おじいさんとの対話 8    病気の原因と感染症の関係&人体浄化作用の原理 

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著者: おおさき あきお

 おじいさんとの対話 8

   病気の原因と感染症の関係&人体浄化作用の原理 

himaari:では今回もおじいさんによろしくお願いしまして、ここまで感染症の代表としての天然痘から人間の病気というものを解説して頂きました。

それによると病気というものが本当は必要不可欠なものであると知りました。その事を基本におさらいしながらさらに詳しく解説をお願い致します。

おじいさん:人間がこの世の中に産まれながらにして、遺伝黴毒や最初に述べた天然痘毒素を主なるものとして、種々の毒素を保有している事は前にも述べた通りじゃ。

そうして、これらの毒素の支障によって健康が完全に保持出来得ないものだから、生理的に体外に排泄されるように、絶えず自然浄化作用が行なわれるように造られているのが人体なのじゃ。

君はここまでは理解できたのかな?

himaari:はい、ほんとうにうまく造られているのが人の身体なのですね。では、産まれながらの遺伝毒素というものは大体は分かりましたが、それ以外には?

おじいさん:また遺伝毒素以外にも病原となるものは、産まれた後に入るいろいろな毒素なのじゃ。

そのように絶えず毒素即ち濁血が溜まるので、それを排除してしまわなければ活動に不便を及ぼすから、濁血の元となる毒素を排除し浄血者にすべく自然浄化作用というものが発生するのじゃ。

その際の苦痛が病気であるのだから、言わば病気とは、体内の清潔作用というわけじゃ。

himaari:はい、からだの中のお掃除、からだの清潔作用という訳ですね。けれども自然浄化作用が行なわれる場合、ある程度の苦痛が伴うので、その苦痛の過程を病気と呼んだのですね。確かに病気になると大きな苦痛が伴いますよね。

たかが風邪くらいでも馬鹿になりませんし・・・

おじいさん:人間はその苦痛状態を悪く解釈したんじゃな。

たとえば、人間は誰しも外表である皮膚に垢(あか)が溜まると、入浴という清潔法があるが、中身である五臓六腑にも同様に垢が溜まるので、その清潔作用が病気というものじゃ。

himaari:としたら自然は実に巧く作られたものですね。

おじいさん:そうじゃのう。誰でも病気になると、痰や、はなみず、目やに、なみだ、盗汗(ねあせ)、下痢、腫物(はれもの)、湿疹等のいろんな形にて汚物排除作用が起こるだろう?

だから出るだけ出てしまえば後はサッパリとなって、健康は増すのじゃがな。

himaari:なるほどね、病気をすると毒素が出てしまうので血液がきれいになるからですね。人間がいつもうまく活動ができるのは浄化作用によって障害となるような毒素が減るからですね。それで病気をした後はより健康になるというのが本当であって、そういう意味でなら「病気とはありがたいもの」なのですね。

しかし現代医学の治療ではこの病気症状を止めることに必死になっていますが・・

おじいさん:医学は徹頭徹尾、この浄化作用停止方法が治療となっているからね。本当は病気とは体のお掃除をしてくれる浄化作用なのだが、ところが不思議も不思議なことに、こんな入浴などと違って、一文の金も要らずに済むこの結構な掃除を一生懸命止めて出さないようにするのが医学であるとしたら、何と馬鹿々々しい間違いではないないかね?

何が間違っているといって、これ程の間違いは恐らくほかにあるまいじゃろう。

himaari:これは大変な問題ですね。世界中の先進国ではほとんどが西洋医学を主要な医療として採用していますから「病気を悪いものとして、症状を停止する事を治療だ」としていますね。

西洋医学は病気症状は極力止めることに重点を置いていますが、もしこれが誤りであるとしたなら、それはもうえらい勘違いという事になりますね。

おじいさん:そういう事になるじゃろうな。

ではこの例を説明には一般的に最も多い病気として「感冒(風邪)」を採上げて見よう。

himaari:そうですね、風邪だけはどんな人であっても体験しない人はいないでしょうね。

それに感冒は今もって医学上では原因が確定されていないですよね。ほとんどはウイルス説が信じられていますが、それでもすべて感冒の症状を説明することはできないでいます。非ウイルス性の感冒もあるというし、だいいち、そのウイルス説にしても全然予防ができないでいますね。

