FC大阪~Jリーグへの道~
■Jリーグ百年構想クラブ認定
「ありがとうございます。これからも精進して参ります」
Jリーグからの認定を告げる電話を神妙な面持ちで受けるFC大阪 疋田晴巳社長の声が会場に響いた。
2020年2月25日、JFL(日本フットボールリーグ)に所属し、東大阪市をホームタウンとするFC大阪が、Jリーグ百年構想クラブに認定された瞬間だ。
「この日を迎えられましたのはひとえに、FC大阪に関わる全ての皆様のおかげです。感謝を改めて申し上げたいと思います」
約23年にわたるFC大阪のJリーグへの挑戦が形になった記念すべき一日となり、会場は歓声と祝福の大きな拍手で包まれた。
次の目標はJリーグ参入のために必要なJ3クラブライセンスの取得と、JFLの順位や年間平均入場者数等の条件をクリアすること。
同時に地域社会の中で生活インフラと根付いていくために、
「大阪を世界へ」 「社会課題解決への取り組み」 「地域力向上に向けて」
クラブの掲げる3つのミッションの達成も大きな目標である。
■ドリーマーズ(FC大阪誕生)
1996年に現FC大阪会長の吉澤正登が社長を務めていた会社の社員を中心に草サッカークラブを設立、これが後のFC大阪である。
大阪府社会人サッカーリーグ5部からスタートしたFC大阪は、翌97年に5部リーグを優勝すると、さらにその翌年の98年には4部リーグ優勝と順調にカテゴリーを上げていく。
2006年、
クラブ設立10年目、クラブにとって大きな転換点が訪れる。
Jリーグのキャリアサポートから元Jリーガーをはじめとしたスポーツ選手のセカンドキャリア形成する受け皿になれないかという提案があった。
FC大阪の母体となる会社に元Jリーガーの受け入れを始める。
同時にクラブは大きな決断をする。
「大阪から3クラブ目となるJリーグ入りを目指す」
クラブを事業化し、FC大阪はプロ化に向けて大きく舵を切ったのだ。
FC大阪はグローバルブランドのサッカークラブになる事を掲げ実現に向けて歩き出す。
Jリーグ参入という吉澤の言葉を誰も実現に至るとは信じていなかった。
大阪にはすでにJリーグに所属するビッグクラブが2つもあったからだ。
「本気ですか!?」と誰もが口をそろえて聞き返す。
地域リーグに所属するクラブにとっては、それだけ途方もなく大きな「夢」だったのだ。
■JFL突入
しかし周囲の疑問の目をよそに、強化策が功を奏し、その後もカテゴリーを上げていく。
しかし大阪府社会人リーグ1部では他のチームを圧倒・ダントツで優勝しながらも、関西サッカーリーグへの昇格の扉をこじ開けることができず、
2013年、3度目の正直でやっとのことで関西リーグへの昇格を果たした。
第一の目標としてのアマチュア最高峰リーグと称されるJFL(日本フットボールリーグ)への昇格をひたすらに目指した。
そんなクラブの本気さを感じ、応援してくれる賛同者も集まってくる。
ただの応援ではなく、社会やビジネスの課題に対し、サッカーを通じた地域貢献と、まちづくりによって解決していくというFC大阪のビジョンに大きな可能性を感じたのだ。
また、他スポーツとの連携として、東大阪を拠点とする野球・関西独立リーグに所属する「06BULLS」とも提携する。
現在では大阪府内の各自治体との連携拡大により、FC大阪の最大の強みとなっている。
そして2014年
第94回天皇杯の大阪府代表として、クラブ史上初となる天皇杯の出場権を勝ち取る。
天皇杯とは、プロのJリーグクラブもアマチュアのクラブも入り乱れてトーナメント戦を行う国内3大タイトルと言われている非常に歴史のある大会である。
Jリーグクラブ相手にFC大阪の実力を測る格好の舞台。
会長、社長、選手、スタッフ一同、並々ならぬ大きなモチベーションをもってこの一戦に臨んだ。
