大東亜戦争開戦と御聖断の真実とは?戦争を動かした「空気」の正体に科学で迫る『「空気の研究」の研究』執筆の背景
今年も、まもなく12月8日を迎えます。
言うまでもありませんが、1941年のこの日に電撃的な真珠湾攻撃が行われため、現代日本人には大東亜戦争「開戦」の日として強く記憶されています。
当センター研究員・金澤正由樹の新刊『「空気の研究」の研究 ゲーム理論と進化心理学で考える大東亜戦争開戦と御聖断のサイエンス』 は、この「空気」がいかにして国家規模の意思決定を動かしたのかを掘り下げた一冊です。なぜ、あの戦争に突き進むという選択がされたのか。そして、終戦を迎える際の「御聖断」という決断においても、この「空気」はどのように働いたのか。
本書では、この不可解な意思決定プロセスに科学の視点から迫り、当時の日本社会を浮き彫りにします。
また、第二次世界大戦の「独立変数」は主戦場であるヨーロッパであり、アジア・太平洋はそれに大きく影響される「従属変数」に過ぎないという事実を明らかにします。
■山本七平氏が名著『「空気」の研究』で開戦の謎に迫る
私たちが知る大東亜戦争――その「開戦」と「終戦」は、まるで正反対の意思決定によって動かされたように思われます。1945年8月15日の終戦は、前日の御前会議が紛糾した末、昭和天皇の「御聖断」によるものだとされています。一方、開戦については、いまだに定説が存在せず、多くの人が「空気によって決められた」と信じているのが現状です。
この謎に正面から挑んだのが、山本七平氏の名著『「空気」の研究』でした。彼は、大東亜戦争の開戦や戦艦大和の特攻が、合理的な判断ではなく「空気」によるものだったと指摘。その論考は日本社会の本質を見事に突き、日米戦争の敗北が避けられない運命だったと多くの人に納得させたものです。
しかし、戦後40年ほどが過ぎると、日本の状況は一変します。エズラ・ヴォーゲル氏の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版され、戦後日本は「東洋の奇跡」と称されました。1980年代後半には、外貨準備高、預貯金額、対外資産で世界一を誇るほどの経済大国に成長したのです。
ここで疑問が湧きます。明治から令和まで、日本の社会や文化の「空気」は基本的に変わっていないはず。それなのに、同じ「空気」が大東亜戦争では大敗北をもたらし、戦後には奇跡的な復活を遂げたのはなぜか? 戦争で敗れた理由と、戦後に大成功した理由。この大きな矛盾の正体を解き明かす必要があるのではないでしょうか。
しかし、山本氏の優れた論考も、「空気」の性質や振る舞いについて完全に解明されているわけではなく、残念なことに体系化も十分とは言えません。
そこで、金澤正由樹は、最新のサイエンス――ゲーム理論と進化心理学を活用し、この「空気」の謎に挑むことにしました。それが今回の新刊、『「空気の研究」の研究』です。
■名著『失敗の本質』に説明がない開戦の謎を「空気」の視点で解き明かす
大東亜戦争を考えるとき、すぐに思い浮かぶ名著のひとつが、野中郁次郎氏らによる『失敗の本質』です。この本は、真摯な学問的態度で大東亜戦争の敗因を掘り下げた労作であり、現在でも最も有名で本格的な研究のひとつだと言えるでしょう。
野中氏らの結論を簡潔に言えば、「必勝の信念」で「死中に活を求める」として開戦したものの、戦術が拙劣だったため敗北に至った、というものです。しかし、私はこの分析に強い疑問を抱きました。
『失敗の本質』の名言として、「戦術の失敗は戦闘で補うことができず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない」が挙げられます。ところが、肝心の「戦略の失敗」について、この本ではほとんど言及されていないのです。なぜ戦略が失敗したのか、もっと根本的な問い――なぜそもそも開戦に至ったのか――がほとんど議論されていません。これが私にとって、非常に不可解であり、正直に言えば失望を覚えた点です。