治すにしても症状に対しての対症療法でしかなくて風邪そのものを治す方法など無いのだそうですから、感冒というのはいまだに医学上の謎の病気と言ってよいくらいですね。

おじいさん:医学が感冒という浄化作用の基本中の基本を知らないのだから、その他の病気についても推して知るべしなのじゃ。

しかし、わしの発見によれば風邪は最も簡単なる浄化作用の一種に過ぎない。

先ず感冒に罹るとすると、発熱、頭痛、咳嗽(せき)、喀咳(たん)、鼻汁(はなみず)、食慾不振、発汗、倦怠感、節々(ふしぶし)の痛苦等が伴うじゃろう。

もちろんこれは浄化作用の過程なのだが、これらについて詳細説明する前に、先ずは浄化作用とは如何なるものであるかを説明しよう。

himaari:これまで何度も聞いてますよ。風邪が体内の毒素の排除作用というのは分かりましたが、もっと詳しくですね。

浄化作用の原理

おじいさん:病気とは浄化作用という事は繰り返して言っているが、これを大別して第一と第二に分類する。

まず第一浄化作用とは血液中にある種々の毒素が身体各局所に集溜固結するのである。集溜すべき局所としては、すべて神経を集注する局所じゃな。また人体が静止している場合には身体の下部になる。そうして集溜毒素は時日(ときひ)を経るにしたがい漸次硬化するのじゃ。俗に「凝り(こり)」と名付けるものもそれだが。この場合、苦痛は全然無い事もあり、あるとしても肩の凝り位の程度じゃな。

himaari:なるほどね、「肩凝り」は結構ありますね、その他には首の凝りなどもありますし。腰などが固くなるのも凝りの一種なのでしょうか。浄化作用と言っても、まずは毒素を身体のどこか局所に集める働きがあって、未だ毒素を体外に排泄する段階ではないのですね。

おじいさん:さよう、浄化作用と言っても固まる段階もあるのじゃ。全体としての汚れを局所に集めて凝縮させる様なものじゃ。

まず全体の汚れを一部に集めてやる。ちょうど部屋全体のゴミをほうきで掃いてちりとりに集めるようなものじゃ。

himaari:現代では電気掃除機で吸い込んで集めるようなものか・・・

おじいさん:次は第二浄化作用についてじゃ。

これは第一浄化作用によって毒素が集溜して固結がある程度を超える場合、今度は自然排除作用が発生することになる。その際、排除し易くするがために液体化しようとする。これが即ち「発熱」というわけじゃ。

himaari:そうですか。いよいよ体の外に排泄する段階になるのですね。

移動しやすくするには固まっていた毒素を溶かすという、その為に発熱が起こる。でも発熱はほとんどの病気に起こるのでしょうか?そうでない場合もありますか?

おじいさん:発熱の高下は固結の毒素の性質と硬軟と量と患者の体質とに因るのじゃ。

himaari:高熱の場合は心配になりますが、熱は浄化作用の為には必要なものだったのですね。すると、あわてて冷やすのは自然に反するのでしょうか?

おじいさん:自分の体が起こす発熱作用なのだからそれは自然なのじゃ。外から熱を加えるわけじゃない。身体の方で必要があって発熱するのだから、それを人為的に解熱剤で下げたり、氷などで冷やすという事は反自然ということになるじゃろう。

冷やすとかえって危険である意味は次のような原理から解るじゃろう。熱によって大量に液体化した毒素が身体の各部を移動中に再び固結させられるとしたら、今度はその部位に強い障害を与えることになる。

特に頭部などにおいて、脳に重要な害作用を及ぼすことになる。

himaari:なるほど、せっかく高熱で溶かした毒素が移動して体の外へ排泄されようとしているのに、それを途中で止めるのが悪いのですね。そこで再び固まってしまうとその部位で機能マヒなどが起こってしまうわけか。

おじいさん:また、病気とは関係ないが、運動後の疲労の結果、よく発熱するのは運動が浄化促進の役目をするからじゃ。

himaari:運動で浄化が促進されるのですか?それで病気の場合は安静にしようとする訳ですね?

