酒蔵の操業を一時停止し、約2年。城下町振興を目指してオープンした「中谷酒造柳町醸造所」の挑戦。
1853年から酒造りを行う中谷酒造は、2022年10月12日に日本酒の体験醸造ができる新しい醸造所である「中谷酒造柳町醸造所」をオープンしました。近鉄郡山駅から歩いて5分ほどに位置する本施設では、清酒バーも併設しており伝統的な酒蔵を思わせる作りと庭の中で出来立ての清酒を楽しむことができます。
そんな新しい挑戦を行う中谷酒造は、2020年に酒蔵の操業を一旦停止しました。バブル経済崩壊後確実に進んでいた日本酒ばなれに加えて、コロナ禍が追い打ちをかけたのです。そこから取り組み始めた、清酒を将来に残す場所づくり。
酒蔵の新設という大きな挑戦は、建築資材の高騰など、苦難の連続でした。本ストーリーでは中谷酒造が取り組んできた、挑戦の軌跡について代表の中谷正人より伝えます。
縮小し続ける清酒需要。例外でなかった、江戸時代末期から続く郡山の酒蔵。
国内の清酒需要はこの25年間で1/3に縮小し、減少速度も加速しています。50歳以下の世代における酒類消費量に占める清酒の割合は2%台に過ぎず、料理屋や割烹といった和食店や和食を中心に据えた居酒屋は激減しました。その結果、多くの清酒メーカーが廃業しました。
清酒製造業は秋から春までの寒い時期に醸造し、できた酒を一年かけて売るという資金効率の悪い商売で、一定の資本を持った者が清酒を造る権利を購入して営んできた過去があります。その一つである中谷家も江戸時代末期に創業し、今年創業170年を迎えました。
その所在地番条は、清酒発祥の地・正暦寺の酒を積み出す河川港として15世紀に興福寺により整備されます。この大和川水運、そして明治25年(1892)に大和川沿いに敷かれた関西本線を利用して、創業から戦前までは主に大阪に向けて酒を出荷しました。戦後は主たる出荷先は東京に移っています。
現在の代表である中谷は、1993年に当時勤めていた総合商社を退社し、清酒業界に入りますが、決して家業を継ぐ為に退社したわけではありませんでした。
既に清酒業界は斜陽。ただ、父の後妻、祖父母の三人が半年間で亡くなり、酒蔵付きの広大な屋敷に父一人。一緒に住む必要がありました。中谷は中国語ができ、現代中国法に明るかったこともあり、中国に進出した日系企業を支援しようと渉外弁護士を目指して司法試験の受験勉強をしていたのです。
1994年秋、醸造の打ち合わせに来た杜氏(酒造り職人の長)との食事中、中国で清酒造りを始めた会社があるという話題が出ました。商社で、プラザ合意後の円高不況を受け、製造拠点を海外に設ける企業の現地法人に対する出資審査業務に従事したことがあった中谷は、法務・税務・財務知識があり、海外に会社を設立し経営するノウハウを持っていました。
画像:1996年よりスタートした若社長の中国日記より
杜氏との会話を経て、渉外弁護士はやめ、中国に清酒工場を建て清酒を国際化することを次の仕事にしようと考えます。中国天津市で会社設立の準備をしていた1995年1月、阪神淡路大震災が起きました。
中谷酒造の取引先も被災し、桶売りが終了し、くたびれた父に代わり中谷が経営を引き継ぐことになります。中国事業の立ち上げと重なって多忙を極めたものの、幸い東京の業務用酒問屋のOEMとして一定量の出荷があり、次の手を打つ余裕もありました。
杜氏以下、季節労働に頼る酒造りを止め、新卒を年間雇用で2名採用し自社で技術蓄積し、特定名称酒(中・高級酒)に注力することにします。中国での酒造りのために開発した数値管理による再現性のある醸造方法を日本にも導入、全国新酒鑑評会金賞では、2003、2011、2012、2014、2017年に受賞。大阪国税局清酒鑑評会燗酒用清酒の部優秀は、2012、2014、2016、2019年に受賞しました。さらに、販路も北海道から九州まで開拓します。輸出も中国、香港、台湾向けを中心に行いました。
しかし、国内の出荷量は減り続けた結果、輸出比率が4割にまで高まりました。国内出荷量の激減で、固定費を賄えない状況に追い込まれ、国内での清酒製造をやめて中国事業に特化することを決断します。そんな時にコロナ禍が始まりました。
城下町振興のために。苦労も乗り越え、新しい挑戦へ。
国内の清酒製造業をやめる決断について、中谷の周りからは惜しむ声が上がりました。
そこで醸造免許を生かし、地元郡山城下町に小さな醸造所をつくり城下町振興に貢献することを思い立ちます。
郡山は奈良県最大の城下町であり、豊臣秀長が大和・和泉・紀伊三カ国百万石を治める拠点として郡山城及び城下町を整備して以来、昭和の高度経済成長期に至るまで奈良県の中核都市として栄えました。しかし近年の衰退は目を覆うばかり。インバウンド需要も鹿や大仏に隠れて盛り上がりを欠いていたのです。