結果は0-5。惨敗である。
対戦相手は前年度までJFLに所属していたクラブだった。
少しづつ超えてきたはずのJリーグへの壁が、その時またクラブの目の前に大きく立ちはだかった。
その悔しさをバネに全国地域サッカーリーグ決勝大会を戦い抜き、2度目のチャレンジで念願のJFLに昇格が決定する。
クラブ設立から実に18年目の事だった。
チームは天皇杯での苦い経験からJFLで戦い抜く事は出来ないと危機感を持っていた。
チーム強化、遠征費獲得のためクラウドファンディングなどを活用し資金集めに奔走する。
グローバルブランド展開として
ブラジルの名門クラブ「グレミオ」と提携し、選手の受け入れや日本におけるスクール事業を担う。
現在、ポルトガルの「CSマリティモ」・トルコの「アンタルヤスポル」と提携している。
■瞬間、力、合わせて
迎えた2015年、初のJFL全16チーム中8位という結果に終わった。
JFLのリーグ戦を戦いながら、天皇杯予選も戦っていたチームは昨年に引き続き大阪府代表として本戦への出場を決める。
一回戦の相手は同じ大阪を本拠地とするセレッソ大阪。
FC大阪にとって初となる公式戦における大阪ダービー、並々ならぬモチベーションで臨んだ。
試合終了のホイッスルが鳴る。
スタジアムから誰も立ち去ろうとしなかった。
歓喜、怒号、悲痛、悦楽、様々な感情が渦巻いていた。
2-1、FC大阪の勝利。
ジャイアントキリングはここに果たされた。
リーグ戦ではホームゲーム運営、開催地確保から何から何まで初めての事である中、選手、スタッフは、がむしゃらに走り試行錯誤を続けた。
ドタバタのシーズンであったが、その経験がクラブを大きく成長させた。
クラブはシニアチーム、女子チーム、ユースチーム、フットサルチームを抱えるまでに拡大をしていく。
■ドリーマーズアゲイン
2018年11月27日 東大阪市をFC大阪のホームタウンとする事の承認を得る。
プレー内容をもってJFLで強豪としての地位を確立したFC大阪は、地域貢献活動の基盤も固めていく。
「スポーツを通じたまちづくりに関する東大阪市とFC大阪との連携協定」
を東大阪市と締結。
同協定について吉澤は
「東大阪市はスポーツを通じた教育、健康、街づくりをどこよりも行っており、サッカーで補えるところがあればと取り組んでいる。夢と活力あふれる街づくりに、競技を見せることもそうだが、市が掲げる健康寿命延伸の一翼を担うことができれば」
と語る。
いかにプレー面で優れていてもホームタウンに必要とされていないクラブは存在価値がないのである。
そのために冒頭に掲げた3つのミッション
「大阪を世界へ」 「社会課題解決への取り組み」 「地域力向上に向けて」
の達成に向けた取り組みを続けている。
各地でイベントを開催し、ホームゲームでの市民の招待、サッカースクールの開催、子どもたちの夢の応援を目的にした「FC大阪子ども基金」の立ち上げ。
教育事業として「FC大阪高等学院」の開設。
東大阪市、大阪府をはじめ、府内の様々な自治体と連携し、行政情報の発信事業やSDGs推進に関する取り組み。
大阪府内の大学との連携により地域貢献への実証実験など多岐にわたる活動が始まっている。
草サッカーから始まったFC大阪の夢はもはや、Jリーグ参入だけにとどまらない。
地域社会にとって必要不可欠なプラットフォーム、人々の日常生活に寄り添うクラブになる事。
サッカーの持つ、スポーツの持つ力は、だれも孤立しない、いきいきと暮らせる社会を創る事が可能だと確信している。
FC大阪の夢への挑戦はそれを愛する人達の想いをつなげながらこれからも続いていくのである。
参考リリース
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