おじいさん:活動すれば浄化も起こりやすい。結核の安静療法なども、出来るだけ活動を止めて生命力減退をねらったものじゃ。だが、大きな浄化の場合はやはり安静は必要じゃろう。しかし何が何でも安静にしようとするのは問題もあるね。自分の体が欲するように自然に任せるのが良いのじゃ。動きたい時は自然に動くのが本当なのだよ。

さて、発熱の次には、そうして液体化した毒素は、発汗、喀痰、鼻汁等によって、体外へ排泄させられることになる。

himaari:液体化された毒素がいろんな形で出てくるのですね。どうりで風邪を引くと痰や鼻水などが出るわけか。

おじいさん:この場合の咳嗽(せき)は喀痰を排泄させるためのいわばポンプ作用ともいうべきものじゃ。また鼻汁を排泄させるがためのクシャミであり、ゆえに咳嗽(せき)の後には必ず吐痰があり、クシャミの後には必ず鼻汁が出るのをみても明らかじゃろう。

himaari:そうか、身体というのは良く出来ていますね。咳が出るにもクシャミのが出るのにもちゃんとした訳があるのですね。

おじいさん:また浄化作用が盛んなときに食慾不振になるのは発熱と吐痰と服薬のためじゃ。その症状の時は自然は食の欲求も無くなる様になっている。排毒作用に生命力を集中するからね。だから薬を飲むと食欲が無いというのは、反自然だからじゃ。

himaari:たしかに高熱の場合は食欲が出ませんね。でも薬の飲んだら食欲が出なくなると言うのは初耳です。これからは風邪の場合に薬を飲まないと食欲がどうなのかを試してみたいですね。あと、風邪を引くと頭が痛いとか、体の節々が痛くなりますね?

おじいさん:頭痛及び節々の痛苦はその部に固結する毒素が溶解し、液体となって排除されようとしての運動が神経を刺激するからじゃ。

咽喉部(のど)の痛みは喀痰中に含まれている毒素が粘膜に触れるため、粘膜を刺激しカタルを起すのじゃ。声が嗄れるのもこの理によって声帯にカタルを起こすのじゃ。

himaari:なるほどね。すべては自分が浄化の素因(もと)を持っていたのか。自前の毒素が原因だったのですか。僕はウイルスや細菌が毒素を作って、僕のきれいな体に害を及ぼすものとばかり思っていましたが。

おじいさん:人間は皆、自分の身体はきれいだと思い込んでいるからじゃな。ところがきれいな所には浄化の為に活躍するバイ菌もウイルスも寄ってこないものじゃ。たとえそこに居ても活動しない。君の身体が掃除しなければならない体となれば活動して急速に繁殖するのじゃよ。

himaari:そうか・・バイ菌が毒を持ってくるとか毒を発生させるというよりも、元々自分の体の中にあった毒素に寄ってきて分解してくれるということか。

おじいさん:これは人体内ばかりじゃない、汚染の酷いところにはそれに対応する細菌やウイルスが存在するのは知られるだろう。

himaari:どぶ川とか汚水の排泄口には毒分を分解する細菌が生息していると聞きますね。これらも菌たちがエサにして分解してくれるんですね。

頭痛やのどの痛みとは、局部の毒素が溶解され液状化して排泄される為に移動するわけですが、その際に神経を刺激するわけですね。その理由が分かったら、なんとなくですが苦痛が楽になる様な気がしますね。

おじいさん:原理原則が分かれば安心感が全然ちがうからね。病気の基本の基本さえも知らない医学は感冒さえも非常に怖れるのはその無知にあるわけじゃ。

himaari:そうか、知らないから恐ろしいというわけか。かぜは万病の元などと言うのもその無知から来ているのですね。

おじいさん:以上述べたようなことが感冒の解剖であるのだから、何等の手当を施さず服薬もしないで放置しておけば順調に浄化作用が行なわれるため、短時日に治癒するのじゃ。

この様に自然治癒に任せるのであれば体内の保有毒素が軽減するのだから、それだけ健康の度を増すのである。

himaari:絶対に風邪を引かないというのはむしろ不健康だということにもなりますかね。自然に風邪をひくのはそういう毒素を減らしてくれると分かればですが。

しかし、医学では薬や氷冷などで熱を下げたり、痰や下痢なども止めたりしまから、おじいさんの説とは全く正反対ですね。

風邪は健康の元

おじいさん:この説明を納得できたなら、風邪の対策は実に簡単じゃろう。今後は感冒にかかる度に、「体のお掃除」だと思えばよい。そのうち「風邪こそ健康の元」と思えるようになるじゃろう。

himaari:「感冒は体のお掃除」だということになればですね。今までずっと「風邪は万病の元」だと聞かされて来ましたからね。風邪を引いても「自然に放っておくのは悪いことだ」と思っていましたが、これが本当なら、今後は「風邪さん、こんにちわ」ですね。

