アメフトで首を骨折し、四肢麻痺になった青年がヘッドコーチとしてチームに復帰した話。パート3

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「いつまで意識はありましたか?」


あの日の話をするとこの質問をよくされます。

不思議なことにフィールドで倒れた直後から手術室で麻酔薬が入るまで、意識は、はっきりとありました。ストレッチャーで横になっているとき、側にいてくれた看護師さんが女優の戸田恵梨香にそっくりだったこともよく覚えています。



以前は意識を失ってた方が頭痛もなく楽だったかなと思うときもありましたが、執筆する立場になって事故当日の一部始終を自分の目で見ることができて良かったと感じています。


今回書いてる内容は今まで家族以外に話したことは、ほとんどありません。しかし、亡くなった祖父にこう言われたことがあります。

祖父
「普通の生活では経験できないことだからこそ、周りに伝えることに意味がある。」


皆さんにとって僕の話が何か考えるきっかけになると幸いです。



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「コードレッド、コードレッド、救急車が到着します。」


聞きなれないアナウンスで目が覚めた。

窓の外から光が射しこみ、ここはどこなんだろう?と状況が読み込めない中、首の後部に激しい痛みを感じた。


「そうか…昨日、手術を受けたんだ」


時計の針は10時を指している。

首はネックカラーで固定され、頭部を全く動かすことができないため視線を左右に振り、周りの様子を確認した。



手術を終えた僕は集中治療室に運ばれ治療を受けていた。

真っ白な部屋には様々な医療機器が設置され、天井にはその場で手術ができるよう、大きな照明がついていた。また口元のセンサーに息を吹きかけると、2,3名の看護師さんがすぐに駆けつけてくれるなど、まさに救急医療ドラマで見るような治療室そのものだった。


この病院の救急病棟には月600名もの患者が搬送されるが、無事に転院または退院できる方はおよそ半数の人だけらしい。残りの人は残念ながら助からないそうだ。実際にこの翌日に隣の部屋の患者さんが命を落とし、家族の泣き叫ぶ声を耳にした。




首から下は相変わらず動かすことができず、全身に締めつけるような痺れがあった。

「手術は成功したんだろうか…?」

今一番答えを知りたい疑問が頭に浮かんだタイミングで、僕の病室に執刀医の先生と家族が現れた。



執刀医
「中村くん、手術は成功しました。抜糸は約2週間後になります。リハビリを早く開始できるよう頑張ろう。」

僕は安堵の胸を撫で下ろすように大きく息をついた。

(あーよかったぁ。成功したんだ。次の試合は2週間後か、この試合は間に合わないかもしれないけど、シーズン中にはチームに戻りたいなぁ…)

このとき、手足は全く動かなかったが希望に満ち溢れていた。







そして手術から1日が経ち…3日が経ち…そして1週間が経過した。


しかし、体の状態は全く良くならない。

それどころか手術で首の後部を15cm切開した影響で、連日、38度以上の熱にうなされていた。体中の皮膚はボロボロに剥がれ落ち、また呼吸筋の一部が麻痺していたため、痰を吐き出すことができず、細長いカテーテルを口や鼻の穴から気管に入れ、吸引してもらっていた。


日中は家族との会話や照明の刺激もあったため不安は軽減されたが、真夜中になると痛みで目が覚め、不安と恐怖で押しつぶされそうになった。ついには睡眠障害になり、1時間以上眠り続けることが無理になっていた。




この頃、痛みを和らげるためにモルヒネより一段階弱い痛み止めの注射を午前と午後に1本ずつ打っていた。不思議なもので痛み止めが体内に入った瞬間、体が浮き上がるほど、痛みが軽くなった。しかし、その反面薬の効果が切れてくると痛みと恐怖に襲われ、禁断症状が出るときもあった。最近、家族からこう言われたことがある。

家族
「あの時は薬の効果が切れると目がいっていて、別人のようだった。」

今、振り返ってみるとあれは完全に薬物依存状態だったと思う。




そして、痛みと恐怖で心身ともにボロボロな状態で、運命のあの日を迎えた。



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