドマークをぐるっと周回することができる。
例がなかった国産の連節バス。導入に際しての不安は?
かくして横浜市は連節バスの導入を決定した。入札を経て決まった契約の相手方は横浜日野自動車。実は、日本国内を走る連節バスは全て海外メーカーの車両であり、これまで、国産の車両は前例がなかった。導入に際して不安はなかったのだろうか。
「その逆なんです」と横浜市交通局の蒲谷明男は首を振る。「導入することに決まったのは、日野自動車さんといすゞ自動車さんが共同開発する車両です。もともと私たちが運行している路線バスの中に日野さんの車両、いすゞさんの車両は多く入っておりまして。今回の連節バスはそれらがベースになった車両ですので、そういった意味ではとても安心感がありました」
横浜市 交通局 自動車本部 車両課 車両係
蒲谷(かばや) 明男
横浜日野自動車との契約を結んだのは 2019 年 4 月。納車までの約 10 カ月間のことを蒲谷は忘れることができない。
「バスの車両には、日野さん、いすゞさんといった自動車メーカーだけでなく、それ以外にもたくさんのメーカーが関わります。バスを製造する宇都宮の工場に関係者全員が一堂に介して打ち合わせを行いました」
運転席周りのモニターなどの機器、シート、床、行き先を掲示する車内デジタルサイネージ……これらは各々異なるメーカーが担当。さらに、市が当初求めていた仕様と、製造現場で考える仕様との間に乖離があった。技術面での制約、予算面での制約があり仕方ないことではあるのだが、多くの関係者との調整は困難を極めるものだったと言う。
連節バスの整備面にかかる受け入れ体制も調整が行われた。バスの整備のためには車体を持ち上げるリフトが必要だ。「BAYSIDE BLUE の運行・整備担当となる滝頭(たきがしら)営業所の工場を建て替え、これに合わせて車体の長い連節バスのために三柱リフト(3本の柱で車体を支えるリフト。一般の路線バスでは 2 本の柱で支える二柱リフトが使われる)を作りました。さらに、滝頭営 業所からほど近い日野さんの工場には、連節バスに対応した地下に潜るタイプのリフトが整備されました。市とメーカーの双方で協力しながら連節バスの整備ができる体制を組むことが求められていたのです」(蒲谷)
整備面においても、これまでにない新しい設備を整えなくてはならなくなった。車両を真横から見ると、その特異な形状に驚くとともに、
そうした事情にも納得せざるを得ない。
車体に大きく掲げられたシンボルマークは連節バスの「2つの車体」を「2つの連なる波」に見立ててデザインされたもので、
車体の色は、横浜をイメージさせる青に水面のきらめきを表現する光沢を持たせた「マットメタリックブルー」になっている。
横浜市交通局の乗務員 1100 人のうち、乗務できるのは 22 人
並行して進められたのが乗務員の選考だ。必要な免許は一般の路線バスと同じ「大型自動車第二種免許」であるとはいえ、2 倍近い長さの車両を運転するには相応の技術が必要となる。
「交通局の全営業所の乗務員を対象に、連節バス乗務員を公募しました。募集にあたっては、『乗務員』と『指導員』を区分して行いました。指導員は、まず自身が運転技術を学び、そのうえで他の乗務員に対する教育、指導を行うことを想定していたことから、受験資格として『現に(路線バス)指導員であること』を加えました。すでに新人育成などに実績のある乗務員を選抜することで、その後の習熟をスムーズにさせることとしました」(小谷野)
こうして適性のある 5 人を「指導員」として選抜し、彼らには、17 人の乗務員の教育・指導をすることが任じられた。5 人の指導員の中の 1 人が、滝頭営業所の長島重美である。
横浜市 交通局 自動車本部滝頭営業所 長島 重美
「大きな乗り物が好きなんですよね。まあ、子どもと同じです(笑)。若い頃か ら大きな乗り物に興味があり、バスの乗務員をする前はトレーラーを運転していたこともありました。公募のお話を聞いた時には『自分がやらなければ!』と思いました。選んでいただけるかどうかは別にして、『ぜひ乗ってみたい』という気持ちでした」
