中学の頃、包丁男に軟禁されてトラウマを持った僕が大学で全国模試1位を取るまでの軌跡④
床に座っていた女はみたことがなかったが、
僕の顔を見るなり女はニヤリと微笑んだ。
しかも少し露出した衣類を身にまとっている。
僕は、事態があらぬ方向に音を立てて進んでいることを直感ですぐにわかった。
そう、先ほど僕が「第三者はいないから大丈夫」
と言った「第三者」が、まさに目の前に出てきたのである。
それだけならまだいい。
なんと「被害者女性」としてそこに座っていたのである。
聞けば、「レ◯プをしたとして警察に出頭させる選択肢」をすぐに遂行するとのことだった。
それを聞いて、僕は取り乱した。
気が動転するとかのレベルじゃなかった。
脳で思考するという状態を忘れた動物のように、脊髄レベルで泣き叫んだ。
最近某県会議員が「ウァーーーーーーー」と叫んで話題になったが、
正直、気持ちがわかる。
人間「生きるか・死ぬか」の窮地に追い込まれると思考できなくなる。
思考できなくなると、黙るか、取り乱すか。
究極的にはこの選択肢しかない気がする。
しかし。
そんな僕の必死の抵抗も虚しく、A氏は暴れまくる僕を大きな岩のごとくまったくびくともせず掴んだまま離さなかった。
そんなこと構わず、僕は泣いて。暴れた。
こんなに感情を表に出したのは、当時15年生きてきてはじめてのことだったと思う。
<当時の僕について>
当時僕は生徒会や学級委員をしていたり、学校ではなんとなく優等生で通っていた。
勉強も定期テストはテスト前に「要領よく」こなして、学年で一桁の順位。
部活も何となくバスケットボール部に入り、副キャプテンなんかもやっていた。
一方で、自分自身今考えても恥ずかしい話なのだが、
当時はすぐに女性を好きになり、本当に色々な人に声をかけまくっていた。
校内・校外問わず。
思春期だから。とか、若気の至りだから。とか、そういう「いいわけ」をさせてもらえるなら、そんなありがたい話はない。
結果、それがあだとなったわけだ。
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