長男君が産まれた日のこと《前編》

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自然分娩と小尻


何かに導かれた今回の妊娠

産むからにはちゃんと調べて、自分で納得のいく形で産みたい。

そう考えて、私は妊娠と同時にいろいろなことを調べ始めた。


私の生きる哲学の一番真ん中に近い部分に「常に自分を信じる」という信念がある。


それゆえに、出産においても自分の「産む力」、そして赤ちゃんの「生まれてこようとする力」を信じ、赤ちゃん自身に生まれてくるタイミングを決めさせてあげたかった。


それともう1つ。


星占いを始めとする多くの占いは、生まれた場所や時間によって占われる。


もし生まれた時間がその子の運命を決定づけるのであれば、その子の運命はその子に決めさせてあげたい。陣痛促進剤などを使って出産するのは情報操作されたニュースのようでなんとなく嫌だったのだ。


今、考えてみれば促進剤を使ったり、帝王切開になったりして早く生まれてくることもその子の運命なんだろうけれど。


でも、とにかくその時はそんな風に思っていたので、陣痛促進剤を使わない所、出来る限り自然分娩をさせてくれるところという条件で産み場所を探した。


出産というと病院で産むのが一般的だけれど、実は病院以外にも生む場所はある。


「自宅」そして「助産院」だ。


色々調べて行くと、日本人が病院で赤ちゃんを産むようになったのは戦後、効率よく子供を産むためにアメリカによって導入されたシステムだということが分かった。


それまでは、時代劇でみるように自宅に産婆さんを呼んで産むのが一般的だった。


なんだ、だったらわざわざ病院に行かなくてもいいんじゃん。


病院嫌いの私は、単純にそう思った。


だったら自宅で産みたい。でも、賃貸の我が家で自宅出産するのはなんとなくためらわれた。


そうなると、選ぶ道はただ1つ。


助産院での出産だ。


何かの本で読んだ「妊娠は病気ではないのだから、病院には行かなくてもいい」という言葉が、病因嫌いの私には天啓のように聞こえ、「病院では産みたくない」という気持ちに拍車をかけた。


そうして見つけたのが長男君を産んだ助産院だった。

やわらかな木のぬくもりを感じられるアットホームなその助産院は、まさに私が求めていた場所そのものだった。

家から車で20分。

そんな立地に、望む形の助産院があったなんて運命としか言いようがない。

勝手にそんな風に思い込んだ。


説明会に行き、「ホメオパシー」と「カンガルーケア」もしていることが分かった。


ホメオパシーとカンガルーケアについては現在賛否両論あるが、自分でしっかり調べて自己責任において選択すればなんの問題もないと私は思っている。実際問題、夫はパパカンガルーケアをしたことで父親としての自覚が高まり、その後の育児参加は目を見張るものだった。


付け加えて言うと、いつも書いていることだけれど、一番良くないのは母親の「不安の波動」を子供に浴びせることだ。少しでも不安に思うのであれば、それはそのまま子供に影響してしまうから辞めた方がいい。


話は前に戻って、その助産院では母乳育児推進の為、食事が「マクロビオティック」であること、より自然分娩を安全な形で促すために「酵素風呂」を導入していることなども聞き入れ、妊娠が発覚してから


「絶対にここで産もう!」


と心に誓っていた。


ただ、助産院は医療機関ではないため、血液検査などの医療検査が必要になる時だけは助産院との提携先の大学病院に行かなくてはならない。


10カ月の妊婦生活の間に検査とその結果を聞きに何度か、大学病院に行った。


この提携先の大学病院というのがなかなかのもので、検査に行くとたいてい3時間は待たされる。

酷い時は、待ち合い廊下で3時間、診察台に上り、パンツを脱いで足を全開に広げたままの姿で30分以上待たされた。

その間、多くの看護師や研修医が私の股の向こうを行き来しているのが分かる。なんの拷問なのだろうこれは。


診察室は5つぐらいに区切られており、隣の診察室からは医師らしき人たちが大声で


「もう、手術が詰まってるんだから次々切って出しちゃえよ」


という声や、別の病院に電話をかけて


「いちいちうちの病院に回して来るなよ、ふざけるな。こっちだって忙しいんだよ」


と医師が怒鳴っている声が聞こえて来る。

隣の妊婦さんは、どうも赤ちゃんが危険な状態らしくこのまま即日入院を勧められていた。

しかし、連れて来た上の子の面倒を見てもらうために新潟から夫の両親を呼ばなければならないこともあり、即入院をためらっているようだった。


夫の両親を呼ぶとなれば一度家に帰って少しでも家を綺麗にしたり、子供に言っておきたいこともあるだろう。

医師はそんなことはおかまいなしに


「早く決めてくださいよ」


とイライラとした口調でその妊婦を責め立てていた。

下半身をおっ広げたまま放置されている自分のシチュエーションも悲惨なものだったが、私はその妊婦さんが気の毒でならなかった。


妊娠、出産は病院にとっては一日に何度も行われることかもしれないけれど、妊婦にとっては一生に一度か二度の貴重な体験なのだ。その貴重な日々をこんな思いで過ごさなければいけないというのは、なんともやりきれない。