おじいさん:いずれ人類がそういうことになるじゃろう。このように感冒は最も簡単な浄化作用であるから大いに推奨すべきにかかわらず、世の多くの人が感冒を恐れ、感冒に罹らぬ事を医学では第一条件としているのだが、この説明で如何に誤りであるかを分かったじゃろう?

himaari:まさしく、これは逆転の医学ですね。「風邪は万病を防ぐ元」とはね。まさかとは思えますが、おじいさんの説明を聞いているとそう思うようになりましたよ。

おじいさん:昔から「感冒は万病の元」などと言われ続けて来たからじゃが、君はこれで「感冒こそは万病を免れ得る唯一の手段」である事を納得出来たじゃろう。

himaari:「風邪は万病の基」ではなく、「風邪は万病を防ぐ基」ですか。これは偉大なる医学の常識をひっくり返す話ですね。じつに簡単ながらも真相を突いている様な気がしますね。

感冒が病気の基本としたら、あらゆる病気の解明につながりそうですね。

おじいさん:病気の基本中の基本、つまり浄化作用の基本中の基本となるものだからじゃ。後の病気は病名が違っていても基本は同じことじゃ。

現代医学が感冒の原理を知らないと言うことは、万病の原理を知らないという事に繋がる。

himaari:風邪が万病を防ぐ元となれば、しかも他の病気と異なって軽くすむ浄化作用だとすれば、今後は風邪をひいたら喜んで寝ていることにしますよ。

おじいさん:感冒の原因を知らず、現れた症状のみを対象としている医学では罹病の場合、種々の方法を行うが、その方法とは徹頭徹尾浄化作用停止であるだろう。まず発熱に対し、解熱剤を与え、水冷や湿布法を行う。これでは第二浄化作用でせっかく溶解した毒素を第一浄化作用の状態にまで還元せしめようとするものじゃ。即ち溶解し初めた毒素を再び固結させようとする手段じゃ。

himaari:そうか、身体の方では生命の力で「まず熱を発生させて、固まっていた毒素を液状化して体外へ移動させようとする」その矢先なのに、それを邪魔して出さないようにするわけか。結局元の木阿弥にしてしまう、固めてしまうわけか。たとえば僕がゴミ出しをしようとしていたら、誰かが邪魔してまた家の中に戻そうとするようなわけか。

おじいさん:したがって毒素が再度固結した分だけ症状も停止する。それで下熱、喀痰、鼻汁その他の痛苦は軽減するわけじゃ。だが、それを病気治癒と錯覚してしまう。毒素が再び押し込まれて全く固結した場合、医師も患者もそれをみて「病気が治癒した」と思うのじゃな。

himaari:なるほど、誰でも症状が治まり苦痛が軽減したなら、当然「病気が治った」と思いますね。しかし対象療法によって毒素が再び押しこめられただけで、毒素は残っている訳か。

そうなると、本当の治癒じゃ無いですね。実は毒素が固まっただけで身体の外へ出ていないわけか。

おじいさん:そのとおり。治癒したと思っても何のことはない。実は第二浄化作用発生以前の状態に還元したまでであるから、いつかまた再発するというわけになる。

himaari:そうなのか。「苦痛が無くなって病気が治った」と言っても、対象療法の場合には毒素が減ってそうなったのではなく、「出てくる毒素を押し戻した」だけだという事ですね。「毒素が排泄されて苦痛が無くなった」のとは根本的に異なるわけですか。それで医学の方でも「治癒」という言葉を使わなくて「寛解」と言うのかな?「とりあえずは治まった」的な。

おじいさん:ところで、ここにひとつ大きな問題があるんじゃ。

「還元治療」による薬剤使用と水冷湿布等の浄化停止方法が、次の罹病に対しより増悪の原因となる事じゃ。

himaari:浄化作用の症状停止をすることを「還元治療」と言うのですか?

つまり毒素を押し込めて元に戻すという意味のでしょうね。「毒素還元治療」ということですよね。ところが、次に再び浄化作用を起こす種になるばかりか、次にはさらにもっと強い浄化の火種になるという意味ですか?