少々長くなりますが、この部分を引用しておきます。
大東亜戦争(戦場が太平洋地域にのみ限定されていなかったという意味で、本書はこの呼称を用いる)において、日本は惨憺(さんたん)たる敗北を喫した。したがって悲惨な敗戦を味わった日本人が、戦後、なぜ敗けたのかを自問したのも当然であった。そして、やがて開戦前の状況についての真相が徐々に明らかになるにつれ、国力に大差ある国々を相手とした大東亜戦争は、客観的に見て、最初から勝てない戦争であったことが理解された。それゆえ、なぜ敗けたかという問いは、なぜ敗けるべき戦争に訴えたのか、という形の設問に転化し、歴史学や文明史・精神史の立場からさまざまの解答、説明が与えられた。
図4 日米の航空機生産数とGNPの比較
(文浦史朗『図解雑学 太平洋戦争』を参考に作成)
もし読者がこのような戦争原因究明を本書に期待しているとすれば、読者はおそらく失望するであろう。というのは、本書は、日本がなぜ大東亜戦争に突入したのかを問うものではないからである。
ここで浮かび上がるのが、日本社会の「空気」の存在です。この「空気」は、野中氏らのようなトップクラスの知性を持ってしても解明が困難な問題なのでしょうか。
■開戦決定の謎に迫る――対日石油禁輸が引き金となった事実
残念なことに、「空気」の作用は非常に複雑で、その説明には長い議論が必要です。そこで本稿では、もう少し合理的かつシンプルに説明可能な要因――対日石油禁輸に焦点を当ててお話しします。
通説では、1941年8月1日にアメリカが対日石油禁輸措置を発動したことが、開戦の直接的なきっかけとされています。確かに、それ以前の日本には、開戦準備を急いで進めていた様子はほとんど見られません。アメリカの突然の石油禁輸が、日本を戦争へと突き動かした――この理解は非常にわかりやすく、合理的に見えます。
しかし、ここにこそ大きな疑問があるのです。果たして、石油禁輸だけが唯一の理由だったのでしょうか?
次は開戦までの略年表です。
- 1939年9月1日 ドイツがポーランドに砲撃し、第二次世界大戦が勃発
- 1940年7月~1941年5月 バトル・オブ・ブリテン(最後はドイツが撤退)
- 1940年9月27日 日独伊三国同盟
(1940年までにドイツはヨーロッパの大部分を制圧)
- 1941年6月22日 独ソ戦開始
- 1941年7月26日 アメリカが在米日本資産凍結を実施
- 1941年8月1日 アメリカが対日石油全面禁輸措置を発動
- 1941年11月20日 日本がアメリカに対米交渉要領乙案(最終案)を提示
- 1941年11月26日 アメリカがハル・ノート(事実上の最後通牒)を提示
- 1941年12月1日 御前会議で開戦決定
- 1941年12月8日 アメリカとイギリスに宣戦布告
表面的な事実の背後に、思わず「これは偶然なのか?」と考えずにはいられない奇妙なタイミングが浮かび上がります。
たとえば、アメリカが日本に対して矢継ぎ早に課した経済制裁。1941年7月26日には在米日本資産凍結を実施し、さらにそのわずか数日後の8月1日には対日石油全面禁輸措置を発動しています。この一連の動きは、日本にとって極めて高圧的で一方的なものでした。そして、それらが実施されたのは、同じ年の6月22日に独ソ戦が開始された直後のことです。
ここで浮かぶ疑問――このタイミングは単なる偶然なのでしょうか?
■対日石油禁輸の裏に隠された意図とは?――戦争を誘導した国際情勢の力学
この対日石油禁輸には、単なる経済制裁を超えた、複雑な国際情勢が絡んでいるのをご存じでしょうか?