無事に選考を通過した長島たち 5 人の指導員は、連節バス運行の実績がある福 岡・博多の西鉄バスで行われた研修に臨んだ。初めて運転席に座ってルームミラーを見た時には車両の長さに圧倒されたと長島は言う。その後に横浜日野自動車でも研修を受けたものの、もちろんそれだけでは足りず、実際の車両での練習を積まなくては運行を始めることはできない。
しかし、だ。日本の公道を走れる車両は全長 12m までという基準が設けられており、全長約 18m の BAYSIDE BLUE は走れない。道路の管理者に特殊車両通行許可を申請する必要があった。
連節バス運行のために行われた道路の改良
道路の改良も行われた。「連節バスの車体がどうしても既存の道路の白線を跨いでしまう箇所があり、そうした部分では道路の幅員を広げる工事を行いました。また、連節バスが交差点を左折した時に対向車と接触しそうな箇所では停止位置を下げるといった改良もさせていただきました」(小谷野)
BAYSIDE BLUE が走る道路の改良を担当するのは横浜市の都市整備局、道路局、港湾局の 3 局。道路図面を見ながら実際に BAYSIDE BLUE が走ったらどうなるかを綿密にシミュレーションする、根気のいる作業だった。さらに、道路を改良するにあたり、神奈川県警察に許可を得る必要もある。関係者が多く、こうした面での調整に小谷野は心血を注いだという。
難所とされた交差点を滝頭営業所の構内に再現し、 練習に練習を重ねる日々
公道での練習がなかなかできない期間、長島たち乗務員もまた、努力を重ねていた。BAYSIDE BLUE の運行予定ルート内に海岸通 4 丁目の交差点があり、何度シミュレーションしても、ここの左折が一番難しいとされていた。
「道路のデータをいただいたり、実際に交差点へ足を運んで道路の幅員などを計測したりして、まったく同じものを滝頭営業所内に再現して左折の練習を繰り返しました」。こう長島は言うが、本当のところは、実際の幅よりも少し絞ったものを作ったのだという。プロ意識の高さには恐れ入るしかない。バスの停留所の切り込み部分も同様に滝頭営業所内に再現し、何度も何度も練習。20 年以上の運転歴がある長島でも、腕は筋肉痛になり、ハンドルを握る手にはマメが絶えなかったという。
BAYSIDE BLUE の乗務員には、滝頭営業所の構内で最低 16 時間、公道で最低 60 時間の練習が義務付けられていたが、これはあくまで「最低」の数字。どの乗務員も、基準を大幅に上回る時間を練習に充て、運行の日を待った。
新型コロナウイルス感染症拡大による影響で 1 カ月ほどずれ込んだものの、
2020 年 7 月 23 日、BAYSIDE BLUE は晴れて運行初日を迎えた。立役者である 3 人はそれぞれ、どこでこの日を迎えたのだろう——。
それぞれの運行初日
「当日の朝まで、準備のための作業に追われていました」と話すのは小谷野だ。「点字ブロックは運行開始まで養生しておく必要があったため、各所を回って養生のテープを剥がしていました」。各停留所には運行情報を映し出すモニターが設置されているのだが、それらが問題なく作動しているかどうかも確認して回っていたという。
BAYSIDE BLUE の記念すべき第 1 便は、横浜駅東口バスターミナルを 10:00に出発。この勇姿を動画に収めようと思っていた小谷野だったが、「初日ということで、乗客のみなさまへノベルティのステッカーを渡す対応に追われ、出発の瞬間をビデオで撮れなかったことが悔やまれるところです」。笑顔で、でも残念そうにそう振り返る。
一方、蒲谷は車両の中にいたという。「一般のお客様に混じって、乗客として乗りに行きました(笑)。乗務員さんの練習する車両に乗せていただいたことはありますが、実際に BAYSIDE BLUE に乗ってみて、『やっとここまで来たな』って……」