おじいさん:そのとおりじゃ。大きな病患の原因となるのじゃ。

たとえば小浄化作用発生の場合、その都度薬剤等によって度々停止する以上、その毒素が累加蓄積し増大されてゆく訳じゃが、ついには一時に大浄化作用発生となるのじゃ。

himaari:火山のエネルギーみたいですね。小噴火を止めてばかりいたら、ついには大噴火を起こしてしまう様なものでしょうか。しかも小さな浄化の際に還元療法の治療薬が新たな毒素となって累積してゆくのでは、体内の毒素は減るどころか益々増える一方だからですね。

おじいさん:そういうことじゃ。たかが感冒と言っても何度も何度も繰り返し浄化停止方法を用いていれば、チリも山となる如し。いつかは固めきれなくなり、ついには感冒よりももっと強い浄化作用を引き起こすことになる。

そういう意味では「かぜは万病の元」なる。

自然に任せるか不自然にするかの違いでしかないが、「風邪を万病の元」にするのはこの原理を知らぬ誤った医学だったというわけじゃ。

himaari:すると、毒素排除を小出しに出来る風邪なのに、苦しい、つらいからと言ってただ浄化を停めようとするのはかえって後が悪い結果になるのですね。そんな事を知らないものだから、僕はいつも薬を飲んだり熱を冷やしたりしていましたよ

子どの頃は風邪ばかり引いていてその都度薬を飲んでいましからね。

医学は病気の治癒を邪魔する進歩

おじいさん:以上話したように、今日「医学が進歩した」という意味はは、「浄化停止方法が進歩した」ことの意味である。だが実際は「病気を治癒させる進歩では無く、病気を治癒させない進歩」という事になるのじゃろう。

himaari:これには驚きですね!もうビックリというか簡単には信じられないあきれた話ですよ。誰もが信じて来た「医学は進歩している、進歩した」と思い込んでいたのに。実は「病気を治癒させない方法の進歩」だとはね!!

まだ信じられない気持ちです。

もしもですよ、それを真実とすればの話ですが、「医学とは軽い病気で済むべきものを重い病気にまで発展させてしまう」という事になりますよ!

医学の進歩が毒素還元療法の進歩だと錯覚していたんですか?

おじいさん:医学と言っても対症療法一辺倒の西洋医学のことじゃがね。だが、その医学がいま世界の標準医療にされているから、それが問題なのじゃよ。人類はその錯覚によって、「貴重な生命と健康をそこなう医療の方法を信奉し推進してきた」というまことに哀れむべき事になる。

himaari:とうてい信じられない話ですね。僕はずっと「医学は進歩している」と思いこんでいましたからね。なんと大きな勘違いをしていたのかと思うと言葉を失いますね。

なんども繰り返しますが、もしこれが真実なら「医学が進歩すればするほど病気が増える」という結果になってしまいますよ!

おじいさん:突き詰めればそういう結論になるであろう。あまりにも突飛な論に現代人としてはそう簡単にわしの説を信じる事は出来ないであろう。しかし、誰であってもこの誤った医学の錯覚に心底気づいたならば、驚愕の思いでしばらくは放心状態に陥るじゃろうな。さて、これが事実だとしたら君はどうするかね?

himaari:半信半疑ながらも思考中ですが・・・。それにしても長い歴史のなかで誰もその事に気づかないで来た方が不思議ですね。それに伝染病が減ったのも、人が長生きするようになったのも医学のお陰だと思ってきましたし。

おじいさん:このことについてもう少し別の角度から見てみようかね。

そこで次に人口増加率逓減と死亡率減少と並行するという事は如何なる訳かを説明してみようか。先ず欧州文明国に於て近年伝染病や肺結核が著しく減少したという事を以て社会衛生の進歩によるものと一般は信じているが、それは一部の理由とはなる、真の理由ではないのじゃな。

himaari:医学のお陰と言うより社会衛生の進歩や栄養状態の改善だという説がある事は知っていましたが、それだけでは無いのですか?

たしかに「世界中で大流行した伝染病が減少したのは予防接種の貢献というよりも衛生環境の改善だ」という説もありますね。おじいさんはそれも一部の理由であるがもっと別の理由というものがあるというのですね?

おじいさん:もちろん衛生施設の完備はある程度の効果はあるが、それよりも大きな原因は体力の低下のためなのじゃ。体力低下が伝染病減少の原因になるとは不思議に想うであろうが、真相は次に説明する。

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