川田稔氏の『昭和陸軍全史3』によれば、1941年6月、ドイツが突如ソ連に侵攻して独ソ戦が勃発。スターリンはまったくの不意を突かれてパニック状態に陥ります。ドイツの機動部隊による猛攻でソ連軍は壊滅の危機に直面し、驚いたアメリカのルーズベルト大統領は、イギリス向けの軍需物資を急遽ソ連に振り向けるなど、緊急対応を余儀なくされました。この措置についてはイギリス政府も了承。同書はこう指摘します。
もし、ソ連の対独戦線が崩れれば、ソ連は屈服し、再びドイツが[1941年5月に終了したバトル・オブ・ブリテンを再開し]イギリス本土侵攻に向かうとみられていたからである。その対英攻撃は前年よりはるかに強力なものとなり、イギリスに本格的な危機が訪れると考えられていた。イギリスの敗北は、アメリカにとってヨーロッパでの足がかりを失うことになり、安全保障上の許容し得ない状況に陥ることを意味した。
この状況下で、アメリカはさらなる一手を打つ必要がありました――それが対日石油禁輸です。
当時、アメリカは孤立主義的な国民感情の中、中立法に縛られ、議会の了承なしにはヨーロッパ戦線への参戦ができない状態でした。しかし、アメリカが日本と戦争を開始すれば、日独伊三国同盟の条約上、ドイツは自動的にアメリカへ宣戦布告を行うことになります。これにより、アメリカは正当な理由を持ってヨーロッパ戦争に参戦し、イギリスを大々的に援助することが可能になる――これがアメリカの狙いでした。
石油禁輸は、単なる経済制裁ではなく、日本を開戦に追い込み、アメリカの戦略目標を実現するための極めて緻密で絶対に必要な政治的手段だったのです。
■なぜ独ソ戦が始まったのか――その2つの理由
1941年6月、歴史の大きな転換点となった独ソ戦の開始。このタイミングでなぜドイツがソ連への攻撃を決断したのか――これには、さまざまな議論がありますが、いまだに定説はないようです。
しかし、2013年に発見された「秋丸機関の研究報告書」を手がかりに考えると、この謎が一気にクリアされる可能性があります。この報告書によれば、独ソ戦の背景には、ドイツの生産力が限界に達していたという経済的な理由があったとされます。図6を見ると、ドイツはこの時点で物資と資源の逼迫に直面しており、豊富な資源を持つソ連の生産力が喉から手が出るほど欲しかった――つまり、ドイツにとって独ソ戦は避けられない選択だったというわけです。
図6 1941年6月におけるドイツ経済抗戦力の状況(赤矢印)
(林千勝『日米開戦 陸軍の勝算』を参考に作成)
独ソ戦にはもう一つの重要な要因が考えられます。それは、1940年に開始された「バトル・オブ・ブリテン」でのドイツの敗北です。当初、ドイツは戦車による機動部隊による陸戦を得意とし、1939年9月の開戦以来、ヨーロッパ大陸で連戦連勝を続け、短期間でほぼ全土を制圧しました(図7)。
図7 1941~1942年のヨーロッパの戦況(ナチス旗を追記)
ついにドイツはイギリスにもその矛先を向け、1940年7月にバトル・オブ・ブリテンを開始します。
イギリスはヨーロッパと陸続きではないため、当然ながら戦車は使えず、ドイツの誇る名戦闘機メッサーシュミット、そしてイギリスのスピットファイアーとの空中戦対決となりました。
■メッサーシュミットの失敗が導いたヨーロッパ戦線の転機――バトル・オブ・ブリテン
第二次世界大戦でのドイツの戦略――特に「バトル・オブ・ブリテン」での敗北は、戦争の流れを大きく変える重要な分岐点でした。その背景には、ドイツが誇る名戦闘機、メッサーシュミットの設計思想と運用上の致命的な問題が隠れています。
確かにメッサーシュミットは、その時代において非常に高性能な戦闘機でした。しかし、最大の問題は航続距離の短さ。イギリス本土上空で戦える時間はわずか30分程度とされます。たとえパイロットや機体の性能が優れていても、イギリスのレーダー網で探知され、スピットファイアーに待ち伏せされれば、30分で勝負を決めるのは至難の業です。制空権を握れなかった大きな理由は、ここにあるのです。
こうした背景から浮かび上がるのは、第二次世界大戦における戦略の大きな構図です。「主戦場」はヨーロッパであり、アジア・太平洋はあくまでサブの位置付けだったという事実。これは、当時の国力や軍事力、人口の観点から見ても明らかです。
この視点を持つと、日米関係だけを詳細に分析しても、大東亜戦争の全貌を完全に理解するのが難しい理由が分かります。むしろ、アジア・太平洋戦線をヨーロッパ戦線の延長、いわば「サブ」として捉えることで、全体の構図が意外なほど簡単に理解できるようになるのではないでしょうか?
