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今日が、残りの人生の最初の1日。

「育む人」に誇りと自信を。波乱万丈の人生から 生まれた“ママエゴグラム”という視点

著者: 一般社団法人 NICCOT Partners


はじめまして。

一般社団法人NICCOT Partnersの桑子 和佳絵(くわこわかえ)と申します。


保育園幼稚園の人材安定化をサポートする「せんせいNICCOT」という事業を運営して

います。


保育園幼稚園の職員の約95%が女性。人間関係トラブルによるイジメや離職が後を絶たず、ここ数年は集団離職も増えていることはご存じの方も多いのではないでしょうか。


そこで実証実験やインタビューを重ね、2016年に「せんせいエゴグラム診断」という

“パーソナリティ傾向と園ならではの対人ストレス傾向を客観視するツール”を開発し、

職員の状態を客観視し、配置検討や育成をしていくプログラムをご提供開始しました。


こういった自己紹介をすると、「幼稚園の先生、保育士さんをされていたのですか?」と聞かれることが多いのですが、私は幼稚園教諭でも保育士でもなく、園で働いたこともありません。


もともとはIT企業で働く、ミーハーなOLでした。


なぜ、そんな全く関係のない業種で働いていた私がこの仕事をするようになったのか。

 

少し長い文章なりますが、ビジネスの根幹となるものであり、人生をかけて成し遂げたいと思っている


「育む人」に自身と誇りを


に、つながります。お読みいただけたら幸いです。

ーすべてにつながる原体験ー



両親は北海道の出身。

父の転勤で東京に住むことになり、そこで私は産まれました。


見知らぬ土地に引っ越し、人づきあいが下手だった母は、社宅ぐらしや初めての育児

など慣れないことばかりの日々が、母をどんどんと孤独にしていきました。


やがて母の精神状態は不安定になり、私が幼稚園に入ったころから、知っているだけでも4回の自殺未遂をしています。

 

アルコールを飲んで真っ赤な顔をしながら


「おまえなんて生まなければよかった」


と叩かれた時の恐怖感は、なかなか忘れられるものではありませんでした。

 

いつのころからか

「ああ、私はいらない人間なんだな」


という思いと

「私は母親のような大人にはなりたくない」


という想いが同時に存在するようになっていました。

 

この頃の私にはまだ母親の立場や気持ちを理解出来る余裕はなく、思えばいつも、自分は可哀想だと思っていた気がします。


そして、この経験が その後の自分の選択すべてに影響することになりました。

 ー父からの言葉と新しい決意ー



母親の顔色を極端に伺う状態が続いていましたが、中学生になったある日限界を感じ、父親に

「助けてほしい」


と直訴したことがありました。


ところが、返ってきた父の言葉は、「お前たち、いい加減にしてくれ。俺は明日も会社があるんだ。妻には家のことをやってもらわなくてはいけないから、お前が出て行ってくれ」


というもの。てっきり助けてもらえるという期待があった私には衝撃の言葉でした。

 

ああ、私の味方は本当に誰もいないんだ、と「悲劇のヒロイン」が誕生した瞬間でした。


※ 両親の両親は成人前に全員他界、北海道から知り合いのいない東京に出てきた父も母も「自分の孤独や苦労を分かってほしかったんだろうな」と、親になった今は十分に想像できます。


その後は、どうやって死ねばこの親を後悔させられるか、というようなことばかり考えていましたが、今のようにネットはなく、その方法を探すのも面倒で そうこうしているうちに結局断念。


「価値がないと言われないよう」

「家を追い出されないよう」


…こんな後ろ向きな動機で、勉強を頑張ることにしました。


そういうことを繰り返しながら

「これをクリアすれば認めてもらえるはず」


という、“妄想階段”を上るようになり、有名な大学、有名な企業に入って自分の価値証明しようとやっきになっていました。


そしてなんとか念願の大企業に入ることができました。

ー人生これで上手くいくはずー


そう思っていたのもつかの間、生意気だった私に先輩からの陰湿なイジメや上司のセクハラが始まりました。また、あまりにも大企業過ぎて新しいチャレンジをする事は難しいということを、1年も経たずに知ることになりました。


そんな中スタートした「NEC社内起業家募集制度」に所属部署が事務局をする関係から下っ端として関わらせてもらえることに。


ここで、私のその後を大きく変える出会いがありました。


それが、現在大手企業の代表取締役を務めていらっしゃるK社長。


NEC社内ベンチャー制度の審査を通過し起業準備をすることになったKさんのお手伝いを担当することになり、それまでの“能天気ミーハーOLライフ”が一変。


夜中まで仕事をして、朝は誰よりも早く出社しているのに誰よりもパワフルなKさんの

様子に首をかしげ、原動力はなんなんだろうと知りたくてついて回る日々。


やがて、それが

「世の中を変えたい」


という思いだと知ることに。


それまで、ただ自分の価値を認めさせるためだけに勉強や仕事を頑張ってきた私が、

誰かのためになることをしようと、ここに来てやっと気づいたのでした。


そしてその後 Kさんに続き 私自身も仲間2人と社内ベンチャー制度に応募、審査を

通過。めでたくキャリアデザインサポートサービスの会社を設立したのでした。

ー勘違い、破綻 からの再生ー



東京世田谷に小さなオフィスを構え、事業を開始すると、ありがたいことにNECの看板があるので営業はしやすく、大手との契約も決まり、売上げはあっという間に5億、6億と伸びていきました。