車検を通し、ナンバーを取得する際の出来事も、今となってはいい思い出だ。「車両を横浜市都筑区にある神奈川運輸支局まで、陸送の業者の方に運んでいただきました。でも、あのサイズですから、場所をとってしまうため、神奈川運輸支局の営業が終わる間際の時間を見計らって行きました。日野さんとの契約を結んでから約 10 カ月後に車両ができあがって、そして営業運行が始まって。どういったお客様が乗ってくださっているのかな、運行は無事にできるかな、そういうことを思いながら乗らせていただきました。いちファンとしての気持ちも大きかったですが(笑)」
「こういう人たちがこういう仕事をしてくれているから、バスは走ることができるんだ」
そして、乗務員の長島は第 1 便の中にいた。もちろん、運転席にだ。「いろい ろなことを思い出しました」と言う。「公募に手を挙げた時は、ひょっとしたら少し軽い気持ちだったかもしれません。でも、小谷野さんや蒲谷さんをはじめとする立場の異なる同僚たちの仕事を見ていると、『これは全然スケールが違う仕事だな』と思って。『そうか、こういう人たちがこういう仕事をしてくれているからバスは走ることができるんだ』って。そういうことを考えると、安全にお客様を運ぶということは言わずもがなの大前提として、あの同僚たちを裏切ってはいけないという気持ちの昂ぶりがありました」
運転席から見える景色も、忘れることはできない。「走っていると、周りからたくさんの目線を感じます。カメラを構えて撮影する人もたくさんいます。信号待ちの際など、そういう目線に気がつくと、自然にこう、背筋が伸びますよね(笑)」。クッと背筋を伸ばすチャーミングな仕草に、カメラを構える側の笑顔が想像できてしまう。
運転中の長島。
運転席にはモニターが 4 つもあり、注意を怠ることはない。
無事に運行が始まったとはいえ、「運行を開始して終わり、ということではなく、これが本当のスタートです」と小谷野。「まだまだ 100 点満点のサービス ができているわけではなく、改善の余地はあります。横浜にはこれから誕生する予定の施設がたくさんありますし、それに応じてルートが変わったり、増便したりといった可能性もあります。運行開始から約半年の間にお客様から多くのお声をいただきましたので、みなさまの期待に応えていきたいです」と力強く話してくれた。
「BAYSIDE BLUE は、横浜の水際線沿いをいいとこ取りするルートを走っているんです。横浜駅を出発して、パシフィコ横浜を過ぎたところの国際橋。ここまでは白い建物が多く、まるごと『白い景色』を楽しめます。国際橋を過ぎると横浜赤レンガ倉庫をはじめ、歴史を感じさせる建物がずらり。神奈川県庁本庁舎、横浜税関、横浜市開港記念会館、神奈川県警本部庁舎など、横浜を代表する建物を眺めることができるんですよ」と長島。「ただ、ね……」と、少し間を置いた。
新型コロナウイルス感染症の猛威は収まらず、2021 年 1 月 7 日、政府は東京 都、神奈川県、千葉県、埼玉県の 1 都 3 県を対象に、1 月 8 日から 2 月 7 日ま での期間で 2 度目の緊急事態宣言を発令。2 月 2 日には、この期間を 3 月 7 日 まで延長することが発表された。横浜市交通局ではバス車両の運転席周辺、つり革、手すりなどの定期的な消毒をはじめ、車内の換気、職員の手指消毒の徹底など、十分な対策を講じており、地元住民にとっての大切な公共交通機関でもある BAYSIDE BLUE もまた、コロナ対策を万全にした状態で運行を続けている。さらに、2020 年度末までには除菌装置も設置する予定だ。
「コロナが去って、『乗りに来てくださいね!』と大きな声で言えるような日が来た時のために、我々は日々、運転の腕を磨き、車両も丁寧に磨いて、みなさまをお待ちしています」と長島は笑顔で話してくれた。
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