奈良税務署に相談したところ国のものづくり体験特区の存在を教えていただきました。一般人に酒造り体験を提供できる施設であれば、現在の醸造免許場の一部とみなして比較的容易に醸造場を新設できるとアドバイスをもらいます。
そこで、大和郡山市の上田清市長にお願いしたところ、国へ申請していただき、2020年12月に清酒製造体験特区の認定が大和郡山市に下りました。それと並行し、中谷は郡山城下町の目抜き通り柳二丁目に偶々空いていた土地を手に入れます。近鉄郡山駅から徒歩3分余という好立地、同駅はコロナ禍前まで一日の乗降客数が2万人弱でした。
年が明けて2021年。国の事業再構築補助金制度が始まることを知ります。春の第一回目に応募しましたが新設制度のため審査するシステムに混乱があったようで落選してしまいました。補助金以外に土地代も含めれば1億円以上の自己資金を要する事業です。城下町応援と地元郡山に清酒文化を残していく使命感のようなものに突き動かされて進んできたものの、補助金申請書類作成に掛かる労力は膨大なものでした。心が折れそうになりましたが秋の第二回に再応募。ようやく補助事業として認められます。
晩秋から慌ただしく建設を始めたものの、ウッドショックと呼ばれた木材価格の高騰があり、申請予算内に収めることが困難になり別途支払いが発生。
翌2022年には半導体や電子部品不足の影響で、発酵管理用の冷蔵設備の半分以上はメーカーからキャンセルを受けましたが、代替品を調達することができました。同年2月からクラウドファンディングを開始します。返礼品を作る労力は膨大で、実質的な利益はなかったのですが、600名の方に応援いただき、新しい醸造所について知ってもらう良い機会となりました。
URL:https://www.makuake.com/project/nakatanishuzo/
酒蔵を閉じる決断から約2年。新しい醸造所がついにオープン。
そして2022年6月末日、奈良税務署から新設醸造所を従来の醸造所の一部とみなす承認がおり、7月1日より試験醸造を開始することができました。新しい設備で安定した酒造りの目途が立つと同時に、クラウドファンディング返礼酒の醸造、返礼の体験醸造の受け入れなどを行い目の回るような忙しさの中、9月に開業することができました。
柳町醸造所は二階を江戸時代の酒蔵の作業台に見立て、吹き抜けのある遊び心をくすぐる構造です。16世紀に発酵容器として使われた甕を始め見どころのある展示物を配置し博物館の趣があります。表には町名の柳町に因み柳を植えました。後には庭を設け、季節ごとに花が咲く植栽にしました。
醸造体験は予約が必要ですが、珍しいこともあり日本各地から来られています。新しい醸造所は、観光客が街歩きの途中或いは最後に手軽に郡山で造られた酒を楽しめる場所になりました。アテは提供せず城下町の店で買って持ち込むか、店舗からのデリバリーとなり、商店街の活性化にも寄与しています。特に、週末は城下町散策の方々が来てくださるようになりました。
講演会や演奏会に二階を使うイベントも醸造所ではお受けしています。加えて、柳町醸造所は日英中の三言語対応をしています。既に外国人の醸造体験も受け入れましたし、清酒バーにも来て清酒を楽しんでいただきました。コロナ禍も明け、インバウンドが再開したこともあり、今後は徐々に来客が増えることを願っています。
城下町振興はもちろん、電車で容易にアクセスできる街の中にあることで身近に清酒を感じていただけており、清酒文化が残っていく場所としても地元に貢献できていると自負しています。苦労はしましたが、この事業をやってよかったと感じています。
最後に一つ課題を挙げるとすれば、若い方にもっと来ていただきたいと思います。清酒文化を郡山、ひいては日本、そして世界に残すためです。
■中谷酒造 柳町醸造所サービス内容
・ 酒造り体験概要
URL:https://www.sake-asaka.co.jp/experience-brewing/
・ 柳町醸造所詳細
URL:https://www.sake-asaka.co.jp/campany-profile/nakatani-yanagimachibrewery/
・ 中谷酒造公式 ONLINE SHOP
URL:https://www.sake-asaka.co.jp/shop/
【会社概要】
会社名:中谷酒造株式会社(なかたにしゅぞうかぶしきがいしゃ)
所在地:奈良県大和郡山市番条町561
新酒蔵:中谷酒造 柳町醸造所(やなぎまちじょうぞうじょ)
所在地:奈良県大和郡山市柳二丁目4番
代表者:中谷正人(なかたにまさと)
創業:嘉永六年(1853)
URL:https://www.sake-asaka.co.jp/
事業内容:清酒製造販売
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