■日本教が導いた開戦の意思決定――『「空気」の研究』から紐解く日本文化の根幹
最後に、「空気=日本教」による大東亜戦争の開戦決定のプロセスについて、ごく簡単に紹介しておきます。
大東亜戦争の開戦決定を理解するには、「空気」という特異な要素だけでなく、それを支えている日本文化の根幹、いわば「日本教」とも言える特質を考える必要があります。この「日本教」という概念は、山本七平氏とペンネームのイザヤ・ベンダサン名義で提唱したもので、日本人の思考や行動様式を宗教に例えて捉え直したものです。
「日本教」は特定の教義を持つ宗教ではありませんが、弥生・縄文時代から連綿と受け継がれてきた、日本文化の中核をなす伝統的な価値観を指しています。これがどのようにして戦争の意思決定に影響を及ぼしたのかは、非常に興味深いテーマです。
井沢元彦氏の『逆説の日本史』や、山本氏自身の著書『日本教について』などを参照すると、「日本教」の主な要素は次の4つに集約されます。
- 話し合い絶対主義としての「和」
- 怨霊や英霊を鎮めるための「怨霊鎮魂」
- 言葉に力が宿るという「言霊信仰」
- 穢れを忌む心としての「穢れ忌避」
これらの「教義」とも言える価値観は、日本の社会や組織の意思決定に深く影響を与えてきました。特に、大東亜戦争の開戦には、「英霊に相すまぬ」という独特の呪縛が働いていた。イザヤ・ベンダサン名義の『日本教は日本を救えるか』では、山本氏はそう指摘しています。
記録によると、太平洋戦争[大東亜戦争]の始まる前、日米間を何とか調整しようと努力していた近衛公(注:近衛文麿)の前に立ちはだかったのは、実はこの「霊」であった。
アメリカ側の主張は、たいていは涙をのんでも吞む、だが中国からの撤兵は「英霊に相すまぬからできぬ」という陸軍側の言葉には、近衛公も説得も反論もできなかった。とすると、中国の泥沼から太平洋戦争へ、ついで敗戦へという決定的な道をとらせたのは「霊」であった。
つまり、大東亜戦争の開戦を決定付けたのは中国大陸で戦死した英霊の鎮魂のため、言い換えれば、日本教の2番目の教義である「怨霊鎮魂」によるものということになるのです。
■『「空気の研究」の研究』がアゴラの記事に!――無料公開で広がる議論の輪
『「空気の研究」の研究』の内容の一部を、言論プラットフォーム「アゴラ」で無料公開しているのをご存じですか?
「アゴラ」は、知的好奇心にあふれる読者が集まり、活発な議論が繰り広げられる場として知られています。この空間なら、本書が提供するテーマ――大東亜戦争について多面的理解――がぴったり合うだろうと考え、出版元の協力を得て一部を公開することにしました。
公開したのはほんの一部ですが、この内容をきっかけに、未だに解明されていない大東亜戦争の多くの謎について、さらに多くの人と議論を深められれば嬉しいです。
《参考リンク》
- 「空気の研究」の研究:大東亜戦争の終戦は「空気」で決まったのか?
- 「空気の研究」の研究②:大東亜戦争開戦の理由は行動経済学で分かるのか?
- 「空気の研究」の研究③:なぜアメリカは1941年の対日石油禁輸を必要としたのか?
■ヒューマンサイエンスABOセンターのご紹介と新刊の予定
ヒューマンサイエンスABOセンターでは、「血液型と性格」の関連性を含む人間科学の研究を進めていますが、研究員の金澤は『古代史サイエンス』シリーズと、現代史版として本書『「空気の研究」の研究』も出版しています。
2025年となる来年は、昭和100年、そして終戦80周年を迎えるため、『古代史サイエンス』や『「空気の研究」の研究』の執筆を通じて蓄積された古代史・現代史の知見をベースに、来夏、新刊『(仮題)神風特攻隊のサイエンス データが語る過小評価とその理由』をリリース予定です。
神風特攻隊については、名著や労作が多いのですが、この新刊では、従来はほとんど研究が着手されていなかった、数多くの国際データの比較と分析をもとに、神風特攻隊の事実と評価を行う予定です。
神風特攻隊で何があったのかという「事実」の研究は数多く、そのデータや手法も極めて精緻で、到底私が及ぶところではありません。対して、何がなかったのか、言い換えれば何が「抑止」されたのか、という研究は、なぜかほとんど見かけません。
研究はまだ道半ばですが、驚くべき事実が明らかになってきました。神風特攻隊の直接的な成果よりも、抑止の効果の方が遙かに大きいようなのです。
この新刊では、『「空気の研究」の研究』の続編として、未だに多くの謎に包まれている神風特攻隊の真実について、科学と歴史の両面から真相に迫っていくつもりです。
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