私が通った助産院の助産師さんたちも


「毎日妊婦さんをみていると慣れてしまうんですが、妊婦さんにとっては初めてなんだということを常に思い出すようにして丁寧に接しています」


と言っていた。


建て替えられたばかりなのか、施設そのものは美しいのに病院全体の雰囲気が殺伐としていて、とげとげとした嫌な波動が流れていた。事故かなにかで病院に運ばれることになっても、絶対にこの病院だけは嫌だと心の底から思った。


ちなみに初めて妊娠が発覚した時に行ったクリニックの女の先生はこの大学病院から独立開業した先生だったのだけれど、この先生もギスギスしていて、死んだ魚のような目をしていた。

あの女医もきっとこの大学病院で魂を抜かれてしまったに違いない。


この時の経験が、ますます病院では産みたくないという気持ちに拍車をかけた。


出産が近づいたある日のこと。

血液検査の結果を聞きに大学病院に行った。前回の検診の時、


「あなたは骨盤が小さそうだから、赤ちゃんが出てこられるかどうか、今度来た時にレントゲンを撮ってみましょう」


と言われていたので、レントゲンも撮ることになっていた。

受付を済ませレントゲン撮影が終わると、先生の部屋に呼ばれ説明を受ける。


「あなたの骨盤は9.2センチしかなくて、男性並みに小さいんだよね。そして赤ちゃんの頭がもう9.2センチで大きいから、あなた自然分娩は無理。来週の水曜日にもう一回見て、もっと赤ちゃんが大きくなってたら帝王切開するから、今日入院の手続をしていって」


とこともなげに言われた。この時、36週。

骨盤と言われたのか、子宮と言われたのかは忘れてしまったけれど、要するに赤ちゃんが出てくるところが小さくて自然分娩が難しいということらしい。


臨月までにはまだ4週間ある。助産院での出産は37週以上の妊婦からなのだ。

私の自慢の小尻も、出産となればまったくなんの自慢にもならないただの肉の塊と化してしまった。


助産院で自然分娩する気満々だった私にとってその言葉は、言葉に出来ないほどのショックだった。

よりによってこの大学病院に入院。しかも帝王切開しろという。


あまりの悲しさと悔しさで涙をふくのも忘れてボロボロと泣いていた。すると慌てた先生が


「あ、えっとね。今日、明日中に生まれるならなんとかなるかもしれないな。お腹が張ろうが痛くなろうが構わずにクタクタになるまで動いたら自然分娩できるかもしれないから・・・ちょっと頑張ってみなさい。でも、助産院ではだめだから、入院手続きはしていってね」


と言ってくれた。

もちろん、この言葉を私が聞き逃す私ではない。

泣きながら入院手続きを済ませ、帰りの車の中でどうすればいいのか考えた。


助産院での出産は半ばあきらめていたものの、自然分娩は諦めきれない私。どうしても赤ちゃんには自分の力で生まれて来てもらって


「頑張ったね~。やれば何でもできるんだよ」


って言ってあげたかった。


そこで、家に帰ってから何をしたかと言えば、夫と二人で近所のスーパーまで遠回りしながらジョギングをした。


臨月のおなかを抱えつつジョギング!


いやー。人の視線を浴びる、浴びる。そして、案外出来てしまうものである。


それにしても、妊娠前に1日8キロ近いジョギングで体を鍛えていたせいか、お腹が大きくなったとはいえ、ちょっとやそっとジョギングしたぐらいでは先生がいうように「クタクタになる」ほどは疲れない。


なので、次に何をしたかと言えば、スーパーでしこたま買い物をして、その買い物袋をすべて自分で持ち、家までウォーキングと階段の昇降運動。これはさすがに効いて、終わった頃にはもうクタクタになった。


でも、可哀想なのは夫である。


一緒に歩いていると明らかに


「なにあの旦那!信じらんない。あんなにお腹の大きい妊婦に荷物持たせて」


という目で見られている。


今度は夫の方が泣きそうである。


そんな世間の目にも耐え、寝る前に半身浴と陣痛誘発運動を何度も繰り返して眠りにつき、破水に気づいて目が覚めたのはその日の深夜1時半のことだった・・・。


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長男君が生まれた日のこと《後編》

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