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14/8/5

アメフトで首を骨折し、四肢麻痺になった青年がヘッドコーチとしてチームに復帰した話。パート2

Image by Olia Gozha

今でも後悔している一言があります。



事故の2日前、実家を離れ一人暮らしをしている僕の部屋に両親が遊びに来てくれました。

そのとき、3人で地元の有名なラーメンを食べながらこんなやりとりがありました。

両親「「明後日まで、この辺りを旅行するから2日後のデビュー戦、見に行こうか?」」

「「まだまだ下手くそだから、今回はいいよ。また今度見に来て。」」

この一言を今でも後悔しています。

理由は、自分のプレーをしている姿を両親に一度も見せることができなかったからです。

それどころか、ユニフォーム姿を両親に初めて披露した場所は試合会場ではなく、救急病院の処置室でした。


「いつかやろうはバカ野郎」


本当にそう思います。


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夏の日差しが照りつける13時過ぎ、チームメイトが戦っている試合会場をあとにし、僕は近くの市民病院へ搬送された。


自分が想像していたよりも救急車の揺れはひどく、また頭部を頑丈に固定されていたため、外の風景はほとんど見ることができなかった。救急車の中には、値段の高そうな医療機器が壁一面に並んでいて、総額でいくらになるんだろうか、なんてことを考えていた。


この時はまだ特に痛みもなかったため、比較的冷静だったと思う。

また移動中に両親の携帯電話に連絡をしてもらったが繋がらなかったため、実家の祖父に連絡し、両親に伝えてもらうことにした。




病院に到着後、すぐにレントゲンとCTスキャンを撮影し、検査結果を見た医師からこう言われた。

ドクターA「「この病院では対処できないので、近くの病院に移動してもらいます」」

この頃から頭痛がひどくなっていた。

また痛みに伴い、徐々に不安が大きくなってくる。




そして搬送先の高度救急センターでもう一度、レントゲンとCTスキャンの撮影、またMRIの検査を受けた。検査の終了後、直接症状の説明はされなかったが、病院のスタッフの受け答えの様子から「もしかしたら重症かも…」と感じていた。不思議なもので、人は何かをごまかそうとすると少なからず態度に表れる。

正直、恐怖と不安に押しつぶされそうだった。

そして頭痛がさらに激しくなり、ついには我慢することができず、痛み止めの注射を打ってもらった。




そして時計の針が15時を指した頃、両親が病院に到着した。

実は実家からこの病院までは約500kmある。しかし不幸中の幸いか、事故当時、両親は旅行から帰る途中で、なんとすぐ近くにいたのだ。そのため、連絡をもらってから1時間ほどで病院に駆けつけてくれた。神がかった出来事とはこのようなことだと思う。


そして、

両親の顔を見ると、それまで張り詰めていた感情の糸が切れ、涙が止めどなく流れた。

「「ご、ごめんなさい…」」

それしか言えなかった。心配をかけてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


その後、両親は別室で医師から病状の説明を受けた。

ドクターB「「頚椎(首の骨)が折れ、神経が傷つき全身が麻痺してます。このままだと命の危険性もあるため頚椎を安定させる手術が必要です。しかし、この手術は頚椎を安定させるだけで、麻痺を回復させるものではありません。早期にリハビリを開始することが目的です。」」




もちろん、僕はこの説明を聞かされていない。

両親を通じて、「このままでは危険だから首の手術をしなければならない」とだけ聞いた。

この言葉を聞いて、少しホッとしたことを今でも鮮明に覚えている。

「手術を受ければ、もう一度アメフトができる。」

そう信じていた。  

まさか麻痺を回復させる手術ではないとは微塵にも思っていなかった。


そして17時30分、なにも知らないまま手術室に入り、5時間に及ぶ大手術が始まった。



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