さらに社内ベンチャーブームを背景に、雑誌や

テレビの取材も多数してもらえることになり…


「勘違い」するには十分な材料がそろっていきました。


4年ほどが経ち、気づけば表参道にオフィスを構え、犬連れ車通勤をしたり完全に調子に乗っていたあの頃。


しかしインターネットを取り巻く環境が急激に変わっていっていく中で、どこかサラリーマン精神をぬぐえなかった私達は変化の波に乗り切れず、売上げはどんどん減少。


事業開始から6年目を迎えた年に、親会社から事業撤収の通達がありました。会社は譲渡、そして社員はリストラすることに。


自分の未熟さから社員を巻き込むことになってしまった事を深く反省し、懺悔の日々。


‥ところがここで一つ奇跡が起きたのです。


私も含め女性向けライフデザインサポートサービスをやっていたチームを全員、大手教育サービスの子会社が受け入れてくれることになったのです。

ー最も不得意な領域へー


こうして、当時私が最も不得意だった「子ども」や「家族」というものと向き合うこと

になるのでした。


今まで「オトナ向け×IT」の仕事をしてきた自分が、「コドモ向け×アナログ」の仕事をすることになり、正直最初は調子が掴めませんでした。


さらに、会社解散後の「やっぱり私は価値のない人間だ」に再び陥っていたこともあり、心身共に絶不調。


そんなさなか、小学生から中学生までの子どもたちの探求プログラムに参加することに

なり、子ども達の“人間としての凄さ”や“うまく表現できないけれど溢れている想い”に

触れていくうちに、徐々にカサカサに干からびていた魂が潤ってきました。

ーAくんとの出会いー


忘れられないのが、先生から「問題児」と言われていた当時中1のAくん。


プログラムを進める中で、先生からも親からもバカ扱いされている、というやるせなさをボソボソと教室の隅で打ち明けてくれました。


そんなAくんが、森での体験学習中、いつものようにふざけていたかと思うと、突然私の横に来て、自分の知っている「虫」の種類を次々と教えてくれたことがありました。


それはもう、イキイキと、得意げに。


この時のことは、空気感も含めて今でもリアルに覚えています。


教室の隅でボソボソと話していたのとは別人のような目。

周りが自分をどう見ているか、なんて気にしないで自信たっぷりに話す姿。


自分に自信がある状態というのはこんなにも人を輝かせるんだな、と心から感動しました。Aくんにそのことを伝えたところ、本当に嬉しそうでした。


そんな貴重な経験をさせてもらう日々を過ごすうちに、改めて今後のことを考え、お世話になったその会社を辞めること。


実はこの間、当時東京大学教育学部大学院教授だった家族心理学の第一人者亀口憲治先生の講演をお手伝いしたことがきっかけで「家族療法」について学ばせて頂いていました。


家族を対象に1対Nでカウンセリングするものですが、この場合の「家族」には、猫も、ぬいぐるみも、植木鉢もアリだというお話が、グサッと胸に刺さりました。


“自分が家族だと思ったものが家族でいいんだ”という考え方をここで知りました。


それをきっかけに、子ども達の可能性を拓く活動をするには、最初で最小単位のコミュニティである「家族」を応援することだと思い、2005年に会社を設立。

ー生きづらい家庭で育った私が「家族」をテーマに起業ー



今まで培ってきたものをベースに“キッズファミリーマーケティング”というコンセプトで、子育て家族向け商品やサービスを提供する企業向けにビジネスを始めました。


ご縁のあった方にご紹介などを頂きながら大手住宅会社や食品会社、玩具メーカーなどの仕事を頂き、幼稚園などの協力を頂いてなんとか軌道に乗りつつあった2008年。


“リーマンショック”が起こりました。


そこからは、もうあっという間に転げ落ちていきました。


企業のマーケティング活動は縮小の一途となり、通帳とにらめっこしながら「ああ、やっぱり、またダメなのかぁ」と歯ぎしりする日々。


もうなんだか人生全体が無理矢理過ぎて限界・・


この時 年齢は既に30代半ばを超えていました。

実はこの間に結婚離婚も経験。


今更就職もできないし、これからどうやって食べていこうか‥一人でそんなことばかり考えていました。


そんな時、友人の紹介で、自分の「あり方」を見直す学びの機会に恵まれ、根本的に人生を徹底的に見つめなおすことに。


その一環で、とうとう母親に長年の想い(恨み?)本音を伝えたのです。

ー棚卸しと浄化ー


ところが。


肝心の母親は「おまえなんて生まなければよかった!」と言ったことも、私をたたきまくったことも殆ど覚えておらず「そんなことあったの?」と、やや他人事・・


ここで初めて、私は長年悲劇のヒロインよろしく人生一人芝居を演じてた?ということに気づきました。なんてことでしょう!


こういった“棚卸し”と“浄化”を経て、今一度、自分が本当に望んでいることを考えた時に、自分の辛さを子どもにぶつけてしまう、まさに私の母のような人を解き放てる

ようなことをしたいとしみじみ思ったんです。

ー天命を知るー


そこで、仕事のスタイルも思いきり変更。

企業のお手伝いをする仕事から、


子育て真っ最中のお母さんたちの支援をすること


を目的に「一般社団法人 家族力向上研究所」というベタな名称で再スタート。まずは幼稚園向けイベント企画や保護者向け講座から始めました。


と同時に、プライベートでは再婚を。


なんとか子育てをしたいと、すぐさま不妊治療を開始。

4年ほど取組みましたが時すでに遅し、でした。


そんな時、ズタボロになった私に主人が「これ、どう?」と養子縁組のサイトを見せて

くれました。


「家族」が作りたかった私は、一瞬で腹落ちし、翌朝9時に児童相談所に電話、

すぐに里親・養子縁組の説明会に申込みをしました。


そこで、今まで意識してこなかった言葉にインスパイアされました。それが

“子どもは社会で育てるもの=社会的擁護”


という言葉。


ああ、本当にそうだなーと、この言葉は全身に染みわたりました。


もし私の母親の周りにサポーターがいたら、また、私自身に母親以外の誰かがいたら、ああいう関係にならずに済んだな、と・・。


だったら私達も子どもの“筆頭サポーター”になり、色々な人にサポートしてもらいながら育てればいいんじゃないか。そういう「家族」でもいいな、と。


そこからはもう、猪突猛進。

里親研修、実地研修を経て無事「里親認定」を取得。


その約1年後に、2歳9か月になる娘と出会いました。


一緒に生活を始めてからは、食べ物を投げたり絨毯の上でおしっこをしたりと、数々の彼女なりの必死の“お試し行動”に翻弄されながらも、徐々に親子っぽくなっていきました。


もちろんキーっとなることも山ほどありました(今も?)が、当時一時保育でお世話になった保育園や入園した幼稚園(預かり保育幼稚園)の先生たちに、本当に助けて頂きました。


そしてこの時、母親業と同時進行で、横浜市主催でETICさんの社会課題解決プログラムの参加権を得て、ある実証実験を行い、乳幼児の子育てシーンで過干渉や支配的な育児をしているママたちが多いという結果が導き出されたことをきっかけに、

「母親が自分自身や子どもとの関わりを客観視する」


ことを目的に、人間関係心理学に基づいたエゴグラムをベースに子どもとの関わり傾向を

客観視する“ママエゴグラム”を開発したのでした。



これを機に、ママたちが肩の力を抜いて子育てできるように

NICCOT(ニコッと)


という名称でできるサポートをスタート!


子育て相談にも実は勇気が必要で案外ハードルが高い、セミナーは万人向けで「私の、我が子の場合は?」と不完全燃焼になることも多い、などのヒアリング結果から、“こっそり出来る診断”を入り口にしたわけです。


おかげさまで、ママエゴグラム診断は6500人が活用して下さるに至りました。

(性別を男性にするとパパエゴグラム診断になります!)


お子さんのことで悩んでいるママは、一生懸命ググって 子どもに問題がないか、どこに

相談に行けばいいのかを探しがち。


これに対してママエゴグラム診断は、お子さんに対して“自分がどういう傾向で関わっているか“客観視するのですが、診断+セッションで“子どもの問題だと思っていたことが

実は自分の関わり方の影響が大きかった”ということを理解してくれる方も多いんです。


最後には


「なんだ、これでいいんだ」

「これで大丈夫なんだ」


と明るい表情で帰っていくママ達を見ると、これを作ってよかった、と心から感じます。

「本当に解決したいと思ったこと」

「心から望んでいること」


は、巡り巡って自分自身の原体験に答えがあり、

それに忠実に、正直になれてから、認めて頂ける機会が増えたな、と実感しています。


ここまでの道のりの長いこと、長いこと…


そして、そこから家族の次に、あるいは同じくらい子どもと長い時間接することが多い

保育士や幼稚園教諭の皆さんを応援するための事業に発展していきます。


この話は、また次の話で。


ここまで とても長い長い話を読んでくださりありがとうございました。


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法人名:一般社団法人NICCOT Partners

所在地:神奈川県横浜市中区日本大通7 日本大通7ビル4F

代表者:桑子 和佳絵

Webサイト:https://www.niccot.jp/


👇ママ・パパエゴグラム診断はこちら👇

tinyurl.com/y9saqe2r


◆本件に関するお問い合わせ先


取材・寄稿に関するご相談は以下担当にお問い合わせください。

一般社団法人NICCOT Partners

広報担当 片岡 麻衣 

メール:m.k.net.k.m@gmail.com



<オマケ> 人生グラフにしてみたら、こんな感じになりました!



 

 




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